第6話、異変

 それからは、とくに目立った騒動が起こることもなく、各自の割り当てにしたがって、飯盒炊爨と天体観測の準備をこなしていった。

 奏は女子グループと一緒に食事の支度、早希は男たちを従えて観測に使う機材の運搬で忙しそうだった。

 瑠花はまだ部屋で寝ているようで、姿を見ることはなかった。

 一方の俺はというと、分担されていた仕事は、手が足りていて、すっかり邪魔者扱いで、手持ち無沙汰にふらふらとしていた。


 夏だというのに、山の空気はしんと澄んでいて、半袖Tシャツでは肌寒いくらいだ。

 先ほどの早希の話のせいで敏感になっているのか、物音がやけに耳に入ってくる。

 さすが臆病になり過ぎだが、樹々の間から絶えず、視線を感じるような気さえする。

 何となく、林道を外れて獣道へと足を踏み入れてみる。

 怖いもの見たさというか、案外近くに行ってみればたいしたことはないだろうという、そういうおっかなびっくりの心境だった。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、というやつだ。

 一歩進むごと乾いた小枝がポキポキと折れて、足の下から子気味いい音が聞こえてくる。


 その瞬間、俺は足を止めて、硬直した。


 明らかに異質な音が、森の中から聞こえてきたのだ。

 まるで、人間の叫び声のような……。

 いや、まさか……と笑い飛ばそうとしても、思うように表情筋が動かない。

 俺の足は凍りついたように、その場に止まったままだ。


『この近くで行方不明事件が起こってるのよ。それも数件、重なって……』


 早希の言葉が脳内に蘇る。

 あれは、本当に嘘だったのだろうか。

 朝刊…… そうだ。

 早希は朝刊で読んだと言っていたのだ。

 そして、俺にも新聞を読むように勧めた。

 それも、嘘だったのだろうか。

 ちょっと不自然じゃないか。

 捉えどころのない違和感を覚える。

 不協和音のような、不安が渦を巻いていく。

 急に動き出した足が、勝手に進んでいく。

 あの奇怪な声の方へと、一歩、また一歩と近づいて……。


 そして、俺は音の正体へとたどり着いた。


 人影が二つ、茂みの中で動いていた。

 二人とも見覚えがある、天文部員だ。

 一人がもう一人に覆い被さるようにして、せわしなく小刻みに揺れている。

 荒い息遣いとともに、時折声が漏れる。

 なるほど、今目の前の二人は行為の真っ最中というわけだ。

 さすが童貞卒業率八割を誇る、天文部夏合宿だけはある。

 すでに早くもそういう関係になっていたということなのだろう。

 思わず、その場にへたり込みそうになる。

 しかし、あの二人に見つかったら、たまったものではない。

 俺は、出来るだけ物音を立てないように、その場から離れて行った。

 あいつら、パニックものなら真っ先に犠牲になるだろうな。

 そんなことを考えながら、俺は来た道を戻ってキャンプ場へと帰る。


 その途中で、瑠花と出会った。

 やっと起き出して、気分転換に周囲を散策しているといった様子だった。


「あっ、えっと……日比谷。だっけ?」


 俺の姿を目にすると、瑠花はぶっきらぼうな口調でそう聞いた。


「そうだけど。良くなったんだ?」


「うん。来るときのアレ……わりぃ。まさか吐くとは思わなかったから」


 ギャルのくせにそんなしおらしい口調で答えるので、何となく居心地が悪くなる。

 そのまま、俺と瑠花は何も言わずに見つめ合って……。


「……ぶふっ」


 瑠花は、俺を見てふき出した。


「バカ、いっぱい付いてる」


 瑠花が指さしながらそう言うので、何かと思って見回すと、俺の服に一面に植物の種がくっ付いていた。


「あっ……」


 さっき薮の中を歩いたときに、くっ付いて来たのだろう。


「ふふふっ……バァーカ!」


 瑠花は、笑いながら走り去ってしまった。

 取り残された俺は、身体中にくっ付いた種を取るのに一苦労だった。

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