鐘が鳴る時に

池田蕉陽

第1話 本鈴


 授業中、教室内はしんとしていた。田中の耳に入ってくるのはシャーペンでの筆記音だけであった。生徒皆は竹本先生に与えられた日本史の課題に取り組んでいる。田中もそれに集中していた。


 そんな静まり返った中のことだ。一人の男子生徒が無言で席を立ち上がった。


 椅子と地面が擦れる音で、皆が一斉にどうしたのかと彼に注目する。彼は真ん中の席なので、四方八方から視線を向けられる形になっていた。田中も何だろうと彼に目を向けた。


「おい、どうした渡辺わたなべ


 授業の雰囲気を潰されたせいか、竹本がやや不機嫌そうに渡辺とやらに聞いた。


 しかし、渡辺はそれを無視した。ただキリッとした目付きで竹本を見据えている。そのことに田中は訝しく思った。


「どうして黙っているんだ。何か言え」


 三十代強面顔の先生が眉間に皺を寄せながら言うので、余計に顔の怖さが際立っていた。


 だが、竹本がそうなるのは無理もなかった。渡辺はそれにも反応しなかったのだ。ずっと変わらぬ表情でいる。


「いい加減にしろ!」


 怒りが頂点に達した竹本が黒板を強く叩いた。その音が教室内に響き渡る。思わず田中の肩は跳ね上がってしまった。


 頼むからこれ以上この怖い先生を怒らせないでくれ。田中がそう心に願った時、渡辺が何も言わずに竹本のいる教卓の方へ歩き出した。


「おい。さっきから一体なんなんだ」


 竹本は怒りを通り越して、不気味に感じている様子だった。田中も不気味という意味に関しては彼と同じ心中だった。渡辺の有り様が何となく薄気味悪いのだ。


 徐々に渡辺と竹本の距離が縮んでいく。その間、彼は怪訝な眼差しを渡辺に向けていた。


 そして、わずか二人の距離が三十センチに達した時だった。


 田中は目に映る光景が信じられなかった。


 一瞬のことだった。渡辺が懐から何かを取り出したかと思ったら、それを竹本の腹に目掛けて腕を伸ばしたのだ。


 あまりにも唐突すぎて、それがナイフだと認識するのに少し時間がかかってしまった。


 渡辺が一歩後退すると、竹本の白いカッターシャツがみるみると真っ赤に染まっていくのが見えた。


 竹本は声にならない悲鳴を上げながら、自分の腹に目を落とす。彼の目には自分の腹に刺さったナイフと、どす黒いものが映っているはずだった。


 やがて竹本は膝から崩れるようにして倒れた。少しの間身じろいでいたが、すぐに力尽きた蝿のように動かなくなった。


 田中は唖然としていた。当然だった。突然、人が目の前で殺されたのだ。しかも授業中にだ。


 田中は一番前の席に座っていたので、血飛沫が顔にまで飛び散ってきた。田中は高校三年生にて、初めて殺人現場を目撃したのだ。



 最悪な転校初日だった。


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