第六話 月夜の語らい

月夜。


学院中央塔最上階の鐘の、さらにその天辺に座るミウ。


そこから見える景色は神秘的とも美しいとも思えて、心の底からとろけるような気持ちになる。


森の奥に見えるのは民家の集落。


そこからさらに奥に広がるのは角人ではない、普通の人間──マビトが住まう王国の中央都市。


「綺麗……」

「そう? それなら良かったよ」


角笛で、またもや一つの音色を奏でるスィーヤ。


すると空気中から光が生まれる。


かと思いきや、それは夜空の光を反射する水の球だった。


「すごい……冷たっ」

「はははっ、少しお待ちよ。今温めるから」


更に続けて別の角音を響かせるスィーヤ。


彼女特有の角笛──ロキというらしい──は、笛の先ではなく途中に吹込口がある。


その為、吹く時はいわゆる横笛の状態となる。


次に奏でられたのは、少し情熱的な雰囲気の音色。


するとそれに反応するように、水の中に小さな炎が生まれる。


「水の中に火が……!」

「肌寒い夜。高い屋根の上。そこで飲む白湯といえば格別ってものさ」


少し年寄り臭いな、なんて考えてしまうミウ。


水の玉は程よい湯になり、それはスィーヤがどこからともなく取り出した木製のカップに注がれる。


それも、水の玉から小さな水の玉がたくさん生まれ、それがカップに吸い込まれるかのようだった。


ミウは白湯を一口。


「……温かい」


なんだか、張り詰めていた緊張が緩んだようだ。


寝ていても起きていても焦燥感ばかりだったミウは、この学院に来て初めて落ち着きを得た気がする。


────やっぱり、角音ってすごい。


使いこなせれば、こんなにも便利なんだ。


それに、さっきの自分のように、見た人をワクワクした気持ちにさせられる。


「……すごいです、スィーヤ先輩。まるで夢で見たあの人・・・みたいで……」

「あの人?」


ミウの一言に、スィーヤは首を傾げる。


少し間を置いたあと、そういえば彼女には何も言っていないな、と思い出して笑う。


「あ、ごめんなさい。私の夢の中の話なんです」

「……聞かせてもらえるかな。すごく興味があるんだ」

「でも、すっごく変な話なんです。ハンナに言っても信じてもらえなくて、笑われちゃって……」


ぴくり、と反応するようスィーヤ。


照れ笑いをするミウの方へと少し近寄って座り直すと、彼女は顔を近づけて問い直す。


「ここまで引っ張って教えないなんて意地が悪いよ。教えてよ、笑わないから」

「本当ですかぁ? ……ほんとのほんとに、笑わないって約束してくださいね?」

「うん、約束する」


スィーヤの糸目は少し表情が読めなかったが、やけにそれ──ミウの夢の話──を知りたがっているように感じた。


ミウは少し恥ずかしかったが、そこまで頼み込まれては断りきれず、おずおずと話し出す。


「……昔、翼を持った角人の夢を見たんです」

「翼? ドラゴンみたいな?」

「はい。角笛の翼を持った角人の」


突拍子も無いことだ。


けれど、確かにそれはミウがここにきたきっかけでもある。


「その人は翼の骨が吹き口になってて、それを吹くと角から角音が鳴り出すんです」


今でも覚えている。


目の前に広がる、様々な種類の角音。


それが引き起こす、奇跡のような、魔法のような光景。


風が吹き荒れる。


それが翼の吹き口に取り込まれ、さらに多くの角音を奏でる力となる。


炎が現れ、水が舞う。


光が生まれ、闇を払う。


大地が形作られ、土が家を作る。


そう、角音が全てを形作り、文明を生み出していくのだ。


その光景は素晴らしいとも美しいとも形容しがたい、天地創造の全てだった。


「すごかったんです……なんていうかこう……角音ってすごいものなんだって! さっきのスィーヤ先輩の角音も、それと同じくらいすごくて……!」

「いやそんな、照れるなあ。でも面白い話だね。実際、同じような話はこの学院には残されていてね」


スィーヤは、角笛ロキをさっと振る。


すると、火の灯った水の一部は形を変え、それは竜の形を描く。


「わぁ……!」

「昔々、この学院が出来るよりもっと昔の話。一頭のドラゴンが、この王国を造り上げた」


球体だった水は半分が物語を描く部品となり、もう半分は地面となって王国を形作る。


水がせり上がり、凍てつく。


それらは中央に巨大なドラゴニオ城を構え、外れにはこのロミニアホルン角音学院を形作った。


「そのドラゴンの角にはまじないの力があり、その力で作られたこの王国はドラグニオ王国と名付けられた……」

「そういう歴史のお陰でこの国には角音を真面目な学問として捉える考えが根付いて、このロミニアホルン角音学院が生まれた……ですよね?」

「そういうこと。よく勉強してるんだね」

「えへへ、実技が下手くそなので……」


照れ笑いながら、目の前に生まれた美しいだけでは言い表せない芸術品を眺める。


奥の森を映し出すほど澄んで透明な水が、街を造形した部分だけ凍りつく。


そしてその上空を飛び回る水の竜は、心の炎を連想させるように心臓に火を灯しながら、ドラグニオ城の上に着地する。


「それだけ理解して、あれだけ努力しているなら、角音の扱い方だって身に付いていてもおかしくないのになあ」

「私の努力が足りないのかな……」

「うぅん。角の働きに何か異状があるのかな。少し聞いてみようか」


糸目のまま考え込み、そう提案するスィーヤ。


「聞いてみる?」

「角音の軽い振動を当てて刺激するのさ。それに対する呼応でどういう状態かを君自身が判断する。まあ、僕に任せておいて」


そう言うと、彼女は角音を軽く奏でる。


角音は角笛を軽く振動させ続ける。


その角笛を、スィーヤはミウの角に近付ける。


「角は君に力を与える器官だ。それをコントロール出来るようになってこそ、角人としての道が開ける」

「っ……」

「恐がらないで。存分に自らと語らうといい」


もう少しで触れる。


くすぐったいような、不思議な感覚がする。


心臓が高鳴る。


なぜ、こんなに緊張するのか────。


「さあ、いくよ」


こつん、と。


角に、スィーヤの角笛ロキが触れる。


刹那────身体が、意識が、振動する。


「あ、れ……」


不思議な感覚だ。


意識がどこかに飛ぶような。


「どうだい、ミウ?」

「…………」

「ミウ?」


何も、聞こえない。


ミウの視界の端でスィーヤが何か問うているようにも見えるが、耳が反応してくれない。


身体の感覚がない。


(わ、たし……)


そして。


ミウは、まるで魂が抜けてしまったかのように、スィーヤの肩に寄りかかってしまう。


彼女の意識は、自らの深い奥へと吸い込まれていってしまう。

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