お酒談義

ジム・ツカゴシ

その一 WhiskyとWhiskeyの違い

 今、この小文をアイリッシュ・ウイスキー「ブッシュミルズ(Bushmills)」のグラスを片手に書いています。このブランドはスコッチ・アイリッシュ系のクリントン大統領の好みとして広く知られるようになりました。同社はアイルランド最古の蒸留所とされ、認可が下りたのが1608年とボトルに記してあります。ブレンド物でアルコール度は40度、口当たりの柔らかいウイスキーです。2008年には400周年記念ボトルが発売され話題になりました。 

 さて、「ウイスキー」には二通りのスペルがあります。このアイリッシュ・ウイスキーはkとyの間にeがあります。日本で目にするスコッチはkとyの間にeがなく、このスペルはスコッチ、カナダ製ウイスキーと日本製ウイスキーに限られています。

 日本で最初のモルト・ウイスキーの蒸留工場が鳥居信二郎によって山崎に設けられ、その工場長がスコットランドで正統の技法を修得した、NHKの朝ドラでお馴染みの竹鶴政孝でした。そのため日本のウイスキーは特例としてスコッチ並みに扱われ、日本では昔からウイスキーとはスコッチを指すのが常といえます。一方、米国では「ウイスキー」には通常はWhiskeyが使用されています。

 このスペルの違いは、スコッチの伝統を守るために他地域の業者を締め出すマーケティング手法だったと何かの書で目にし、ウイスキーはスコットランドが本家で、アイルランドやアメリカのバーボン・ウイスキーは傍流とばかり思い込んでいました。

 ところが、事実は逆で、アイルランドが親で、スコットランドはその分家に過ぎないことを先日知る機会がありました。アイルランドからスコットランドに渡った正確な年も記録に残っていて、それは1170年のことで、イングランド王のヘンリー2世がアイルランドを征服した際にスコットランドに持ち帰ったのだそうです。

 このヘンリー2世は1154年に始まるプランタジネット朝の初代で、法律の整備に大きな貢献をもたらした王でした。コモン法として知られる判例法はこの時代に大きく進歩しています。陪審員制度を導入したのもヘンリー2世の時代でした。

 このようにWhiskeyが先に存在したことになります。語源はアイルランドやスコットランドに最初に渡来したケルト族のゲール語で、Uisce Beatha(アイルランド)、Uisge Beatha(スコットランド)だったとされます。

 双方共にAcqua Vitae(命の水)という古くからの言い回しから出ていて、ゲール語は最初の語の末尾にeがあり、ここからUsquebaughの語が生まれたとされます。これからもeがある方が本流だったことがわかります。

 eを省いた方は、後に生まれたWhiskybaeなる語から出たようで、それは言い伝えの通り、スコッチ蒸留業者が差別化を図ったためです。

 スコッチ業者が差別化を考えたのは、その製造法の違いにも出ています。アイルランドのウイスキーは大麦やライ麦、あるいはトウモロコシやジャガイモをそのまま蒸すのに対して、スコッチは糖化液を作る過程に大麦を発芽させてから蒸す一工程を追加しています。大雑把なアイリッシュが気配りしなかった品質向上に几帳面なスコッチが取り組んだ結果で、産業革命の一翼を担ったスコットランドと、近代機械文明では勝ち目がないことから文学や芸術に活路を見出したアイルランドの違いがここにも現れています。これを知ると同じウイスキーでも味わいがもうひとつ増すことになります。

 この雑穀やジャガイモまで素材に使うアイリッシュ方式を新大陸に持ち込んだのが、アイルランドやスコットランドを経由して渡来した北欧バイキングの末裔たちでスコッチ・アイリッシュと呼ばれる人たちです。アパラチヤ山中で盛んに闇蒸留を繰り返し、これは今なお当地にムーン・シャインの伝統として引継がれています。月夜に密かに蒸留することからその名が出ています。

 アイルランドやスコットランドが故郷のスコッチ・アイリッシュが酒好きなのはごく自然のことです。ところが、信心深いこともこの人種の特徴で、酒の販売を禁じる禁酒地帯があちこちに存在します。我が家の近辺もつい最近まで禁酒でした。その我が家にも毎年密かにムーン・シャインの寄贈があります。無色透明で、昔ロシアで飲んだ安物のウォッカに良く似ています。

 このアイリッシュ方式を大量製造システムに乗せたのが、ケンタッキーが原産のバーボン・ウイスキーです。当地で豊富に収穫されるトウモロコシを素材にし、ミシシッピー河の水運を活用して大消費地である河口のニューオリンズの酒場街向けに売り込んだのです。

 建国当時の米国は独立戦争で米国を支援したフランスが友好国であり、住民にもフランス贔屓が多く、バージニア植民地の属領だったケンタッキー地方には住民が住む郡の名にバーボン(ブルボン王朝の英語読み)を採用するほどでした。そのバーボン地方で作られたウイスキーを、これも旧フランス領のためにバーボンの名を冠するニューオリンズの酒場通りのバー街に「バーボン・ウイスキー」と名付けて売り込んだのです。田舎人のケンタッキー人にしては客の心を捉えた上出来の市場開拓精神といえます。

 スペルは当然のことながらeが入ったWhiskeyで、トウモロコシが51%以上使用されることがケンタッキー・バーボンの条件になっています。このケンタッキー・バーボンは通常は6年あるいは8年物で、スコッチより寝かせる期間が短いのは、夏に気温があがるケンタッキーではスコットランドに比べて速く熟成するからです。

 日本ではジャック・ダニエルがバーボンの代表格とされていますが、ジャック・ダニエルはテネシー産でケンタッキー・バーボンではありません。もっとも親会社はケンタッキー州ルイビルにありますので、兄弟分ということになります。

 このジャック・ダニエルの工場もドライ・カウンティーと呼ばれる禁酒地帯のど真ん中に位置し、近辺の住民が手にすることがないウイスキーです。

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