第9話 第1日目の調査報告
そこへ現れたのは和歌浦新……県立神奈原高校の生徒会長だった。
まるで僕たちの会話を聞いていたかのような絶妙のタイミングで、廊下の曲がり角の先から悠然と現れる。
長瀬雪乃の追及が、そこでぴたりと止んだ。
僕の傍らで、ミオノが皮肉たっぷりに、深々とため息をつく。
《ツイてるじゃない、佐々クン》
確かに、その通りだった。
長瀬雪乃は僕に、いわゆる嘘の告白……「嘘コク」で恥をかかされようとしていたと勝手に思い込んでいたわけだから、弁解のチャンスが与えられたのは幸運だった。
もっとも、幡多ミオノに頼まれてカマをかけていたことだけは言うわけにいかないから、どっちにせよ嘘をつかなければならないことに変わりはない。
こう言えばああ言い返される式のシミュレーションを頭の中で超高速展開しているうちに、生徒会長は僕に歩み寄った。
そのひと言で、全てが解決する。
「ああ、探したよ」
僕と生徒会長が知り合いだと知った瞬間、長瀬雪乃の態度は、まるで別人になったかのように変わった。
まず、目つきがもう違う。
自分を除いてはこの世に人間と呼ぶべき生物はいないかのような、あの冷たい視線が、愛と人道の聖女のごとき愛のまなざしに変わる。
嘘コクで僕にコケにされたという思い込みで強張らせていた表情と身体が、一気に緩んでいった。
それどころか、感激に身悶えしながら、熱い吐息と共にその名を呼びさえしただ。
「和歌浦さん!」
もう、その目は僕など見てもいない。その瞳には、千両役者のごとく微笑む生徒会長の姿だけが映っている。
正直、女の子なんてこんなものか、という気さえした。ちょっと可愛くて、ちょっと男子から関心を向けられただけでいい気になって、そのくせ、もっと見栄えのする男子が現れると、それまでのことなど何事もなかったかのようにそっちへとなびく。
ミオノはそうじゃない、と思いたくて傍らに目を遣ると、そこにはもう、不機嫌に僕を見つめる幻影はなかった。
生徒会長は生徒会長で、その場を丸く収めてくれていた。
さりげなく、僕をダシに話を弾ませる。
「ええと、長瀬さん……だっけ。知ってるの? ほら、この、佐々四十三くん……転校してきたばっかりの」
さっきまでの険悪な雰囲気が、初対面のレベルにまで逆回転で引き戻される。
それこそ、さっき廊下の曲がり角でばったり出会ったアカの他人同士のように、僕と長瀬雪乃は互いの顔を眺めた。
当面の危機は去ったが、この先のやり取りを収める方法が分からない。僕が困り果てたのと同様に、長瀬雪乃も言葉を探しあぐねているようだった。
それをまた、生徒会長は代わるがわる見比べる。それだけで、僕は何か話さなければならないような気がして、よけいに焦った。
だが、長瀬雪乃は違った。
僕が気持ちの上で追いつめられているのを察したのか、ここぞとばかりにまくしたてる。
「そうなのよ! 今まで全然知らなかったのに、何か急に自己紹介とかされて話しかけられて、なんかもう、わたし、びっくりで」
嘘はついていないが、これではまるで僕が変質者のようである。こういう言い方はやめてほしかった。
確かに僕から声を掛けはしたが、どちらかというと、勝手に盛り上がったのは、長瀬雪乃のほうだ。
自分はモテて当然だと思うのは勝手だが、それで他人を貶めるのは許しがたい。
だが、その抽象の被害に遭った僕に、生徒会長からフォローらしいフォローはなかった。
それらしきものは、たったひと言だけだ。
「ああ、仲良くしてあげてよ」
こういう物言いもどうかと思う。
まるで、ちょっと変なヤツだけど、ひとりぼっちで気の毒だからあまり嫌わないで適度に構ってやってくれと言っているように聞こえる。
だが、長瀬雪乃はもう、僕なんか眼中にない。
当然のように、生徒会長に腕を絡めてくる。
その動きはしなやかだったが、肘の前後は巧みにロックされていた。
いつも逃げてばかりだと、それが出来ない状況も、見て分かるようになるのだ。
身体をぴったりと生徒会長に寄せると、その耳元で長瀬雪乃は囁く。
「ねえ、これからどっか行かない? わたし、補習終わったんで」
この女の正体がはっきりと分かっている僕でさえ、つい引っかかってしまいそうなくらい甘い声だった。
もっとも、そんなものに騙される生徒会長ではない。
愛くるしい笑顔を向ける長瀬雪乃を見つめると、その腕は、取るだけでするりとほどけるほど緩んでいた。
低めの柔らかい声で、生徒会長は囁き返す。
「いつになるか分からないけど、また今度」
たぶん、それはいろんな意味で、他の男には無理な断り方だった。
僕が校内にいる間、例のマギッターは唯一の連絡手段だったはずだ。
それなのに、真面目に補習を受ける優等生から遊び人へと変貌した長瀬雪乃が生徒会長の前からいなくなっても、ミオノの幻影は姿を現さなかった。
僕は仕方なく、生徒会長と共に校門へと向かった。
そこで待っていたミオノからは、僕へのねぎらいの言葉はなかった。
煮ても焼いても食えない、自意識過剰な二重人格女に嘘コク男の濡れ衣を一方的に着せられるまでの経緯は、それこそ路傍の石を蹴飛ばすかのように黙殺された。 すべての事情を知っているミオノは開口一番、僕ではなく生徒会長に頭を下げたのだった。
「すみません、和歌浦さん……コイツ使えなくて」
悪かったですね、いわゆるコミュ障で。
聞き込みなんていう慣れないことを、女の子とろくに話したこともないような男子が、住む世界の全く違う遊び人相手にさせられて、最初からうまく行くはずがない。
生徒会長にフォローしてもらうくらいのハンデは認めてほしいものだ。
だが、その救い主は救い主で、済まなそうな顔をして謝った。
「いや、ボクもこんなことしか」
さっきの対人スキルだってたいしたものなのだから、こういう言い方は下手をすると嫌味に聞こえる。
だが、そう思わせないのが生徒会長らしい。
ミオノが素直にこう言うのも、当然だという気がした。
「いえ、充分すぎるくらいです……本当は、私たちが自分でやらなくちゃいけないことなんですから」
ところで、僕はミオノの言う、「私たち」に含まれているのか、いないのか。
それは気になるところだったが、生徒会長が考えているのはもっと大きなことだった。
急に大真面目な顔になると、熱く語りはじめる。
「私はね、普通高校の生徒の、魔法高校の生徒に対する捉え方を変えたいんだ」
そこで、ミオノを見つめていた目は、急に僕へと向けられた。
「みんな、魔法使いを、別の世界の何者かだと思ってる。だから、交流しようともしないし、それどころか、何だか当たり前になってる偏見を鵜呑みにしたり、逆にそれを煽ったりすることもある」
僕は違う、と言いたかったが、今までの自分を顧みると、口が動かない。
それこそ、沈黙の魔法をかけられたかのように。
すると、生徒会長は僕の心のこわばりをほぐすかのように言った。
「人は、違うものへの本能的な拒絶感を抱く。それは、どうしようもないことだ。人間の感じ方は、変えられないから」
そう言ってもらえると、ちょっと気が楽になる。
だが、生徒会長の言葉は厳しかった。
「人の社会的な偏見って、非難するのは簡単なんだ。でも、自分の感じ方が変えられないのを弁えた上で、物の見方を変えることは難しいんだよ」
それは、僕にというよりも、生徒会長自身に言い聞かせているようにも見えた。
しかし、真剣な表情は、そこで急にほころんだ。
生徒会長は、僕とミオノを再び見つめると、自信たっぷりに言い切る。
「だが、行動を変えることはできる」
ミオノは、目を静かに閉じて頷いた。
何だか僕だけ取り残されたような雰囲気に、どう口を挟んでいいのか分からなくなった僕は、しどろもどろにこう言うしかなかった。
「あの、昨日はその、済みませんでした」
正直、生徒会長の言っていることが立派過ぎて、ついていけなかったのだ。
返事は、単純なものだった。
「こちらこそ。力になれてよかったよ」
穏やかにそう言ったところで、生徒会長はあさっての方向を向いて手を振った。
そっちを見てみると、明らかに神奈原高校の生徒ではない、目つきの悪い連中がにやにや笑いながら、面倒臭そうに手を挙げて応える。
これが、ああいうちょっとヤンキーがかった連中の挨拶なのだろう。
生徒会長は、そんな連中とつきあいがあるのを見られて気にする様子もない。
じゃあ、というひと言を残して、その場から去っていった。
ミオノもだいたい同じことを言った。
「じゃあね、シトミ」
礼も言わずに神奈原高校女子の制服の背中を見せて、さっさと歩み去っていく。
それはないだろう、と思った。
使うだけ使っておいて、説明はおろか、ありがとうのひと言もないというのは。
さすがに、呼び止めないではいられなかった。
「それで……」
ミオノは面倒臭そうに振り向く。
「何?」
そんな冷たい言い方をされるいわれはない。
だが、僕はその腹立たしさを抑えて尋ねた。
「だからさ、今日の……」
聞き取りの結果、長瀬雪乃はシロだったのかクロだったのか。
そのくらい教えてくれてもいいはずだが、ミオノは僕の問いをあっさりと切り捨てた。
「シトミは知らなくてもいいことだから」
不愛想にも、いや、人を馬鹿にするにもほどがある。
さすがに、僕も食ってかからないではいられなかった。
「納得いかない。だって……」
そこでやっと正面切って向き直ったミオノは、きっぱり言い切った。
「あれ、犯人じゃない」
結論だけ聞かされても、何が何だかさっぱり分からない。
あの裏表の激しい、そして自分はモテてあたりまえという態度を見せた長瀬雪乃は、ネット上で魔法使いたちへの誹謗中傷をしていても不思議はなかった。
それだけに、僕はそれを打ち消すだけの根拠を知らないではいられなくなった。
「何で分かるの?」
きっと、何か言葉や仕草のひとつひとつを細かく捉えたプロファイリング的な推理があるに違いない。
だが、その期待は見事に裏切られた。
ミオノは、あの軽薄な長瀬雪乃と、くだらない質問をした僕とのどちらに向けたとも分からない軽蔑を込めて、つぶやくように答えただけだったのだ。
「確かに私たちを見下してる。でも、バカすぎる。スマホ操作ひとつで人を操るタイプじゃない」
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