イトニル戦記後日譚~召喚英雄の故郷の味~

ポムサイ

イトニル戦記後日譚~召喚英雄の故郷の味~

「このスープのレシピを教えてもらう事は出来ないだろうか?」


 軍人はウェイトレスの少女に低く抑えた声で話し掛けた。その思い詰めた表情に驚いたのか、少女は「少々お待ちください」と早口で言うと逃げるように厨房へ消えて行った。

 彼は目の前にあるスープを木製のスプーンですくい口へ運ぶ。そして、目を瞑り全神経を味覚へと集中した。


「あの…軍人様、お呼びでしょうか?」


 目を開けると、この食堂のシェフが少し距離を置いて立っていた。過度の緊張のせいかその額には脂汗が滲んでいる。


「ああ、すまないな。このスープのレシピが知りたいのだ。もちろん無理な事を言っているのは自分でも分かっている…。それ相応の礼はするつもりだ。頼む。」


 軍人は立ち上がりシェフに頭を下げる。その様子を見て事の推移を見守っていた他の客達がざわついた。


「あ…いや!お願いですから頭を上げて下さい!分かりました!分かりましたから!」




 イトニルという国がある。

 北と西に大海が広がり、東に山脈を挟んでグルワース帝国、南に魔族が支配する国が湿地帯を挟んであった。

 15年前、異常気象による食料難を発端にイトニルの広大な穀倉地帯を狙いグルワース帝国と魔族の国が時を同じくして国境を越えた。軍事力の高いグルワース帝国、異形の怪物や巨人を有する魔族の国にイトニルは徐々に国土を失っていった。

 前線が内地に押し上げられた時、グルワース帝国と魔族の国がぶつかり、両国は交戦状態に入った。両軍の戦力は拮抗しており、前線は膠着した。これを期にイトニルは魔術兵団を投入。潰し合い弱ったグルワース、魔族両軍に対し大打撃を与え、勝利は目前であった。

 開戦から10ヵ月後、イトニルにとっては死刑宣告とも取れる情報が入った。グルワース帝国、魔族の国の増援、そして停戦及び軍事同盟締結。




「…で、これがメインになる食材なんですが、これが何なのか実の所、私にも分からないんですよ。」

 

 閉店後の厨房でシェフは布に包まれた粘土の様な物を軍人に見せる。


「これをどこで手に入れた?」


 そんなつもりはなかったのだが、軍人のドスの利いた低い声にシェフは再び脂汗を滲ませた。


「これはそんなにヤバい物なんですか!?申し訳ありません!!もう使いませんから御容赦下さい!」


 今にも床にひれ伏さんばかりのシェフを軍人は慌てて止めた。


「いやいや、そう言う訳ではないのだ。そんなに緊張しなくても良い。私はただあのスープのレシピが分かればそれで良いのだから…。で、それはどこで手に入れたのだ?」


 未だ脂汗の止まらないシェフは少し躊躇った後に口を開いた。


「カムリの魔女『ルー』は御存知ですか?」


「いや、知らないな…。カムリとは随分と遠いじゃないか。」


 カムリはこの食堂のある街から馬でも5日はかかる辺境の村だ。


「ええ、カリム産の獣は肉質が良い事で有名なんです。それをウチの店でも出せるように出来ないかと思いましてね。昨年末に卸してくれる猟師と運んでくれる人足を探しに行ったんですよ。村を歩いていると嗅いだ事のない良い匂いがして来ましてね。誘われる様に戸を叩いた家がルーの家だった訳ですよ。」


「ほ~。…で、その匂いの元がこれだった…と?」


「そうです。私は経緯を話しましてこれは何なのか、そして売って貰えないか交渉して譲ってもらったんです。結局これが何なのかは教えてはくれませんでしたが…。」


「なるほど…。悪かったなありがとう。」


 軍人は金の入った小さな袋をシェフに渡すと店を後にした。




 開戦から三年が経つ頃、イトニルは半分の国土を失っていた。だが、グルワース、魔族の軍はなおも進攻を続けていた。頼みの魔術兵団も大半が戦死し、もはや『兵団』を名乗る事が憚られる状態だった。 

 追い詰められたイトニルは禁忌とされている秘術に手を出す事にした。

 『異世界召喚』

 異世界より英雄を召喚する秘術である。その結果1500人を超える術者の犠牲の上に20人の英雄を召喚することに成功した。





「誰だい…こんな夜更けに…。」


 ぼやきながら戸を開けるとイトニル軍の軍服を着た男が立っていた。装飾からかなり階級の高い軍人である事が分かる。


「遅くに申し訳ない。私はイトニル軍将軍のノウェという者です。ルーさんに御目にかかりたいのですが御在宅ですかな?」


 ノウェと名乗った男は偉ぶる事なく彼女に言った。


「ルーは私だよ。」


 ルーが名乗るとノウェは驚いた表情を見せるとばつが悪そうに笑った。


「これは失礼。私はてっきり…。」


 そこまで言うとノウェは言葉を飲み込んだ。


「…『魔女』って聞いていたからてっきり婆さんだと思っていた…ってところだね。」


 ルーは地味な服と長い黒髪は魔女と呼ぶに相応しい姿だったが顔立ちの整った20代後半の細身の女性だった。


「まあ…そんなところです。」


 ルーが言うとノウェはニカリと笑った。


「で、その将軍様が私に何か用かい?」


「貴女は何人目なんですか?」


 ノウェがそう聞くとルーの顔が厳しくなる。


「何の話だい?」


「私は…5人目なんです。」


 ルーは眉をぴくりと動かすとノウェに家に入るよう促した。





 異世界から召喚された英雄達は恐るべき能力を持っていた。特筆すべきはこの世界に召喚されるまで彼ら自身その能力の存在すら知らなかった事であろう。ある者は山をも砕く一撃を…ある者は空の彼方から星を落とす魔法を…またある者は絶命寸前の兵士を完全に治す癒しの力を使う事が出来た。

 彼らの活躍によりイトニルは瞬く間に前線を押し下げて行った。

 英雄が召喚されて半年後、元の国境まで国土を回復したイトニルはグルワース、魔族に対して賠償金の支払いを求めた。その求めに応じなければこのまま軍を進めるとも通告した。両国はそれを受け入れ三年半に及ぶ戦乱は幕を閉じた。この時、召喚された英雄の半数の10人は命を落としていた。

 




 ルーはグラスに透明な液体を注ぎノウェに薦めた。その香りを嗅ぎ何かに気付いたノウェは一気に飲み干した。


「ルーさん、これはまさか…。」


「将軍さんが思っている通りの物だよ。首都の食堂であれを飲んで訪ねて来たんだろ?ああ、それと質問にまだ答えてなかったね…。私は20人目だよ。」


 そう言いながら空になったノウェのグラスに液体を注いだ。ノウェは今度は味わう様にゆっくりと口に含む。


「…もう二度と口にする事はないと思っていましたよ。これは魔法で作ったのですか?」


「まあね。でもそれだけじゃない。私は専門家……になる為に学んでいたからね。」


 ルーは本棚から数冊抜き出してノウェの前に置いた。『発酵学』『有用微生物学』の文字が並ぶ。


「大学ですか?」


「ああ、2回生だったよ。あんたは?」


「私は建築会社で働いてましたよ。まさかこんな事になるとはね…。お会いした事がないという事はルーさんは南方戦線だったんですか?」


「そうだよ。じゃああんたは東方だったんだね。」


「はい。ルーさんは軍や政府には残らなかったんですね。なぜですか?」


「……この世界に一緒に来た男がいてね…。まあ、恋人だったんだ。その男が私を守って死んだんだよ。あそこに残ったらどうしても思い出しちまうからね。」


「そうでしたか…。」


 ノウェは申し訳なさそうに俯いた。


「昔の事さ。気にしなくて良いよ。同郷のよしみだ…また来るといいさ。もう少しであれも出来そうなんだよ。」


 ルーは手をヒラヒラさせながらグラスを飲み干す。


「来てもよろしいんですか?それにあれとは?」


「私達には必要な黒い液体だよ。」


 そう言うとルーは愉しそうに笑った。


「それは本当ですか!?楽しみだ!実に楽しみだ!!」


 ノウェは大声で言いながら身を乗り出す。


「そう慌てなさんな。そうだね…後二月位待っとくれ。それとな、こんな夜更けにうら若き女性の家に男がいるってのはどんなもんなのかね?」


 ルーが両肘をつきながらノウェを見据えるとノウェはハッとして慌てて席を立った。


「これは申し訳ない!そうですよね。今日はこれで失礼します!次は昼間に来ますんで…。」


「ちょっと待ちな。」


 荷物を小脇に抱え家を出ようとするノウェにルーが声をかけ紙の包みと瓶を押し付ける様に渡した。


「これは…。」


「いいから持って行きな。そんなに量はないからね…大事に使うんだよ。」


 包みの匂いを嗅いだノウェは子供の様に満面の笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。最後にルーさん、貴女の本当の名前は何ていうんですか?」


「三田村留美だよ。あんたは?」


「井上忠康です。」


 お互いに名乗り笑い合うと再開を約束してノウェは外に出た。


 召喚されし英雄…鬼神と怖れられた男は月夜の晩、もう二度と帰れない故郷の味を抱いて軽やかな足取りで宿へと帰って行った。


 


 


 




  



 


 


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