第19話 意識が二つあれば
階段を上がる。足音はほぼ鳴らない。
だが、その人物は俺がのぼってくることをすでに感知していたかのように、椅子を横向きにして、体の正面を階段側へ向けるように座っていた。
遠くから運動部の声が聞こえる。
日が照っていながらも、そこだけはほのかに薄暗い。
屋上手前の階段踊り場――元から設置されていた像のような自然さで、少女は俺を待っていた。
「や、おはよー」
“ソイツ”はそういうと、ニコリと笑いながら、片手をあげた。
ギャルに似合わぬ、なんだか昭和の文豪みたいな鷹揚さに、俺は少し面食らう。
「お、おう」
言葉がスムーズに出てこなかったのは、何も俺のせいばかりではない。
目の前の少女が、平日よりもちょっと短い気のするスカートを着用したうえで、階段をのぼってくるだろう男子に向かって、対峙するように椅子に座っていたからということもある。
つまり……藤堂に限らず、学校の女子というのはブレザーにスカートという服装であるということだ。そしてスカートには底がない、ということでもある。
だが、俺は何も言わない。
そもそも何も見えない……どころか、視線を向けてさえいないので、その表情さえも、明確には見えない。
なぜ俺が『見ざる言わざる』に徹しているかって?
そんなこと、簡単に答えられる。それこそが黒木陽であるからだ。
自慢こそできないけれど、証明だけなら確実にできるだろう。
そんなことを分かっているのか、分かっていないのか――ヒエラルキーのトップに君臨する生まれながらの女王は何を気にする様子もなく『ほら』と、俺を対面の椅子に促した。
「ほら、黒木くん。はやく一緒にゲーム、しよ」
まるでゲーム内に登場するキャラクターのように美しい彼女――藤堂真白は、そう言うと、俺を催眠術にかけるかのように、スマホを自分の顔の横で、右に左に振って示してみせた。
◇
Chapter Ⅱ
Alternatively,〈Toudou Masiro〉
◇
対面に藤堂が座っている。画面に集中しているためか、整った眉がわずかに曲がっている。それでも美しい曲線を描いているを見て、『腐っても鯛』ということわざを思い出す。いや、そんなこといったら、パンチされるだろうけど。
尋問でも始まりそうな構図で始まった、土曜日の10時30分からのエアポケット・ウォーカー、スマホ版。
今日、俺は藤堂と四度目のパーティプレイを行うために、休日にわざわざ着替えを用意してまで、階段踊場に来ていた。人はこれをデジャヴと呼ぶ。お菓子の量を含めて、だ。
ちなみに三度目のパーティは、三日前の水曜日に行われている。誘われかたは、チャットアプリで一文だけ。
『今日、秘密の場所で、一緒にゲームしない?』
そして返答も一文だけ。
『おう、分かった』
幸運なことかどうかは不明であるが、月曜日に発生した一人舞台から、何かが決定的に変わるという事は、俺にも、藤堂にも見られないようだった。
もちろん何かの波紋は広がっているのかもしれないが、それによって動く水面の葉まで把握することは、俺にはできない。
「黒木、イヤホン変えたんだね」
「ああ……、藤堂の声が聞こえにくかったからな」
イヤホンも各々が持参している。
三度目のパーティプレイのとき、俺のイヤホンが密閉性の高いものだったせいで、藤堂の声が聞こえずらかったため、色々と考えてイヤホンを購入してきた。
実際に人を前にしてゲームをプレイするというのは、ネット上で繋がり、マイクを使って、あたかも目の前にいるかのようにプレイするのとは、似ているようで、まったく似つかない行為のようだった。
「へー。イヤホンにまで気を使ってくれたんだね。ありがと」
「……まあ、考えはしたけど礼を言われるほどではない」
「なぜそこで一歩引くのかな――まあ、それが黒木か」
藤堂は意味深なことを言ったきり黙り、出撃準備を整えている。
俺は何を言い返せばの判断にこまり、二回だけチラ見をしたあと、効果がないとわかってゲームに集中することにした。
「お、こっちにバックあるよー」
「何色?」
「紫だから、レベル3かな?」
「それは欲しい」
「おっけー」
四度目ともなると、藤堂もこなれた感じでゲームをプレイしている。きちんと相手への情報も忘れないし、伝えるべきこともまとまってきた。
もちろんそれは、素人から始まったというレベルでの慣れであるが、基本的なことは全てクリアしているだろう。大変な進歩だ。
どうやら藤堂は、結構な勉強家らしい。
たしかテストの点数も結構上のほうだった気がする。うちの高校は特進クラスがあることもあいまって、テストの結果の50位までが廊下に大きく張り出される。俺は可もなく不可もなくの点数であるため一度も載ったことはないが、たしか藤堂の名前をそこで見た気もした。
「あ、黒木。わたしSR(スナイパーライフル)持っていい?
「いいけど、ほんとに好きだよな。スマホ版だと、SRってそんなに強くないぞ。判定がシビアなうえに、当たってもすぐに回復されちゃうから」
「じゃあ、だめ?」
「いいよ、好きにやるのがゲームの大前提だ。そして強くなるともっと楽しい」
「やったね」
土曜日の階段踊り場は、あいも変わらず遠くから運動部の掛け声が聞こえてくるぐらいだ。
明り取りから太陽光が差し込んでくるが、光の帯の中を自由気ままにホコリが舞っているということはない。
もちろん椅子や机もキレイに拭いてあるため、衣服が汚れることもない。だから仮に、待ち合わせをしている人間の誰かが、ふっと気を緩めて居眠りをし、机に顔を押し付けてしまったとしても、その肌が汚れる心配はないだろう。
なぜかって?
……それは前日の金曜日に、俺が綺麗に掃除をしたからだ。
まあ、それは、昔からの習慣だから、特別なことをしたわけではない。決して。
スマホの画面には、高倍率スコープをつけたスナイパーライフルで周囲を窺う藤堂のキャラが映っている。キャラの名前もToudou Masiroであることも変わっていない。
一度、キャラクターを作り直すことを勧めたのだが、藤堂は少しだけ考えた後、『やめとく』といって、出撃ボタンを押した。
理由は分からないが、レベルも大して上がっていない新規キャラに思い入れなんてないだろうに。おかしな奴だ、と思ったが、ヒエラルキーを思い出して、間違ってるのは俺かもなと反省した。
「あ、右……じゃなかった。えっと東方面に車両が一台いるよ」
「おう。ただ、本当に一台だけか、確認するといいぞ」
「どういうこと? あ、ほんとだ。後ろからかなり遅れてバイクがきた……そっか。パーティーだからって、離れずに一緒に行動しているってわけじゃないんだね」
「……そうだな。仲間でも離れることはある。それが効率が良い時もある。一緒にいるからこそ全滅しちまうときもあるからな」
「おっけ。じゃあ撃つね」
「撃つのかよ!?」
俺は残りタイムを見る。まだまだ時間は残っている。
次第に狭まっていく安全地帯――このゲームは孤島で戦うのだが、一定時間が経過するごとに、行動できる地域が狭まっていくのだ――も、まだ余裕があるため無理をして狙う必要もない。
……ま、いいか。楽しそうだし。
どう考えても、撃つ必要のない状況だったが、俺は黙ることにした。
ターン、と音がなり、スナイパーライフルの銃口から、弾が射出。
それは物理法則に基づいた、システム通りの曲線を描いていき――すでにバイクが通り過ぎた岩肌を穿つだけにとどまった。
「えー? なんであたらないの?」
「前も言ったろ、システム上、長距離射撃をすればするほど、弾は遅れて着弾するし、緩やかに下降していくんだよ。だから動いている相手なら、それらを計算して撃たなきゃいけない」
実際の狙撃なんて、自転や公転とか、なんか気にしてるとか聞いたこともある。アニメで見たけど、コリオリの力とかも関係しているとかいないとか――まあ、俺は人を狙撃する予定はないので、詳しくは知らない。調べたいやつだけ、調べるのが、今の時代の主流だろう。
バイクに乗ったプレイヤーは、撃たれたことは把握しているだろうが、とりあえず車を追うことにしたらしい。そのまま何事もなかったように走り抜けた。
ゲーム内の音が消える。
しばらくは周囲を警戒しながらの待機になるだろう。
藤堂とプレイするゲームは、案外、地味に進んでいくことが多い。
本当なら激戦区――このゲームはスタート時にパラシュートを背負って飛行機から孤島に降り立ち、装備を探すため、人気の地区は激戦となる――に降りて、プレイヤーと積極的に撃ちあいをしてもらえばスキルもアップしやすい。弾を当てるためには慣れることが一番なので、とにかく経験値を増やすことが重要なのだ。
だが、いかんせん藤堂の好きなスタイルが、スナイパーライフを取得したら影でジッと敵を観察していたいという、かなり地味なものであるため、どうにも上手くいかないのだ。
まあ、楽しければそれでいいと思うのだが……問題が一つある。
藤堂は周囲を確認したあと、脅威はないと判断したのか、スマホを一度置いてから、「うーん」と背筋を伸ばした。
「敵がこないから、ヒマだねえ」
「だったら激戦区へ行こうぜ。いやでも撃てる」
「でも撃たれるじゃん」
「そりゃそうだろ、そういうゲームなんだから」
これだ。
スナイパーライフルを持っているなら、それに応じた行動パターンが必要だ。もしも積極的に攻撃したいならば、アサルトライフルやライトマシンガン、ショットガンを携行すべきなのだ。
藤堂は、行動のバランスが取れていない気がする。
攻撃的かと思いきや、保守的であったり。
楽しんでいればいいと思いきや、向上心があったり。
冷静かと思いきや、頭に血が昇りやすいようだったり。
藤堂真白という存在は、教室での一人舞台が証明しているように、他の生命体とは違う道理で動いているような気がする。
その道理がなにかと言われると、わからない。
俺がそれを探ろうと手を伸ばしても、まるで遠くから狙撃をしたときのように、すでにそこに藤堂の気持ちはないのだ。
「よし、そろそろ移動するぞ。バイクの後ろにのってくれ」
「はーい――そういえば黒木くんって免許もってるの」
「ゲームに免許は必要ないだろ」
「現実は?」
「……原付なら持ってる」
「え? 意外だね」
「顔つきの証明書が欲しかったのと、PCパーツとかの買い出しに楽だから」
「へー……PCかあ」
本当は、じいちゃんが入院するまで乗っていたオンボロのスーパーカブが処分されそうだったとき、「俺が将来乗るから」といって駄々こねた責任で取得しただけとは言うまい。
どこかヒソヒソと話す感じに、俺達の会話は進んでいく。
別に悪いことをしているわけではないのに――いや、学校でゲームをすることは良いことではないか。ただうちの学校はそういった文化にもかなり理解があって、授業中や、なにか犯罪的なものでなければ、見逃されることが多い。
だからきっと、この行為も、合法だ。うん。
ゲーム内のバイクのエンジンが始動する。
ハンドルを握るのは俺。後部座席に藤堂。
だから藤堂は、周囲を索敵するだけだ。
俺が進行方向を見て、藤堂が周囲を警戒する。
一人では成しがたいことも、二人になるだけで、簡単に成し遂げられることがある。
もしも――もしも人間の体に意識が二つあれば、俺もこうやって、うまく、慎重に、進むことができるんだろうか。
人との距離をはかりながら、周りにも気を使って、誰にどこからどう見られているかを把握しながら、まっすぐに目的地へ進路を合わすことができるのだろうか――。
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