十八

 十二月下旬、冬本番はもう少し先だが朝晩の寒さは厳しさを増していた。凛とした冷たい空気の中、大阪城天守閣の東に大阪城ホールが鎮座する。ローファイ宅録小僧といわれた引き籠もりのベックがこんなにでかい箱でライブをすること自体にデビュー曲から(遡ってのだが)のファンとしては違和感を覚え、居心地の悪さを禁じ得ない。


 結論、凪は来なかった。僕の隣の席は空いたままにアンコールを求める大声援と手拍子がホールに響き渡る。


 チェックのネルシャツからTシャツに着替えて登場したベックは、これまで勿体ぶっていたデビューシングルを演奏し始めた。イントロが鳴り響くとホールがどよめいた。


 ベックは歌う。


「俺は敗者だ。早く殺せよ」


「敗者か。結局、俺は凪のことなんて何にもわからなかった」


 会場のボルテージは最高潮、拳を振り上げるオーディエンス。自虐的で内省的な歌詞とは対照的なヒップホップの縦ノリ。


 漆黒の闇に急降下する釣瓶(つるべ)のごとく刹那の深度を保ち、タングステンのごとくずしりと重い、凪の情念を真正面から潔く、無防備に受け止める度量も覚悟も僕にはなかった。


 僕は泣いていた。コンサートホールの熱狂に掻き消されていたが嗚咽した。周囲からはベック、伝説のデビュー曲のライブ初体験に感涙する熱心なファンとして映っていたことだろう。

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