恋に関する掌編集

モギハラ

行止まりの恋の話

あらためてまじまじと見ても、やっぱり似ていない兄弟だとウェニーは思う。

髪質、髪の色、眼の色、顔形、性格、どこをとってもそうだ。


派手な色の服を着て豊かに波打つ金髪を長く伸ばし、色とりどりのメッシュを入れているルイは太陽のように輝き、どこにいても目立つ。

ひきかえ、地味な色の服に身を包み、背を丸めて、一歩引いてあくまでひかえめに振る舞うエミールは月ほどにも目立たない。


共通することを挙げるとしたら、

この兄弟は小さいプティという姓に似合わず二人して背が高い。

弟のほうは180少し、兄のほうは2m近くで体格も良く、クマのようだ。


そして、二人とも実に付け入りやすいお人好しだ。


ウェニーは物心ついた時から、男をうまく転がして生きてきた。

服の専属モデルとしてルイのもとを訪れた時から、この兄弟のことも金ヅルとしか思っていなかったし、実際、兄のルイにはそういった類の人間が次から次へとむらがっていた。

天才デザイナーの名を欲しいままにしたルイのもとには金も名声も、この世の全てが集まった。社交的で金に執着がないルイは、誰でも懐に招き入れた。


そんな兄を心配してか、たびたび訪ねてくる弟のエミールもまた、いかにも押しに弱そうな頼りない青年に見えた。何か疑念を持たれても、しおらしく悲しい過去のひとつでも語ればすぐに同情してくれるのだろう。

ちょっと取り入って、懐に入って、もらうものをもらって、去る。

いつものウェニーにとっては、単純かつとても簡単な仕事に思えた。


だが、結果としてウェニーの目論見は失敗した。

大きな誤算があったのだ。


今となっては仮定でしかないが、彼女が完璧に己のいつものライフワークに徹していれば、一生遊んで暮らせるぐらいのお金を手にするか、彼らを踏み台にしてそれに相当する暮らしを得ていたかもしれない(少なくとも彼女の計算のうえでは)。

でも、そうはならなかった。何故なら、彼女は完璧ではなかったからだ。

簡単に言えば、ルイという芸術家に、恋をしてしまった。


ルイは太陽のように周囲を照らし、その才能でもって誰をも虜にしていた。

大きな図体をして子供のように笑い、常に好奇心に溢れている。

結局ウェニーも、その光を求めて飛び込む羽虫の一匹のようだった。

ウェニーは自分にこんな一面があるとは思わなかった。

全くの計算外であり、戸惑いの連続だった。

現実主義を自負してきた今までからしたら、手に入らない男に熱を上げるなんてあり得ないことだった。

そのはずなのに、殊勝にも「そばにいられればそれでいい」とさえ考えるようになった。


過去の自分に見られれば、指をさして笑われるだろう。

それでも、他人にこの恋についてどうこう言われるのは許さない。それぐらいウェニーは本気だった。


さらに想定外だったのは、朴念仁と見えたルイの弟が、ウェニーの恋心にいち早く気づき、指摘したことだった。

これは深く関わるようになってからわかったことだが、彼は思ったより人をよく見ている。取るに足りない小さな誤算だが、これも後々大きく響くことになった。


ルイへの露骨なアプローチをやめ、モデルとして彼に選ばれ続けることにこだわり始めたウェニーに対して、エミールは遠慮がちに、それでも言わねばならないと覚悟したような顔で声をかけた。

「あの、ウェニー。おせっかいかもしれないけれど、兄には」

「知ってるわ」

ウェニーはぴしゃりと彼の言葉を遮った。

「おせっかいだとわかってるなら、なにも言わないでちょうだい。言葉の無駄づかいよ」

ウェニーの剣幕を見て、エミールは言おうとしたことを飲み込むように口を結んだ。そして困ったように微笑み、「ごめんなさい」と会釈してその場を去った。


ルイには、別れた妻と子供がいる。

別れた経緯は調べればすぐにわかったが、もともとルイのミューズであった妻からの、ほぼ一方的な離婚だったらしい。

妻の浮気があったとか、ルイの奔放な生き方が別れの原因だとか、ルイがそもそも不能であったとか、まあ無責任に面白おかしく脚色された、下世話な噂話のたぐいを聞いたが、ウェニーはどれもさして面白いとは思わなかった。ただ、何よりも面白くなかったのは、ルイ本人の姿勢だった。

ルイは彼らの写真を生活空間のどこからでも見える場所に飾っていて、子供からの手紙を嬉しそうに眺め回し、面会の日は目に見えてソワソワして、車に抱えきれないぐらいプレゼントを積んで出かけていった。子供へのプレゼントだけではない。ルイが大事にしているマネキンのサイズぴったりにドレスを作って持って行くのだ。

それを知った時ウェニーは目眩がしたし、怒りさえ感じた。

なぜ妻がこれほどの才能と金と名声と愛情を持つルイを捨てたのか、ウェニーには理解できなかった。捨てたのなら私にくれたっていいじゃない、と思うが、当のルイ本人が彼らのことを忘れられないのだから、どうしようもない。

とにかく腹立たしくてみじめで未練で、どこにも行けない、行き止まりの恋だった。


ぶつけどころのないモヤモヤを抱えるウェニーにとって、ルイの弟はちょうどいい話し相手だった。こちらの言葉を基本的に否定せず聞き役をしてくれるので、思うまま愚痴を言えた。

ただ、ウェニーが自暴自棄なことを言うと、大真面目に彼女を諌め、慰めようとした。それに救われることもあれば、妙にカンに障って扇子でひっぱたきたくなることもあったし、実際軽くひっぱたいたこともある。

叩こうがものを投げようが、エミールはさして怒らなかった。

だからウェニーは非常に単純に考えて、あんた、私に惚れてんの? と尋ねた。

エミールは少し驚いた顔を見せてから数秒考えてから、キミのそういう前向きなところは好ましく思う、と答えた。

まったく失礼な話だ。まるでこっちが振られたみたいじゃないか。

ウェニーは「あんたのそういうバカ正直なところがムカつくの」とクッションを投げつけた。それでも彼は、困ったように笑っていた。


ルイが新たな発見の旅とかなんとか言って、世界周遊へ出かける時、ウェニーはこれが彼を手に入れる最後のチャンスだと思ったし、同時に絶好のあきらめ時だとも思った。破天荒なルイの旅に同行するのなんて、苦労するに決まっている。ルイなら好奇心にまかせて、泥だらけのジャングルへだって喜んで分け入って行くだろう。

そしてどういうわけか、弟のエミールも同行するというのだ。それをウェニーに伝えた時の彼の顔と言ったら。まるで兄と同じような、キラキラした目をしていたのだ。


ウェニーはなんだか裏切られたような気持ちになった。

「あなたも、太陽の周りの衛星のはずだったじゃない。私と同じように、光を受けてはじめて輝ける存在だったはずなのに、どうしてあなたがルイと同じように輝いているの?」

そう聞きたかった。

ウェニーはルイに憧れていた。ルイの放つ光に目が眩みながら、あたたかさを求めて手を伸ばすだけだった。そして、エミールもまたそうなのだと、勝手に仲間意識を抱いていたのだ。あるいはルイの放つ光が強すぎて、彼のことが見えていなかっただけなのかもしれない。それに気づいたときは何より腹立たしかった。ルイにでも、エミールにでもなく、自分自身に腹が立ってしょうがなかった。

いつもの皮肉でもヒスでもなく、ただ、「行ってらっしゃい」なんて殊勝な言葉をどうにか絞り出すので精一杯だった。

エミールは虚をつかれたように、「きみは兄さんについて行かないの?」と尋ねたが、ウェニーは首を振った。だってもう、気づいてしまったのだ。


ウェニーは彼らの出立の1ヶ月前に、手紙を残して彼らのもとを去った。わざと痕跡を残して行ったのは、みっともない恋心の最後の足掻きだった。

駅まで見送りに来たのはやはり、弟のほうだった。

ホームに立つエミールは息があがっていた。ウェニーは列車を何本も見送って待っていたのに、ちょうど出ようとしていたフリをした。結局その便も見送って、ふたりベンチに横並びに座って、次の電車までの時間を待った。

「残念だわ」

ウェニーは子供っぽくむくれてみせた。

「ルイが来てくれたら、ついて行こうと思ってたのに」

「兄さんは来ないよ。ぼくが来るなと言ったから」

なんて奴! とウェニーは呆れた。やっぱり目の前の青年は誰よりウェニーのことをわかっているのだろう。ご丁寧に、展望のないこの恋にとどめを刺してくれたのだ。

「やっぱりあんた、最後までムカつくわ」

エミールはいつものように笑って、ルイからだと言って大きな紙袋を押し付けてきた。

「いらない」

ウェニーも負けずに、にっこり笑ってつき返した。どうせドレスやらなんやらが入っているのだろう。だが、もうルイの作ったものを着るつもりはないのだ。

エミールは断られたことにはそれほど驚かなかったが、

「…兄さん、悲しむよ」

「それは傑作だわ」

最後ぐらい、私のために悲しめばいいと意地悪なことを思う。

「本当にもういいの。あんたのお兄さんのそばじゃ、私の光はかすんじゃうから」

「ぼくも、寂しいと思う」

「あら、やっぱりあんた、私に惚れてたの?」

「…どうかな、きみはどうだったの?」

エミールは前のようには驚かず、いたずらっ子のような顔で聞き返した。こんな顔ができるようになったのは、教育に悪い女がそばにいたせいだろうか。発車ベルが鳴り響くなか、人もまばらなホームで見つめ合ってみたが、バカバカしくなってウェニーは笑い出してしまった。

「あー、おっかしい。ほんとにね、あんたのことは、これっぽっちも眼中になかったわ」

「やっぱりそうか。ほら、もう列車が出るよ」

辛辣な物言いにも、傷ついた顔ひとつしないのだから面白くない。発車ベルの音にかき消されないよう、青年のシャツを掴んで顔を近づけた。

「でもね、見送りに来てくれて嬉しかった」

ウェニーは素早く青年にキスをして、列車に飛び乗った。

窓越しに振り向いたら、やはり豆鉄砲を撃たれた鳩のような顔をしていたので、ウェニーは大笑いした。

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