第4話

緑子 …はぁ。相変わらずパッとしない顔してますねぇ。


真白 あ…はは…。


緑子 で、今になって、逃げてきたんですか?


真白 え?


緑子 ここには無いですもんねぇ、世俗の煩わしさが。


真白 あの、何の話を…、あっすみま⋯


緑子 あっきれた。まさか、自分がどうしてここに来たか、分からないんですぅ?


真白 …はい。


緑子 迷子になっちゃったんですねぇ。


真白 迷子に?


緑子 ええ。お節介でお人好しで優等生のあなたのことですから⋯世間が描く理想の人物像を、阿呆らしくも模倣し続けて。足元を見ず走っていたら、道を失ったってとこですかねぇ。ああ可哀想に。有りもしない偶像に手を伸ばして、すがって、その結果がこれですよ。


真白 …でも、その、正しいんじゃないでしょうか、良い人になろうとするのは。


緑子 良い人ぉ?周りにばっか気を遣って自分の意思を殺すのが?ああ、使い勝手が良い人ってことですぅ?


真白 そんな言い方…。


緑子 見ているだけで腹が立つんですよねぇ、自我を大切にしない方。そういう方に限って、その責任は全て周りに押し付けるんですから!


緑子 あいつのせいで私は我慢した。気持ちを抑えた。あいつを喜ばせるために私は犠牲になった。ああ、可哀想。そうやってどんどん自我を蝕んでいくんです、自分自身で。


緑子 ったく、雑に扱われる自我の身にもなってみろってんです。


真白 でも、自分を優先させたら、我儘って言われます。


緑子 臆病者が勇気あるものを妬み貶すのは世の常。何を気にすることがあるんですぅ?


真白 …みんなに責められたくない。それに、誰かの意思を尊重するのは良いことですよね…?むしろ、褒められます。


緑子 ⋯あなたは、お話の中に登場する聖人にでもなりたいんです?


真白 …聖人。


緑子 ええ。誰からも愛され、敬われ、どんな悪にも打ち勝つ、聖人。


真白 ⋯。


緑子 諦めなさい、そんなの絶対に無理なんですから。まさしく猿真似!


緑子 誰かのために生きましょう?自分のために生きられない人間に、どうしてその意味がわかりましょう!そうやって自己犠牲を厭わないのを良しとする風潮が自我の破滅や暴走を招いているだなんて、きっと夢にも思っていないんでしょうねぇ?


真白 …自我。


緑子 そう、自我。


真白 …私には、ない。


緑子 あらそう。


真白 …今の私は真っ白。ただの抜け殻。


緑子 …智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、兎角にこの世は住みにくい。


真白 ?


緑子 今の世なんて、さらに住みにくいのに。⋯それに気がついた人は、一体何をしたのでしょうねぇ。


真白 何を⋯。


緑子 どこに行っても住みにくいと悟ったとき、⋯絵ができる。


真白 絵。


緑子 ⋯ま、これはどうでもいい話です。それより。


緑子 自我を持ったことがないわけではないでしょう?とっとと取り戻して、もう二度と失くさないようにすりゃいいだけです。


真白 …自我を、取り戻す。


真白、辺りを見回す。


緑子 …まずは、足元から。ここがどこなのかを思い出しなさいな。


真白 思い出す?私…ここに来たことが…?

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