男が涙を流す時

桑原賢五郎丸

アニキとヒロ

 平日の20時近く。

 新橋を発車した下り東海道線の中で、二人の男が大声で喋っている。


「アニキ、どうしてこう満員電車ってのは、混んでもうて混んでもうてするんですかいのう?」


「よう考えろヒロ。わしらも乗っとるから混んどるんやけえ」


 満員電車ながら、二人の周囲は空間ができていた。

 それもそのはず、ヒロ、いかにもという感じのスカジャンをひっかけ、周囲を威嚇しながら足を踏み鳴らしていた。

 かたやアニキと呼ばれた男、いかにもという感じでダブルの三つ揃えを完璧に着こなし、薄い色のサングラスをかけている。左頬には大きな向こう傷。

 どこからどう見てもあっち側の人間が、帰宅時の満員電車に揺られていた。


 普段は横浜西口のから車で移動しているが、商売敵のせいか偶然によるものか、3台の車が全てパンクしていた。よって出張先の新橋まで電車で向かったのだった。


 川崎に停車し、少しの人が降りる。入れ替わりにそれなりの数の人が乗車する。

 スマートフォンを見ながら乗車してきた学生と思しき男が、ヒロの腹にぶつかった。ぶつかった相手を見てまずいと思ったか、学生はターンをしたところ、今度はリュックサックがヒロの腰をとらえた。


「待てや」


 ヒロ、学生の襟首をつかまえる。


「歩きスマホ、危ないやろ。腹の骨がいってもうた。混んでる電車でリュック背負ってるアホもおらんやろ。腰の骨もいってもうた」

 腹の骨と言い切るあたりにヒロの教養が現れている。


「横浜で降りるやんな」


 ヒロ、学生に横浜での下車を強制。

 学生はそれに対しいえ、違いますとモゴモゴと小声で返す。

 ヒロ、学生の顔を覗き込んで確認する。


「よこはまで おりるやんな?」


「やめとけ。スマホと暗証番号だけ頂いておけ。治療費や」

 アニキ、寛大な処置を早口で告げる。


「さすがアニキ。慈悲深いですのう。ところで、汗かかれてますけど、そんな暑いでっか。窓開けまひょか?」


「大丈夫や」


「立ちっぱなしでしんどいん違いますか。席譲ってもらいまひょか?」


「大丈夫いうとるやろがい!」


 アニキ、ヒロを拳で殴りつけるも、力が全く入らず、顔色はいよいよ蒼白に。


「ヒロ、横浜着いたら、最短距離で便所に案内してくれや。わしはちょっと下向いとるかもしれんけのう」


「アニキ、便所我慢しとったんですか!」


「でけえ声出すなや!」


 アニキ、ヒロを内股で恫喝するも、声に普段の迫力はない。

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