自由律俳句を参考に和歌など詠んでみるか

@byakuennga

はじめに。

 最近、和歌なんぞ詠みはじめた身として、後学のためと広く浅くと、俳句と俳人など調べはじめてみた。


 するとどうしたことか。


 他のジャンルは何にも感じなかったのだが、奇妙なことに自由律俳句だけは、私が和歌を詠む参考となるのだ。


 短い文字の羅列が、ああしろこうしろと語り掛けてくるようなのだ。次から次へとアイデアが浮かんでくる。


 正直、他のジャンルの俳句では、あまりないことである。

 

 

 ナニコレ。どういうことなの? という感想である。



 とはいえ、そこで思考停止していても仕方がない。私は和歌を詠む傍らで、ない頭で考えた。


 その結果、あることに気付く。


 知ってのとおり、和歌や俳句は限界まで言葉を削り、えいやっと、いらない文字は退かして、限られた文字数で情景を表すジャンルである。


 そして、その中で自由律俳句は、最低限の季語や字数の枠も取っ払った自由過ぎるジャンルだ。


 一見、簡単そうに見えて、虚飾や湾曲がきかない直球の表現なのである。


 だから、私の頭に直球で入ってきた。


 つまり、自由律俳句は天才のためのジャンルで天才の創作物だから、凡人で頭の脳みそが劣る私にも、よく理解できるようになっていたということだ。


 いわゆる下々にも理解できる良デザイン。


 私もよく理解できる…というか…脳みそ浸蝕されている感覚だぞ、これ。



 うーむ。


 

 理解はできたが、なんかとても悔しい。


 まるで自由律俳句の俳人たちに、私が圧倒されたみたいじゃないか…思考が浸蝕されたというか、無理矢理、塗り替えられたというか。


 他には何と表現すべきか…


 

 ええい。



 無駄に時間を掛けて考えていても仕方がない。 


 悔しさを晴らすために、和歌のお手本にした俳句と一緒に、短歌をカクヨムで発表してやれ。



 評価なんて、ここを見た奴にさせれば良いんじゃないかな。



 そんな訳で、次話からお手本になった俳句と共に、作った和歌を発表するよ。


 暇なヤツは見てくれや。


 じゃあの。

 

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