悲の28 "空っぽ"にはなりたくない


「お前、いつになったら帰るんだ?」

 時刻は11時を過ぎ今までなら確実に帰ってる時間だ。

 ラーメンを食べたあと言葉はうちに来て紅茶を飲んでくつろいでいる。

 時折つまらない話をして何をするともなくただ2人でソファに腰掛けてぼんやりとした時間を過ごしていた。


「そうね・・・帰らないって言ったら困るかしら?」

「はぁ?お前もしかして泊まってくつもりか?」

「・・・困る?」

 俺を覗きこむように上目遣いでそう言う。


「あのなぁ、いくらなんでもそれはマズイだろ?」

「やっぱりそう?」

「そりゃそうだろ」

 言葉は殊更残念そうに装って呟く。

 いくら俺でも、言葉みたいな美少女と一晩一緒に過ごすなど精神衛生上よろしくない。

 何かしたりする気はないが、それでもだ。


 俺と言葉の間にあまり感じたことのなかった沈黙が流れる。


「夜ね・・・」

 この空気に耐えかねたのか言葉はポツリポツリと話だした。

「夜にね、一人で寝ていると急に不安になることってない?」

「う〜ん、ないこともないかな」

「今までならそんなことなかったの。怖いとか悲しいとか感じたこともなかった」

「・・・・・・」

「不思議よね?私が望んだことなのに」

「まぁ慣れるまではちょっとな」

「・・・わかってはいるのよ。わかっては」


 言葉は一旦話を区切り紅茶のティーカップをくるくると回している。


「あなたは私の妹知ってるでしょ?」

「ああ、あの元気なヤツな」

 いつぞやの元気な少女の姿を思い出す。

「天真爛漫ってあの子みたいな子のことを言うんでしょうね」

「たしかにそうだな」

「笑って泣いて、小さなことで怒って・・・私の表情はほとんどがあの子の真似なのよ」

 そう言った言葉は悲しそうに微笑んだ。


 ああ、そうなんだよな。嬉しくて楽しくて笑うんじゃないんだ、こいつは。

 悲しいから笑ってるんだ。


「でもね、この悲しいって気持ちと顔はあの子の真似じゃないのに上手く受け入れられないの」


 きっと言葉は自分に芽生えた感情に心がついていっていないんだ。

「あの日から私はずっとずっと大事にしてきたのよ。あなたが教えてくれた"悲しい"って気持ちを」


 言葉の独白は続く、部屋の空気は少しひんやりしていて俺は冷めたコーヒーを手にじっと言葉の話を聞く。


「だからね・・・私は悲しいの、大事にしてきたものが受け入れられない。私の中にあるはずなのにどこか遠くにあるみたいで」


「夜ね・・・ベッドの中で思うのよ、私はまた"空っぽ"になっちゃうんじゃないかって」


 そう言って言葉は俯いてしまった。


「まぁその、なんだ」

 俺はそんな言葉を撫でてやりながらかけてやる言葉を探した。

 我ながら情けなく思うが、すぐにかけてやれるような気のきいた台詞が思いつかなかったから。


「あんまりさ、深く考えなくてもいいと思うぞ。もし、もし仮にだ、お前がまた…その感情を無くしたとしても俺がまた教えてやればいいんだろ?」


 言葉がピクっと身体を強張らせる。

「気にすんなって。約束しただろうが?な?」


 部屋には沈黙が続くが先ほどのような重い空気とは違うように思える。


「もし私がまた"空っぽ"になったとしたら・・・」

 頭を撫でていた俺の手を握りしめて言葉は顔を上げ俺を見つめる。


「今度は"楽しい"から教えてもらえる?」

「ああ、もちろん。お安い御用だ」

「あなたはいつもそう。いい加減よ」

「そうか?」

「そうよ」

 言葉の顔に僅かに浮かぶ悲しそうな笑みは先程よりは嬉しそうに俺には見えた。



「で、どうするんだ?もう日付も変わっちまったぞ」

 それほど長く話しをしたつもりはなかったんだがいつの間にか時刻は深夜0時を回っていた。

「・・・帰らないとダメ?」

 変わらない薄い笑みを浮かべ言葉は俺を見つめる。


「はぁ、帰る気ないんだろ?」

「ないわよ」

「だよな。しゃーねーな、襲われても文句言うなよ?」

「あら?襲うの?」

「お前次第だ」

 ようやく普段の言葉らしくなったところで軽口を叩きあう。


「もう一杯飲むか?」

「ええ、いただくわ」

 俺はティーカップを受け取りキッチンにいく。


 やれやれ、結局はこうなるんだよな。

 でも、これでアイツの気がちょっとでも晴れてくれればそれでいいんだけどな。





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