好奇心の小窓

鏡湖

  

 あれはまだ、私が小学一年の頃だった。ある日、教室に転校生がやって来た。粗末な身なりで髪もボサボサな少女を、みんなは遠巻きに見ていた。

 その日、帰り道が一緒だった私は思い切って声をかけてみた。すると、その子は嬉しそうに微笑んで、家に遊びに来ないかと言った。

 その子についていくと古ぼけた小さな建物についた。昔は教会だったその家に越して来たという。

 私たちは、かつては集会に使われていたであろう小さな広間で、かくれんぼを始めた。私がかくれる番になった時、私は部屋の隅にある小さなドアを見つけた。中に入ると、大人がひとり入れるくらいの狭いスペースに椅子が置かれ、その前には小さな窓があった。その時はわからなかったが、そこは懺悔をする場所だったのだろう。

 私は物珍しさにかくれんぼのことを忘れ、椅子に掛け、小窓を開けてみた。その瞬間、そこから見える世界に私は目を見張った。

 窓の向こうは、なんと、姉の部屋だったからだ! そしてそこには、六歳上の中学生の姉の姿が見えた。

 

――以前のこと、突然、私が姉の部屋に入った時、姉は慌てて何かを机の引き出しにしまった。そして、私がいくら聞いても適当にはぐらかされ、見せてはもらえなかった。私はずっとそれが何か知りたかった――

 

       

◇ 今、その姉が引出しから小箱を取り出している。きっと、あの中にあの時の何かがしまってあるに違いない。姉がその箱を開けようとするのを、私はじっと見つめた。

 そして、姉が箱の中から取り出したのは……なんてことはない一本の新品の鉛筆だった。私はすっかり拍子抜けしてしまった。もっと何か特別なものがでてくるものと思い込んでいたからだ。

 その時、後ろのドアを開けて、み~つけた、と友だちが入ってきた。私は慌てて小窓を閉めた。◇

 

 次の日も、私はあの部屋に行きたくて放課後を心待ちにしていた。そして、その放課後がやってきた。ところが、あの子にまた遊びに行きたいと言うと、今日はダメだと言われた。それから毎日、私はその子に遊びに行きたいとせがんだが、その度に断られ続けた。

 その子は相変わらずクラスの誰からも相手にされず、休み時間はポツンとひとりでいた。私は時々そばに行っては話しかけた。きっと、あの部屋に行きたいという下心が丸見えだったに違いない。

 そして一週間後、とうとうその子が言った、今日はいいよ、と。ふたりでその子の家に着くとすぐに、またかくれんぼがしたいんでしょ? と言って、その子は後ろを向いた。私は欲求を抑えきれず、すぐさまあのドアに向かった。そこに入ると、椅子に座るのももどかしいくらいの勢いで、小窓に手を伸ばした。

 

◇ すると窓の向こうは、姉の学校だった。昇降口を入った階段のところにセーラー服姿の姉が立っている。何をしているのだろう? と思っているところに、誰かが階段を駆け降りてくる足音がした。そして、長身の男子生徒が現れ、姉に何かを手渡し走り去った。それはあっという間の出来事だった。その間、姉もその男子生徒も、ひと言も言葉を交わすことはなかった。姉の手元を見ると、そこには一本の鉛筆が握られていた。

 私はあっ、と思った。あの鉛筆はあの男の子からもらったものだったのだ。小一の私にはそれがどんな意味があるのかわからなかったが、姉にとって大切なものであることだけは、何となくわかった。◇

 

 ところが、翌日から、あの子は学校に来なくなった。そしてしばらくして、あの子はまた転校したと先生がみんなに説明した。

 あの小窓をもっと見たかった私はひどくがっかりしたが、いつのまにかそんなことはすっかり忘れてしまった。

 

 中学生になった私に、初恋が訪れた。

 ある日の放課後、階段ですれ違った上級生に私の胸は高鳴り、異性を想う心が芽生えたのだ。その情景に、私は思い当たることがあると気づいた。

 階段を駆け降りる男子生徒と下で佇む女生徒。そうだ! あの小窓から見た姉がいたのは、まさにこの場所だった。

 あの時の光景が鮮明に思い出された。姉もこんな気持ちだったのだろうか? そんな恋しい相手からもらったものは、たとえ鉛筆一本でも宝物。それが、その時になってようやく私にもわかった。

 そして、上級生への思いが募るほど彼のことが知りたくなった私は、あの小窓をどうしても覗きたくなった。

 ある日曜日、私は気持ちを抑えきれず、あの時の友だちの家に行ってみることにした。当然、あの子はいない。誰かほかの人が住んでいれば入ることはできない。ドキドキしながら、記憶をたどって私は歩いた。

 そして、私は見覚えのある粗末な教会に着いた。空き家のようで、人の気配はない。恐る恐る中を覗き様子をうかがったが、静まり返った室内はあの時と変わっていなかった。私はまっすぐあのドアに向かった。

 そして、そのドアを開けると、やはりあの時と同じ、小さな椅子の向こうに小窓が見えた。私は椅子の埃を払い、腰掛けると、そっと小窓を開けてみた。

 

◇ するといきなり、あの上級生の姿が見えた。そこは彼の部屋のようだった。壁にかかっている時計を見ると同じ時刻だったので、おそらく今の彼の様子だろう。流行の音楽をかけながら雑誌に目を通していた。手元まではよく見えないが、表紙に女の人が写っているみたいだった。私は、自分が覗き見をしていることに気づき、ハッとして小窓を閉め、小部屋を出た。◇

 

 

 帰り道、私は考えた。姉の時も、今回の上級生の時も、私は人の秘密を覗き見しているのだ、そう思うとすごく恥ずかしくなった。でも、あの小窓を開くと、今知りたいことが見える。この魔力には到底勝てそうもない。

 私は自分自身と葛藤しながらも、時おり、その小窓を開きに行った。そして、話したこともない上級生の日常を知るようになった。すると、だんだん上級生に対する興味は失せていき、胸をときめかせていた初恋は色あせていった。知らない方がいいこともあるのかもしれない、そう思い、私は小窓へ行かなくなった。

 

 

 高校生になって思春期を迎えた私は、迷路に迷い込んでいた。生きている意味がわからない、そんな思春期特有の深い悩みを抱え込んでいたのだ。

 死んだら人はどうなるのだろう? この私という意識は消えてなくなるのだろうか?

 私はふと、あの小窓を思い出した。そうだ、死後の世界が知りたい。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。記憶をたどり、私は学校帰りにあの教会に向かった。

 すると、あの建物はまだそのまま残っていた。しかし、かなり傷んでいて今にも崩れ落ちそうだ。ゆがんでなかなか開かない戸を開けて中に入ると、私はミシミシと音のする床を歩き、あのドアに向かった。

 そして、ドアを開け、椅子の埃を払い、小窓に向かって座った。私は目を瞑り、深呼吸をして心を落ち着かせてから、その小窓を開いた。

 すると、なんとそこには、小学一年の時のあの子が、こちらを向いて立っていた。

 

 

『みっちゃん、久しぶり。

 あの頃は、やさしくしてくれてありがとう。

 誰からも相手にしてもらえなかったけど、みっちゃんだけは声をかけてくれたよね。

 うれしかったよ。

 私は、あれからすぐ、みっちゃんとは会えない所へ行ってしまったんだ。

 この世界のこと、みっちゃんは知りたいようだけど言えないの。

 ごめんね……

 そろそろ時間みたい、この部屋からすぐに出て!

 さよなら、みっちゃん』

 

 

 次の瞬間、小窓は勝手にピタリと閉まり、後ろのドアがガタガタと音をたてはじめた。私は怖くなり、急いで外へ出た。すると、古びた教会は私の目の前で崩れ落ちた。

 

 

 

 私は今、三十歳。今日は小学一年になる一人娘をつれて、あの教会があったところにやって来た。そこは、朽ち果てた木材が散乱していて、あの時のまま片付けられていなかった。

「ママ、ここにお家が建ってたの?」

「ええ、そうよ。ママのお友だちのお家があったのよ」

 娘が小学一年になった時、ふと、私はあの子とあの小窓のことを思い出した。そして、なぜか娘を連れて行ってみようと思った。娘の姿が、あの頃の私たちを思い起こさせたのかもしれない。

 懐かしいその場に立った私は、心の中で、あの子に語りかけた。

 

(本当のお友だちになれなくてごめんなさい。

 初めは、あなたが寂しそうだったので声をかけたけれど、その後はあの小窓に行きたかったの。

 きっと、あなたはそれに気づいていて、何も言わなかったのよね。

 いつか、謝らなければと思っていたのよ。

 大人になって、今ではあの頃のように知りたくてたまらないことはなくなったわ。むしろ、知りたくないことばかりのような気がする。

 いつか、また逢えたら、今度は本当のお友だちになってね)

 

「ママ、あれ!」

 娘の指さす先を見ても、何もない。

「な~に?」

「ママには見えないの? 私くらいの女の子が、こっちに手を振っているじゃない」

 娘は、あの小窓があった方向を見つめてそう言った。私は驚きながらも娘に聞いた。

「その子、どんな顔をしている? 楽しそう? それとも悲しそう?」

「あの子、うれしそうに思いっきり手を振っているよ」

 私は溢れそうになる涙をこらえながら、その方向に向かって、千切れるばかりに手を振り続けた。




                  完

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