第2話 デスペラント吹き替え
2-1
「この島に、私以外の日本人っているんですか?」
「うん、何人か知ってるよ」
尋ねられたキュウがこくりと頷いたので、モリはホッと息を吐いた。
まず頼るにしても、できれば日本人を探したいとモリは考えた。目の前の彼らとは異文化コミュニケーションゆえの行き違いが起きているのかもしれないし、もしかしたら自分のことが何かわかるかもしれない。知り合いがいるかもしれない、とまではいかないが。
「どんな日本人を探してるの?」
「えっと…日本に連絡する方法を知ってそうな人…」
思わず正直に希望を述べてしまうと、やはり難しい顔をされてしまった。
「…うーん、それは…」
帽子の男性のなんとも歯切れの悪い返事に、キュウが続けて言った。
「…だれもあなたの帰り道は知らないと思うよ。ひとり残らずみんな迷子だから」
その奇妙な言い回しがひっかかって、モリはすぐに聞き返す。
「迷子? みんな、この島に住んでるんでしょう?」
「元々は違う時代や、国で生きていた人たちが、どういうわけかいつの間にここへ来てるんだよ。そして、帰る場所がないからここにいる。あなたのように、記憶がない人もたまに来る」
「…そうなん、ですか…」
一旦彼らが前提としている物語を受けいれることにしたモリは、とりあえず頷いた。
「あの、ここへ来た時のこと、あなたも覚えてないんですか?」
とりあえずメガネの少年よりは辛辣でない、帽子の男性へ向けて尋ねる。
ここで初めて彼の顔をはっきりと見たが、彫りが深く、たまに地上波で見る洋画の主人公のように、ハンサムな顔立ちだ。空色の瞳にプラチナ色の髪なんて浮世離れした色だが、愛嬌のある表情や温かみのある声色が、彼の持つ雰囲気をやわらかくしているようだった。
こんな状況でなければ目の保養だと喜びもできたのかもしれないが、本当に今はそれどころではない心境だった。
「ううん、それがさっぱり」
モリの質問に、男性は大げさに肩をすくめてみせた。
「俺の場合は飛行機で海に突っ込んで、気づいたらここにいたんだ」
その時の様子を視覚的に説明したいのか、彼は左手で海面、右手で飛行機の動きを再現してみせた。ご丁寧に、擬音つきで。それを見るに、結構な勢いと角度でいったらしい。
「これで大怪我して死んだはずなんだけどなぁ、ここじゃどういうわけか五体満足だよ」
それだけの事故にあったわりには元気だと思ったのが、顔に出ていたらしい。
しばらくは死んだことが夢だったんじゃないかと思ったぐらいだ、と男性は笑ってみせたが、モリは曖昧に笑顔を返すことしかできなかった。
「…あの世とこの世の狭間っていうの、ここの人はみんな信じてるんですか?」
失礼を承知で尋ねると、やはり頷かれてしまった。
「今のところ、それが一番わかりやすい説明だからね。ここでは不思議なことが多すぎるし」
「不思議なこと?」
「色々ね。実際に見なきゃ信じられないと思うよ。魔法とかね」
また妙なことを言い出したな、と思ったのは、ばっちり顔に出ただろう。
2-2
「…それって何かの例えですか?」
モリの露骨に疑う反応に、帽子の男は特に気分を害した様子もなく、ははと軽く笑って流した。
「まあ、うん。そのうちわかるよ」
「えっ、本当に?」
今説明してもモリが信じないだろうと思ったのか、飛行機乗りの男性はそれ以上説明をしようとしなかった。代わりに口を開いたのはやはり、メガネの少年だった。
「…すぐに信じられて、一番わかりやすい例を言おうか?」
話すたびとんでもないことを言ってくるキュウに、今度は何を言われるのだろうとモリは不安になった。しかし好奇心に負けて、「たとえば?」と続きを促した。
キュウは勿体つけずにさっさと結論から口にした。
「たとえば、僕ときみと、横の彼とで話が通じていること」
「…どういうこと?」
モリは眉間にしわを寄せた。たしかに外国の人らしき彼らがみな流暢に日本語を話しているのには違和感があるが、それが何だというのだろうか。そんなモリの思考を読んだように、キュウは的確に問いかける。
「モリ。きみはいま、僕や彼が日本語を話してると思ってる?」
「ずっとそう聞こえてたっていうか、そうじゃないの…?」
「僕はイギリス人で、生まれてから一歩も自国を出てない。日本語を勉強したこともない。」
キュウが何を言おうとしているのか、モリにはわからない。モリだって、英語がわかるわけではないし、ダッドやキュウが日本語を喋っているのでなければ、意味がわかるはずもないのに。
キュウはメガネを上げて席ごとモリのほうを向いた。
「いまから、僕の口の動きをよく見て。耳に届く言葉を、言葉じゃなくて音だと思って聴いてみて」
モリは困惑しながらも、とりあえず言われた通りにキュウの口元と、聴こえる音に意識を集中させた。薄く青白い小さな唇が開き、ゆっくりと一音ずつ言葉を紡いだ。
「さて、僕は本当ニ日本語話シてル?」
そしてすぐに、モリは違和感に気づいた。なぜ気づかなかったのかと思うぐらい、奇妙なことが起きていたのだ。
だんだんと目を見開くモリをまっすぐ見つめながら、キュウは一言ずつ、ゆっくりと繰り返す。
「僕ハ、本当ニ、日本語ヲハナ死テ逝ル?」
口の動きと、耳に届く音は一致しているのに、頭で認識する言葉が違う。まるでちぐはぐだ。耳で聞いた音は、知っているどこの国の言語とも違う響きだった。それなのに何故か、字幕映画のように違和感なく翻訳され、意味が頭に入ってくる。
「えっ、何、いまの」
モリはゾッとして頭を振った。認識と現実がずれている。ずらされている。しかもそのことに、いままで違和感を持たなかったのだ。
キュウはモリの動揺を見て取ると、言葉を繰り返すのをやめた。そしてまた元の調子で…いや、いくらか柔らかく、モリに語りかける。
「あのね、モリ。きみは日本語で話してるつもりなんだろうし、僕もふだんは英語で話してるつもりだ。ちなみにそこにいるアルフォンソはイタリア語を」
「アルって呼んでくれてもいいよ。あと俺は英語も喋れるからね」
「はいはい、イタリア訛りのね」
ここで、ついでのように帽子の男性の名前も明らかになった。
「でも、英語じゃない」
「そう。自分でもよくわからない言葉を、知らないうちに発してるんだ。僕はこれを
「…ですぺらんと」
キュウの言わんとした意味は伝わったが、Death(死)とEsperanto(人造共通語)を組み合わせた造語だろうという発想は、モリには浮かばなかった。そもそも知識を持っていない単語に対しては、翻訳がはたらかない場合もあるようだ。
「じゃあ、英語は喋れなくなっちゃったの…?」
「いや、意識して喋ろうとすれば、母国語を元の音として話すこともできるよ。If I want to speak in English, I can. 」
「あっ、いまのは英語に聞こえた!」
ようやく聞こえる音と意味が一致して、モリはほっと息を吐いた。簡単な英語だったので、意味もわかる。続いてキュウは帽子のイタリア男、アルフォンソにも呼びかけた。
「アル、ちょっとイタリア語で喋ってみて」
アルフォンソはモリをじっと見つめて、ラテンっぽい響きで何かを喋った。
「Tu sei la donna della mia vita !」
そして、イタズラっぽくウインクしてみせる。
「…ええと、イタリア語なのはわかったんですけど、なんて言ったんですか?」
「たぶん聞かないほうがいいよ」
キュウはため息と共に首を振ってモリを止めた。
何か、からかうようなことを言われたのだろうか? モリは少し考え込んで、もしかしてと口を開いた。
「……下ネタですか?」
2-3
モリのあんまりな一言に、ぶはっとアルフォンソが吹き出した。
「違うよ、キミは運命のひとだって言ったの」
下ネタではなかったが、からかわれていることには変わりなかったようだ。
「ご、ごめんなさい…!」
言うに事欠いて下ネタって、とモリは自分の軽率な考えを呪った。男子中学生ではないのだから、そんなことあるかと自分をビンタしたくなった。
しかし冗談だとしてもよくまあそんな歯の浮くことを、真正面から言えるものだ。しかもそれが様になっているのだから、なんだか腹立たしい。モリは己の発言の恥ずかしさも手伝って、肩を縮こまらせすっかり小さくなった。大丈夫だよと微笑ましげに見られているのも更に居心地が悪い。
「と、とにかく!」
思いのほか大きな声が出て自分でも驚いてしまったが、無理矢理でも話を本題に戻し、この生暖かい空気から脱したかった。
「ここじゃどの国の人でも、言葉が通じるんですね」
「どんな時代でも、ね。バベルの塔が作られなかった世界みたいに」
キュウが例えとして出したバベルの塔。人が力をあわせ神の領域を侵したために、徒党を組めないよう言葉をバラバラにされてしまった有名な逸話。モリにとってはわかりやすい例えだった。
それにしても利発な子だと感心していると、モリがその例えがわからず黙っていると思ったのか、アルフォンソが口を挟んだ。
「キュウ、あまりややこしい例えはやめろよ」
「いえ、あの、バベルの塔はわかります」
「本当? ごめん、失言だったか」
確かに有名とは言ってもバベルの塔は旧約聖書の話だから、日本人が知らないかもしれないと思うのも無理はない。ばつの悪そうな顔をするアルフォンソに、モリは気遣いへの感謝を込めて大丈夫ですと微笑んだ。
「わからないことがあれば、質問します」
キュウは小さく頷いて、ずれたメガネを上げた。
「…そうして。僕はその色男みたいに気を使うのが得意じゃないからね」
「おい、嫌味はよせよ」
さりげない皮肉を混ぜるキュウを、アルフォンソは肘で軽く小突いてみせたが、するっと横に避けられて不発だった。大人と子どもだが、モリの目からは、ふたりがなかなかいいコンビに見える。
オレンジジュースを飲み終わったらしいキュウが、そういえば、と呟いて、立てられていたメニューを手に取った。
「モリ、メニューの文字も読んだ?」
「読んだけど…もしかして」
嫌な予感がしてモリは身構えたが、手渡されたメニュー表に書かれているのはどう見てもアルファベットだ。
「えっと、普通のアルファベット…だよね?」
「後ろのほうを見てごらん」
言われた通りメニューを最後までめくると、最後のページに挟み込まれた紙に、丸くのたくった奇妙な文字が書かれていた。
「なにこれ…特別メニュー、レモンアイス?」
そして、なぜか読めてしまったので、さらに面食らった。
「読めたでしょ? 自国語の読み書きができる人になら、その文字は読めるし、書けるみたいなんだ。この島の共通語みたいなものだね」
「そんな、便利だけど…どうして?」
「さあね。ぼくもいろいろ検証してみたけど、起きている現象に説明を後付けすることはできても、その原理はわからない。ここはとにかくそういうところなんだ」
「…このメニューがアルファベットなのはどうして?」
「ダッドがこの島に来る前から使っていたメニューだからだよ。ダッドは、店ごとこの島にやって来たんだって」
「お店ごと?」
オズの魔法使いのように、竜巻にでものってきたのだろうか。
「町外れにお店ごと、突然現れたんだ。まるで元々あったみたいに、ごく自然に、いつの間にかね。ここではそういうことがよくあるんだ。ダッドは生きていた頃のことも、全部覚えてるらしいし」
「そうなの…」
それならば、自分も財布ぐらい持って来られればよかったのにとモリは思う。一番持っておきたかったのは記憶なのだが。
「信じたくなければ、それでもいいよ」
キュウの物言いは辛辣に聞こえるが、いまの言葉はたぶん彼なりに気遣ったつもりなのだろうと、モリはなんとなく察した。こんな子どもにも心配されて、情けないやらありがたいやら、自然と肩が落ちる。
「ううん、ごめんなさい。信じたくないわけじゃないの。まだついていけてないだけで…」
「キュウ、その辺にしとけよ。お嬢さん…モリが日本人に会いたいのなら、そこまで連れて行くよ」
アルフォンソが親切に名乗り出てくれたが、とはいえ会ったばかりの男性だ。いきなりついて行ってもいいものかと躊躇しているのを察してくれたのか、彼は片腕でがしりとキュウを引き寄せて「俺たちが」と訂正した。キュウは迷惑そうにするりと彼の腕から抜け出したが、ついて行くことに異論はないらしく「モリ、それでいい?」と尋ねた。
「…ありがとうございます。お願いします」
子どものキュウがいてくれるほうが安心できるので、正直ありがたかった。
「よし、じゃあ早速行くか。ダッド、ふたりのコーヒー代は俺にツケといてくれる?」
「わかりました」
「そんな…あ、アルさん、私どうにかして払いますから」
出会ったばかりで奢ってもらうのも悪い気がして、払うあてもないのに断りそうになってしまうモリに、アルフォンソはニヤリと笑いかけた。
「コーヒーぐらい奢らせてよ。出会いの記念に」
まさかのウインク付きで、またもや歯の浮くことを言われてしまった。慣れないキザな物言いだが、あまりに自然で不思議と下心は感じない。ここまで言われてしまっては断るほうが無作法だ。
モリはありがたくこの申し出を受けることにした。
「コーヒー2杯分のご恩、忘れません」
「あはは、サムライみたいだね」
つい武将のような物言いをしてしまったうえ、それを指摘されて笑われたのでモリは少し赤くなりながらも、日本人ですから、と居直った。
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