史官たちの闘い 事実と真実
史書を記した史官たちの厳正ぶりは紹介した通りだが、彼らをしても全ての事実を書けるわけではない。
まずひとつは、伝説といえる程遠い時代の話である。この場合、口伝や伝承で残っているため、確認がとりにくい。例えば既出の黄帝は、史記の司馬遷曰く「存在は疑問視しているが、各地に伝承が残っているため記述した」と書いている。そのような様々な伝説がある場合、碑や事象が残っていれば確認しやすいのだが、それらがない場合でも、伝承があるものを無視する事も真実であるとはいえない。よって注釈つきで記述する事になるのだ。
もう一つは、王や帝といった存在の価値を上げるために、民衆や周りの者たちが創った伝承だ。この場合も、荒唐無稽な事象があった場合、本人ではなく周りの人間に聴取するのだが、周りの人間たちが事実と証言すれば否定することはできなくなる。漢王朝を創った「劉邦」は、産まれる時に母親の上に龍が乗っていたと証言されているが、これも劉邦が一介の平民であったために箔付けするためのエピソードであった可能性が高い。
しかし、民衆であれ周りの人間たちであれ、誰かたちが一人の人間を持ち上げようとする時は、時代がその人間を必要としている、という考え方が古代中国にはある。天のとき、地の利、人の和がそろう人間は何か天命があるのだから、どんな伝承も書き連ねた方が良いと判断した可能性は高い。「疑わしきは罰せず」の精神ではないのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます