第三話 忘却、そして

「……ウ、……ミウ」

「ん……」


ミウが目覚めるきっかけは、聞き覚えのある女性の声だった。


ぼんやりとした意識の中で、その声に引かれるように覚醒する。


寝ぼけ眼をこすったその先にいたのは、月夜に照らされたジニーナ・ラノン先生だった。


「……ジニーナ……先生……」

「どうしたの、こんなところで眠って。消灯時間はとっくに過ぎてるわよ?」


彼女の持つぼんやりとした蝋燭の灯りで、徐々に現状を理解していくミウ。


そうだ、ここは図書室。


ミウはその中に多くある椅子の一つに、机に突っ伏すようにして眠っていたのだ。


「あれ……私、どうして……」

「ここでアカリさんと一緒に眠っていたのよ。いつの間にそんなに仲良くなったの?」


その言葉に、ミウはハッとして辺りを見回す。


……いた。


ミウと同じ机の、反対側の椅子。


何かを思い出すように考え込むアカリの姿が、そこにはあった。


「アカリさん……」

「ミウ……あなたは何か覚えている? どうして私……こんなところに……」


彼女は、自分がなぜこんなところにいるのかわからないというようだった。


頭を抱え、彼女らしくない焦燥の表情を浮かべている。


「どうしてって……だって、アカリさんが許可をもらったんでしょ?」

「え、ええ……それはそうなのだけれど……」

「だって、言ってたでしょ? アカリさんは……あ、かり、さん……は……」


あれ。


何だろう。


まるで頭の中にモヤがかかったように、何かが思い出せない。


それどころか、何を思い出そうとしているのかさえもわからない。


アカリが先生から許可をとって、この図書館まで連れてきたのは覚えている。


何か理由があって、ミウを連れてきたということもわかる。


けれど、その理由とはなんだったっけ。


どれだけ脳内の引き出しを漁っても、何も出てきはしない。


「わからないわ……頭の中が霞みがかっているような気さえするもの……」

「私も……何も思い出せない……」

「ちょっと、二人とも大丈夫?」


うんうんと唸るような二人を心配してか、ジニーナ先生は落ち着かない表情でこちらを見やる。


しかしミウもアカリも、結局何かを思い出すことはできなかった。


ジニーナ先生ははあ、と溜息をつくと、二人の肩を優しく叩く。


「とにかく、もう遅い時間だわ。寮に戻って、暖かくして眠りなさい」

「は、はい……。こ、これって、校則違反になっちゃったりとか……」


ミウは焦りながらジニーナ先生に問いかける。


寮の規則では消灯時間を過ぎて外出したものには重い罰が与えられるからだ。


しかし、ジニーナ先生はくすりと笑って、ミウの両肩に手を置く。


「大丈夫。一応図書室の使用許可は出ているし、なんとか説明しておくわ。二人とも、調べ物に熱中し過ぎて眠っちゃったのよね?」

「……はい。ごめんなさい、先生」

「いいのよ。次は気をつけてね」


ジニーナに手を引かれ、ミウとアカリは席を立つ。


壁掛けの大きな時計を見ると、時刻は既に真夜中を過ぎ、日付が変わってすらいた。


「行こう、アカリさん」

「ええ、そうね……申し訳ありませんでした、ジニーナ先生」

「はい、おやすみ」


ばたん、と図書室の扉を閉め、相変わらず人気のない廊下に戻るミウとアカリ。


しかし、その場はなんとか切り抜けたものの、頭の中に残るモヤの正体が掴めず、腑に落ちない気分のままである。


「……アカリさん。何だろうね、この感じ」


そうやって問いかけると、アカリも難しい顔をしながらミウの方を向く。


「腑に落ちないわ……大切な事を忘れているかのようで……」

「私も。図書室で何をしたかったのかな、私たち」

「……全く思い出せないわ」


はあ、と溜息をつくアカリ。


人差し指の甲を唇に当て、物憂げに考え込む彼女からは、それが冗談でない事がすぐに分かる。


ミウだって、まるで狐につままれたような気分だ。


何か目的がなければ、こんな夜更けに図書室に入り込むことなんてありえないのに。


「でも……」


ふと、アカリがぎゅ、と自身の腕を強く掴みながら震える声で呟く。




「────何かしら……ものすごく悔しい・・・のよ……」




彼女の声はその感情が露わになり、か細いながらも根底に何か強い感情がある事が伺えた。


「アカリさん……?」

「……何でもないわ。早く戻りましょう、明日に差し支えるわ」

「う、うん」


さっさと廊下の先に歩いていってしまうアカリ。


しかし彼女の後ろ姿には、何か心残りがありそうな雰囲気が感じられた。


それになんと言うこともできず、ミウはその後をついていくことしかできなかった。



◆ ◇ ◆



「……これでよかったのかい、君は」


ミウとアカリを図書室の外に見送り、扉を閉めるジニーナ。


そんな彼女の目の前に、ふらりと現れるスィーヤ。


彼女は何か訳知り顔で、ジニーナにそう問いかける。


「ええ。彼女たちに、私たちと同じ・・・・・・思いはさせたくありませんから……」


ジニーナは唇を噛みながら、悔しそうな表情でそう告げる。


そんな彼女を、スィーヤは少し心配そうに見つめる。


「……まだ忘れられないのかい、彼のこと」

「べ、別にそう言うわけでは……」

「あの子たちにしたように、君にも忘却の角音をかけてあげようか? その方が、君も楽になるんじゃないかな」


スィーヤはそう言いながら、角笛に力を与えて二又の角笛ロキへと変化させる。


しかし、ジニーナは首を横に振る。


「……いえ。私がを忘れるわけにはいきません」


真剣な顔でそう言う彼女に、スィーヤは笑みを浮かべたまま溜息をつき、呟く。


「そっか。君がそう言うなら、その意見を尊重するよ」


椅子に座り、気ままな様子で脚を伸ばすスィーヤ。


しかし、彼女は少し真剣な表情をする。


「でも、忘れないでね。君が大人になったとしても、教員として伝え導く立場になったとしても……」


立ち上がり、ジニーナの顔を見つめながら、スィーヤは告げる。





「────それでも君はこの学院の生徒・・・・・・・だ。 それだけは忘れないようにね」





そう言う彼女の表情は、どこかジニーナを安心させるようなものだった。


その言葉にジニーナはハッとしつつ、少し寂しげに微笑む。


「ありがとうございます、先生」

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