第29話 魔法少女、降臨!
「待ってください」
僕は政野さんを呼び止めた。
帰ってきた言葉は、とても機械的でそっけなかった。
「あなたには関係のないことです」
「でも」
割って入ろうとすると、会場スタッフ……いや、たぶん変装した公安捜査官たちが立ちはだかる。
政野さんは冷たく言った。
「公務中です。妨害すれば、あなたの人生は保証できません」
究極の脅しだった。
足が止まる。僕の勘が、これ以上は踏み込むなと叫んでいた。
この街にやってきた頃の、賢く当たり障りのない生き方をしていた僕だったら、このまま引っ込んでいただろう。
でも、ミオノと知り合って、いろんな人と関わって、僕は相当バカになっていた。
「彼らが何したっていうんですか。ただ単に、空中から現れたり石の塊、消したりしただけじゃないですか」
それはそれでとんでもないことなんだけど、誰を傷つけたわけでもない。むしろ、僕はヒノエたちに助けられたことになる。
だから感謝の思いを込めて味方になったのに、ヒノエもいい加減、頑固だった。
「かばってもらういわれはない」
その言葉を受けて、政野さんも自嘲気味に言った。
「そうだ、わざわざ関わることもない。17年前に人助けとはいえ、こいつらと関わったばかりに未来を失った私がいい見本だ」
僕には何を言う資格もなかった。政野さんの人生と引き換えに、僕はこの世に生まれたのだから。
代わりにヒノエとその仲間たちが、政野さんと捜査官の前に立ちはだかる。
「連れていけ。逃げも隠れもしない。やましいことなど、何もないのだから」
言葉を失った分、身体が勝手に動く。
僕は両手で、政野さんとヒノエを押しのけていた。
「ダメだ! ダメだよ、こんなことしてたら、同じことの繰り返しじゃないか、いつまでも!」
政野さんが、不愛想に、しかし残念そうに言った。
「じゃあ、こいつらと一緒に……」
胸の前で指を構えたヒノエがつぶやいた。
「危ないから下がれ。ミオノに頼まれてな、お前に何かあったらって」
「それは……」
心配してもらって嬉しかったけど、今は困る。
ヒノエはすっかり勢いづいて、仲間たちをけしかける。
「じゃあ、派手にやろうか。どっちみち、しょっ引かれるんならな!」
万事休す。
どうやら、破滅の引き金は僕だったらしい。
そのときだった。
「やめてください」
頭の真上から、哀しみに満ちた、しかし誇り高く、凛とした声が響き渡った。
見上げると、講堂の天井高くに、ふわりと現れた影がある。
「私たちが、あなたの人生を歪めてしまったことは謝ります。でも……」
そう言いながらゆっくりと舞い降りてくる姿は僕にとって、まさに天使といってもよかった。
いや、天使なんかじゃない。
これこそが、魔法少女だ。
「ミオノ!」
そう呼んだ声は、太乙玲高校が育てた魔法使いたちの歓声に混じって、おそらくは届かなかっただろう。
もっとも、ミオノの声は別の意味で、政野さんに届かなかった。
「詫びに『でも』は禁物だな」
目の前に降り立った魔法少女を前に、国家権力の尖兵は、面白くもなさそうな低い声で言った。
それが政野さんだっていうことは、ミオノだって見れば分かったはずだ。
でも、その変貌ぶりには驚いた様子もない。
「あなたの罠で襲ってきた相手に、私たちは何もしませんでしたよね」
あのヤンキーたちは、政野さんに操られていたということだ。
いつもニコニコ笑っていた、ちょっと頼りない若禿げのオッサンだったのに。
何をどうやったのか知らないが、どこまでえげつないことをやってくれるんだろう。
「やれやれ、後腐れがないように手近な素人を使ったんだが……私もヤキが回ったか」
負け惜しみというには、ちょっと自嘲気味だった。僕に過去の怨念をぶつけてきたときの政野さんと同じ人物には、とても見えない。
そのせいだろうか、ミオノの口調は優しかった。
「私たち、このことは黙ってます。だから……なかったことにしませんか? この件」
頭に血が上った相手をなだめるというよりは、傷ついた人をいたわるといったほうがいいだろう。
そんなミオノの気持ちは、魔法使い同士だと伝わりやすいものらしい。
さっき講堂を出ていった太乙玲高校の生徒たちが、神奈原高校の生徒たちを連れて戻ってきた。
もちろん、何が起こっているのかは、魔法使いでなければ分からない。
制服姿の女子高生と睨み合う、よれよれのTシャツにジーンズ姿で頭の禿げた中年男の姿は神奈原高校の生徒から見れば、かなり異様に映るはずだ。
ひそひそと囁き合う声が聞こえ始める。
……なにアレ。
……あのオッサン、なにムキになってんの?
……っていうかさ、変質者っぽくない?
講堂中に、さっきとは質の違う、妙な緊張感が漂い始めた。逃げ出そうにも、足がすくんでどうにもならないとかいうのではない。むしろ、誰もがこの場にいたたまれないくらい、どうすることもできないのだった。
たぶん、こういう雰囲気にいちばん慣れているのは、僕だ。
動けないでいる政野さんにそっと歩み寄ると、耳元で囁く。
「帰るんなら、今だと思います」
逃げの人生を送ってきた分、引き際を悟るのは、誰よりも早いつもりだ。あまり自慢できたことじゃないけど。
政野さんが振り向いて見渡したのは、いかにも夏場の若者っぽい格好をした部下たちだった。
会場スタッフの大将らしく、ふんぞり返ってドラ声で命令する。
「撤収!」
そこで僕は、とっさに頭を下げた。
「ありがとうございました!」
ミオノがそれに倣って、胸に手を当てて一礼する。太乙玲高校の生徒たちが、前に進み出た会長と共に同じ仕草をする。
神奈原高校の生徒も、一斉に頭を下げた。
ありがとうございました、の大合唱に押されるようにして、会場スタッフに身をやつした公安捜査官たちがせっせとバラしはじめたのは、人間ではなく照明や音響効果の機材だ。
政野さんは僕たちに向き直ると、深々と腰を折った。
謝罪とか反省とかいうのではない。それはスタッフの元締めとしての、クライアントへの礼儀に過ぎないのだろう。その証拠に、顔を上げたとき、目は笑っていなかった。しかも、相手は僕じゃない。
ミオノを見据えて苦笑いしながら、政野伽藍は捨て台詞を吐いて
「いつだってそうだ、お前たちは」
講堂の外へ去っていく若禿げのオッサンに、ミオノは特に返事をしなかった。ただ、魔法少女の可愛い顔に、いつも僕に見せていた不敵な笑いを浮かべただけだ。
そうやっている間に、いつしか機材の撤収は終わっていた。
「助かった……」
どっと力が抜ける。なんだか、一世一代の大芝居を打った後のような気分だ。
僕がその場にへたり込むと、ミオノはしなやかな腕を背中に回して抱きかかえてくれた。
情けない姿に皮肉のひとつも浴びせられるかと思ったが、その言葉は僕にも優しかった。
「ありがとう。ごめんなさい、私たちのために、こんな」
図々しいかもしれないが、僕の活力は俄然、回復した。
いい雰囲気だ。もしかすると、チャンスかもしれなかった。
僕は精一杯、爽やかな声で答えてみせる。
「ううん、いいよ。このくらい、そうだ、これが終わったら打ち上げなんか……」
もちろん、口実だ。
暗い道を家まで送っていくとか何とか理屈をつけて、ふたりきりで歩いている間に、その勢いで告白とはいかなくてもデートの約束くらいは……。
そんな僕のもくろみは、もろくも崩れ去っていた。
相手が目の前にいないのでは、どうしようもない。
辺りを見渡してみると、太乙玲高校の生徒たちは、神奈原高校の生徒の手伝いで椅子の撤収にかかっている。
だが、そこにはミオノの姿はおろか、ヒノエたちの姿もなかった。
ただ、どこからか、ミオノの寂しげな声だけが聞こえた。
「これでいいの。もともと、住む世界が違うんだから」
何が起こったのか、もう、察しはついていた。
たぶん、ミオノはヒノエたちと「狭間潜み」の呪文で姿を消したのだ。
時空を操っているのだから、すぐそばにいるのか、遠くに行ってしまったのかはわからない。
それでも、僕は微かな声で答えてみる。
「違わないよ」
太乙玲高校と神奈原高校の生徒たちのはしゃぐ声が、講堂にこだましている。そのきになれば、うまくやっていけるはずだ。
それでも、ミオノの返事はつれなかった。
「ありがとう、別の世界を見せてくれて」
どうやら、魔法使いが住むのは魔法使いの世界しかないというのは、譲れないところらしい。
もちろん、そう言われても僕は諦める気などない。
「元の世界も、別の世界もない……あるのは、ミオノのいる世界だ」
これが、僕の告白だった。
もっとも、それがミオノに通じたかどうかは分からない。
「楽しかった……またね」
そう言う割には、それっきりだった。
ミオノはおろか、「狭間潜み」を蘇らせた生徒たちの姿さえも、僕が再び見ることはなかったのだ。
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