第2話 カンの悪い子

 この箱ヶ原温泉郷にはみやげ物屋が六件ある。そのうち二件はかなりの老舗だ。


 ひとつは北の温泉場にある“めぐり屋”。

 こちらはいわゆる正統派のおみやげ店で、売っている物も手ぬぐいや温泉まんじゅう、それに木彫りの置物と規律があり、格調も高い。


 そして、もうひとつが南の繁華街にある“九十九堂”。

 コチラはやたらに広い店舗の中に地場のみやげ物や名産のお茶まで並べており、商魂逞しい。また、繁華街という場所柄か酒や煙草、はては避妊具まで販売しており、規律などどこ吹く風だ。


 オレは知らぬ間に和風旅館からシティーホテルへと姿を変えてしまった仙波屋お隣さんの前を横切り、“九十九堂”と下手クソな字で書かれた看板をくぐり店内じっかへと入って行く。


「ただいま」

 レジ打ちをする母に帰郷の挨拶。

 場違いすぎる挨拶の為か、会計の順番待ちをしていた老夫婦が怪訝そうな表情でオレを見つめている。


「2,100円になります」

 オレを無視するかのようなお袋の声。しかし、視線では後ろの三和土から母屋へ行けと指示を飛ばしているのが分かる。


 そのまま指示に従うのは少し癪な気もしたが、オレは黙って箱根山が描かれた暖簾をくぐり、三和土へと足を踏み入れた。昔のままならその先の扉を開ければ事務所兼休憩室があるはずだ。


 引き戸を開けると、そこには重そうに大きなお腹を抱える姉の姿。


「あら、壮ちゃん、久しぶり。早かったわね」

“あら、久しぶり”などと言いながらもパソコンの画面と帳簿を睨み続けているあたり、多分、大して感激はしていない。


「姉貴、妊娠してたの?」

 オレは挨拶代わりに声を掛ける。病院の事務当直のバイトをしているお陰で姉貴が臨月間近なのは直ぐに分かった。


「そうよ。2週間後には壮ちゃんも叔父さんになるわ」

 そう大きく息をつく姉は息苦しそうにお腹をさすっていた。


「それは、おめでたいね。そんな時になんだけど、親父の状態はどうなの?」

「お父さん?」

 姉貴が怪訝な表情を見せる。


「うん」

「多少、体力は落ちたみたいだけど、すごく元気よ。今も商店街のカラミでアーケードに飾り付けをしていると思うけど、外で見かけなかった? 」

 事も無げに話す姉。


「元気? だって、お袋の話だと・・・・・・」

 何だか怪しい気配がしてきた。



「ああでも言わなきゃ、お前は帰ってきやしないだろ?」

 後ろから、明らかに怒気を含んだ母の声。


「母さん、お店は?」

 姉貴がオレ越しに言葉を飛ばす。


「客足が少し落ち着いたからね。今は百川ももかわさんとパートの千枝ちえちゃんに任せておけば平気だよ。それより露子つゆこ、例の発注の方は済んだのかい?」

「温泉サブレーなら昨日15ケース発注したって言ったでしょ? 」

「そっちじゃなくて、の方だよ」

「ああ“温太くん饅頭”ね。ちょうど今、発注した所よ」

「それならイイんだよ。納品伝票は商工会を通してやらないといけないから……」

 テンポ良く会話を続ける母と姉。根拠はないが、このふたりは、今、この場で銃撃戦が始まったとしても生き残ると思う。


「母さん、もしかして親父の身体は・・・・・・」

 オレは2人の会話に割って入る。


「カンの悪い子だねぇ。お父さんの事はウソに決まってるでしょ。露子のお腹がこんなだし、千枝ちゃんが婚旅行で明後日からイタリアに7日程行っちゃうから、アンタを呼び寄せたのさ。無愛想だから店番は無理だとしても、朝晩の配達くらいは出来るだろ?」

 要はパートの人が休みの間のツナギとして、オレを呼び寄こしたと言う事らしい。


「そりゃ、免許は持ってるケドさ・・・・・・」

「まさか、免許のお金を出してもらった分際で、ペーパードライバーだなんて言わないだろうね」

 お袋がギロリと睨みを利かす。


「お金はそのうち返すよ」

「そんなの当たり前だよ。ワタシが聞きたいのはアンタがペーパーかどうかだよ」

 オレは紙でもなければ、ピンク色の服を着た芸人夫婦でもない。

 どうでも良いことだが、親父はこの気の強い母と40年以上の付き合いらしいが、いつもどうやって会話を成り立たせているのだろう。


「いや、バイトでも車を使うことがあるから、運転そのものは問題ないケドさ」

 パソコン修理のバイトでは在宅訪問も多い為、車の免許が必須だ。

「そりゃ良かったよ。 早速だけど明日から周っておくれよ。露子、アンタは壮に配送先のリストと納品の一覧を渡してやりな」

 ドンドン話が決まっていく。


「母さん、オレ、まだ引き受けるとは・・・・・・」

「文句があるのかい? 」

 お袋の目線はメディウサーのそれより強力だ。


「いや、文句はないよ・・・・・・ どのみち、お盆過ぎまではいるつもりだったし」

 元々2つのバイト先には“親父がヤバそうだから実家に帰る”と長期休みを貰っている。休んだ分のバイト代が気になるところだが、手持ちのパソコンを1台売れば家賃の足しくらいにはなるだろう。


「まったく、どうしてこの子は昔から素直に“はい”と言えないのかねぇ。まぁ良いさね。たまには家族の為に貢献するのも良い社会勉強だよ」

 オレに対する不満を一通り言い終えて満足したのか、母はまた店舗の方に姿を消してしまった。



「母さん、相変わらずパワフルだよね。そのうちフルマラソンでも始めるとか言い出さなきゃ良いケド」

 オレは姉貴に笑い掛ける。

「ああは言っているけど、壮ちゃんが5年ぶりに帰って来るのを一番喜んでいたのはお母さんなのよ。来る人、来る人に『壮が帰ってくる』『馬鹿息子が帰ってくる』って話していたんだから。それに手の事もいつも心配してるし・・・・・・」

 胸の奥がチクリと痛んだ。


「手はもう問題ないよ。その辺は姉貴からも上手く言っといてよ・・・・・・それより、配送先のリストってヤツ、見せてくれる?」

 オレはいつの間にかデスク前に置かれたコーヒーに口をつける。


「ホントにアンタは・・・・・・ リストって言っても、大した数じゃないのよね、みんな商工会の義理で頼んでくれているだけだから」

 姉から渡されたリストはA4用紙1枚。


八尾亭やおていにホテルごとう・・・・・・美川旅館みかわりょかん万台寿司ばんだいずし・・・・・・それに仙波屋おとなりさんか」

 リストには10件ほどの届け先。量も大した数では無い。しかも殆どが、ご近所さんだ。おそらくは、どのお客さんも姉の言葉通り、義理で必要なお酒の内の何割かをウチにも回してくれているのだろう。


「はい。あとコレは大口のお客さん」

 姉から渡されたもうひとつA4用紙。


「ソコ…… 行きたくないなら、私からお父さんに頼んでも良いわよ。あの娘も一年半前にイギリスから帰ってきてるし・・・・・・」

 視線をオレから外しての姉貴の言葉。

 リストの一番上には『スパリゾート光木みつき』の文字。あの娘とは光木茜音みつきあかねの事だろう。


「いや、問題は無いよ。むしろ先方さんが嫌がらないかな?」

 母の時とは違う部分にチクリとした痛みが走っていた。

「嫌がっていたら、その数の注文をくれるはずないでしょ」

 姉の顔を見なかったのは、ささやかな抵抗だった。


「確かにアレはもう昔の話だからね。まぁ、男が女にフラれるなんてよくある話だし」

「私が言っているのは、そう言う意味じゃ無いわ」

 姉貴の言いたい事は分かっていた。

 だが、7年前のあの事故も、オレが光木茜音にフラれた事も昔話だ。


「茶化してゴメン。だけど、もう手はホントに何ともないからさ・・・・・・ それと姉さん悪いんだけど、車のキー貸してくれる? 久しぶりに行きたい所があるんだ」

 ごまかし半分にそらした視線が壁時計を捉える。時刻は午後4時半。


「まさか、茜岬あかねみさき?」

 驚く姉にオレは静かに頷いて見せた。

「・・・・・・また、行けるようになったって事は、壮ちゃんもひとつ大人になったのかな?」

 姉貴はひとつ溜息をし、車のキーをデスクの上に置いた。


「それでも、今日は早めに帰って来てくれると嬉しいわ」

「なぜだい?」

 姉貴の優しい眼差しが恥ずかしく、オレは下を向いたまま尋ねた。


「今日は信吾君だんなが壮ちゃんと一緒にお酒飲みながらサッカーの話をしたいって言ってたのよ。この所、平和だから帰ってくるのも早いのよね」

 信吾さんとは姉貴の旦那さん。なぜかウチに婿養子に入ってくれた変わり者の警察官。オレにとっては小学校時代にサッカー部でしごいてくれたコーチでもある。


「オレ、姉貴と違ってお酒弱いし、雑談も苦手なんだよなぁ。義理兄にいさん、大学生コーチの時から話長いし」

「地ビールをチビチビやりながら、サッカーの話するだけでしょ、そのく・・・・・・」

 姉貴はそこまで話すと、苦しそうに大きく息をついた


「姉貴、大丈夫か?」

「平気よ、このくらい。結構なおてんばさんでね。よくお腹を蹴るのよね」

 そう嬉しそうに語る姉に意味の分からない艶のようなものを感じた。


「姪っ子かぁ。姉貴の次の跡取りも出来たとなれば九十九堂も安泰だね」

 オレはそう笑顔で姉貴に笑いかけて、温くなり始めたコーヒーを一気に飲み干した。


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