過激な表紙のライトノベルコーナーに足を踏み入れた子連れの主婦のお話

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過激な表紙のライトノベルコーナーに足を踏み入れた子連れの主婦のお話

「やったー!!念願の本屋さんに着いたんだじぇ〜!!」


「もう、たっくんったら……店内で走らないの!」


 ハーイ!と元気良く駆けていく息子の背中を見ながら、良枝よしえは軽くため息をつく。


 息子の卓郎が漫画を欲しがっていたので、今日は親子二人で最寄りの本屋へと来ていた。


 卓郎が「よ〜し、これで『おっぱい☆ハイウェイ』の漫画版がゲット出来るんだじぇ!!」と漫画コーナーに向かう中、後ろをついていっていた良枝は、ふとある陳列コーナーで足を止めた。





(うわっ、何これ……気持ち悪っ!!)





 良枝が目にしたのは、胸が大きな女の子があられもない姿で表紙を飾っている作品が乱立する『ライトノベル』というジャンルのコーナーだった。


 顔を赤らめつつも、何を意識しているのか理解できないような扇情的な身体つきをくっきりと浮き彫りにさせるスーツに身を包む女性や、大きな胸元を強調するようなポーズを取りながら、男に下手な媚を売るかのように涙ぐむ少女……。


 幼い子供を持つ身として我が子への悪影響を懸念するのと同時に、一人の女としてただひたすらに不快であった。


(……オタク向けの商品なんだろうけど、私達女を単なる性欲処理の道具程度にしか見ていない欲求が滲み出ていて不愉快極まりないわ……!!)


 そんな怒りや不満といった鬱屈とした感情が、良枝の中で激しく渦巻く。


 気づくと彼女は、自身の携帯を使ってそのライトノベルコーナーの光景を写メで撮影し始めていた。


(こんなモノを書いてる奴も読んでる奴も、どうせ、全員現実の女の子と付き合ったこともない童貞の集まりに過ぎないくせに!……キモい、キモい、キモい!!)


 無我夢中で撮影し続ける良枝。


 そして、彼女は速攻でそれを添付ファイルにし、ママ友やネット上で知り合った人に送信するための文面を打ち始める。


(そんな形でしか性欲を発散出来ないような奴等なんて、犯罪者予備軍そのものじゃない!……小汚ない遺伝子を微塵も残すことなく、この世界から一秒でも早く消えろ、消えろ……消えろ!!)


 そんな想いを胸に宿しながら、『子供達の将来に禍根を残しそうな害悪コンテンツを目にして、マジでつらたん……悲しみのあまり、胸が張り裂けそうだッピ……』という文面を書き上げ、あとは一斉に送信しようとしていたーーそのときである!!









「あっれ〜?そこのオバサン!……さっきから何してんのさ?」


「てめぇ……まさか、過激なライトノベルの画像を"良識的"な奴等に拡散させるための、草の根活動をしてんじゃねぇだろうなぁ……!?」









「ッ!?」


 良枝が顔を上げた先にいたのは、剣呑な雰囲気を辺りに撒き散らしている二人組の青年だった。


 どちらも年の頃は、十代の後半だろうか。


 一人は軽薄な笑みを顔に張り付けながらも瞳に冷たさを宿した褐色の肌と頭部から生えた猫耳が特徴的な青年。


 もう一人は、不機嫌さを微塵も隠そうとしない憮然とした顔つきに、鎖を全身に巻き付けた姿が目につく青年。


 普段ならば、彼らのような細身ながらもしっかりと鍛え上げられた十代の若者達に声をかけられたりすれば、浮かれるとまでは言わなくても上機嫌にはなる良枝だが、このときばかりは違った。


 良枝は先ほどまでの憤怒で真っ赤に形相を歪ませていたのが嘘であるかのように、身体を恐怖で震わせ、顔面蒼白になりながら彼等を凝視していた。


 それというのも無理はない。


 彼等の眼は血に濡れたように真紅の輝きを放ち、その舌先には"十六の災禍フレンズを彷彿とさせるタトゥーが彫られていたのだ。


 それらの特徴から導き出される答えは、ーーただ一つ。









(くっ!間違いない……彼らは、まごうことなき"キモオタ"だわ!!)










 "キモオタ"。


 それは、過激な性描写が売りのライトノベルをこの地上に蔓延させる事によって、暖簾のれんという結界で区切られたこの世(全年齢向け)とあの世(R-18指定)の境目を破壊し、この世界を混沌に導こうとする悪しき勢力の総称であるーー!!


 外見の特徴からも、"キモオタ"である事が間違いない二人組は、案の定、自分達の目的の障害になるであろう良枝に対して猛然と掴みかかるーー!!





「ッ!?キャ、キャアァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」





「へへっ!大人しくしてなよ、オ・バ・さん!……良い年した大人なんだから、店内ではお静かに……ね?」


 パチン、とウインクしてみせる褐色猫耳のキモオタ。


 不覚にも、良枝がその仕草に中性的な魅力を感じてドキッ……♡としている間に、もう一人の粗暴な印象のキモオタが動きを止めた良枝の腕から携帯をもぎ取る。


 ここでも良枝は場違いなことに、最近腹が出てきた夫からは感じられなかった雄々しい"獣性"とでも言うべきモノを、青年の逞しい腕つきから感じ取っていた。


「なんだぁ〜、このクソアマ!年甲斐もなく『つらたん……』だの『だッピ』だの、気色悪い文面を書いてやがるぜぇ〜!!」


「うっわ!本当だ、ウケる〜!!……ライトノベルなんかよりも、だらしない肉つきしながら、こんな文章を恥ずかし気もなく書けるオバサンの存在を規制した方が、よっぽど世のため人のためなんじゃないの?」


 そのように、心ない言葉をぶつけながら良枝を嘲笑するキモオタ達。


 年端もいかない二人の罵倒を聞きながら、良枝はここにきて自分が何をしていたのかを理解した。


("気色悪い"という一方的で幼稚な感情論で誰かを排除しようとする事って、こんなにも人の心を傷つける行為だったんだ……私、本当に最低だ……!!)


 そう思いながらも、見目麗しい廃滅者キモオタに囲まれながら侮辱されている現状に、良枝が下腹部の辺りをキュン……♡とさせていたーーそのときである!!









「待て、そこな悪漢共!……私の眼前で、女性に乱暴狼藉を働くなど、断じて許さん!!」









 突然、自分達へと向けられた声に反応して、粗暴な方のキモオタが声を荒げるーー!!


何奴なにやつッ!?」


冷奴ひややっこ、ってね……我が名は、黒騎士:ゼノフォード。ここがどこで貴様らとそこの女性がどのような関係なのかも知らんが、眼前の不義を見過ごすわけにはいかぬ。……ゆえに、貴様らは、この場で我が剣のもとに断罪するッ!!」


「な、なんだと〜〜〜ッ!?」


 良枝達の前に突如姿を現したのは、黒き甲冑に身を包んだ長身の体躯に、金髪碧眼の端正な顔立ちが見るものの目を惹き付けてやまない二十代半ばの青年だった。


 彼の名は、ゼノフォード。


 こことは違う世界:ザナドースに存在する国の一つ:ブレンエクスの王家に仕える黒騎士であるーー!!





 本来なら、この地球の片隅にある本屋などとは生涯何の縁もゆかりもないはずの彼である。


 だが前述したとおり、昨今は過激な内容のライトノベルが乱立したため、この世界と異界を阻む境界が崩れつつあり、そんな中でこの場に集った"キモオタ"達の邪悪な気、とでもいうべきモノが世界の力場を崩した結果、異界の黒騎士たるゼノフォードが顕現するに至った……と考えるのが自然であるだろう。


 キモオタ達が何か事を起こすよりも早く、黒騎士の剣による一閃が、瞬時に彼等を薙ぎ払うーー!!


「グアァァァァァァァァァァァァッ!?」


「……クソッ、相手が悪すぎる!!ここは一旦引き上げるぞ!」


 典型的な悪者のように、そのように吐き捨てながら、その場を急いで離脱する二人組。


 後に残されたのは、ポカンとした表情のままへたりこむ良枝と、彼女に手を差し出すゼノフォードのみであった。


 呆気に取られている良枝に対して、ゼノフォードが柔和な笑みとともに語りかける。


「お怪我はありませんか、レディ。……何があったのかは知りませんが、年端もいかないか弱き女性に対して、酷い事をしようとする輩がいるとは!!……でも、貴方のような綺麗な方が無事で本当に良かった……!!」


「レ、レディだなんて……!?私、もう旦那と一人の子供を持つ三十路過ぎのオバサンなんですよ?……そ、それに、綺麗、だなんて……お世辞にも程があります!」


 頬を赤らめながらも照れ隠しに怒った素振りを見せる良枝。


 対するゼノフォードは、大仰に驚愕に目を見開いた表情を浮かべながら、良枝の頬に触れる。


「まさか……とてもじゃないが、信じられないな!……貴方の肌は十代の生娘きむすめのように決め細やかだ。この世界の女性は、みんな貴方のように美しく可憐な人ばかりなのか?」


 何一つふざけた様子もなく、真剣に良枝に問いかけるゼノフォード。


 そんな彼の眼差しを真正面から受け止めながら、良枝は久しく忘れていた胸の高鳴りを思い出していた。





「ママー!!これを買って欲しいんだじぇー!」





 現実に引き戻したのは、自身の愛しい息子である卓郎の呼び掛けだった。


 ポウ……ッ、と恋する乙女のような顔つきでゼノフォードを見つめていた良枝は、すぐにハッ!としたかと思うと、母親の顔に戻って卓郎をレジへと連れていく。


 その去り行く背中に向けて、ゼノフォードが声をかけるーー!!





「私はブレンエクス王家に仕える黒騎士:ヴァレンス=ジル=ゼノフォードである!……麗しき貴婦人よ、慮外の地へと突如迷い混んだ我が身を憐れんでくれるのならば、どうか名前だけでも教えてはくださらないか!?」





 愛の告白、としか思えないゼノフォードの問いかけに、店内にいた他の客が眉をひそめながら、ヒソヒソと噂話を始める。


 だが、良枝はそんな周りの反応など一切構わない、と言わんばかりに、感極まった表情で後ろへと振り返っていた。


良枝よしえ!!私の名前は、小森こもり 良枝よしえ!」


「ヨシエ……実に素敵な名前だ。また、貴方と出会えるだろうか!?」


 その言葉には答えることなく、涙を拭って良枝は卓郎を連れてその場から去っていくーー。













 最早、ゼノフォードと出会う事は二度とない、と良枝は諦めていた。


 だが、その後も元の世界に帰還出来なかったらしいゼノフォードと度々出くわす事があり、いつしか良枝は彼に対して日頃の愚痴を聞かせたり、世間話をする間柄になっていた。


 これほど心踊るのは、いつ以来だろう。


 このまま、時が止まってしまえば良いのに……。


 そんな気持ちを互いに共有していたのか、良枝とゼノフォードが親密な関係になるのに、さほど時間はかからなかった。





「おい、また出来合いの惣菜か?ここ最近、料理を怠けすぎなんじゃないか?」


 夫である和人かずとが、テーブルに並んだ貧相な夕食の顔ぶれを見て、げんなりした表情を浮かべる。


 対する良枝は、能面を貼り付けたかのような無表情な顔つきのまま、感情を覗かせない淡々とした口調で和人に答える。


「仕方ないでしょ、私も他の家事で色々忙しいんだから」


「忙しい、って言っても限度があるだろ!……俺はともかく、食べ盛りの卓郎が可哀想だろ……」


「……分かった。今度からは気をつける」


 愛する息子の名前を出されては、ぐぅの音も出ない。


 だが、夫婦の間には小さないさかいが、度々起き始めていた。


 それに合わせて、ゼノフォードと会う回数も増え、彼と過ごす時間も自然と長くなっていく。


 彼の腕の中にいるときだけ、私は安らぎを得る事が出来る……。


 そんなゼノフォードとの逢瀬とは対象的に、良枝の家事は益々杜撰なモノになる。


 家を空けて、夫や息子を置いて外泊するようにまでなった。


 ……そして、良枝は





「うぇ〜〜〜っん!!ママはどこに行ったんだじぇ〜!?」


「マ、ママは、きっと、そのうち帰ってくるから……だから、もう泣き止むんだぞ、卓郎!!」


 そう言って息子を宥めながらも、途方に暮れる和人。


 彼が見つめる先には「探さないでください」という簡潔な一文のみが記された、妻の書き置きだけが無機質に机の上に置かれていた……。













 それから、半年後。


 和人のもとに差出人不明のビデオが届けられた。


 ……何が映っているのかは分からない。


 それでも、嫌な予感しかしなかった和人は、卓郎を寝かしつけてから一人リビングで電気もつけずにビデオを観始めた……。













「んほほぉ〜〜〜〜〜ッン!!……アナタ、たっくん、ゴメンなさ〜〜〜い♡で、でも、私……もう、ゼノフォード様やキモオタさん達がいなくちゃ、生きていけない存在になっちゃったのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっん♡……ゆ、許してくれても、良いのよ?」













 レロレロレロレロレロッ!などとふざけた事を口にしながら、画面の中でゼノフォードや、何故か彼と敵対していたはずの二人のキモオタ達を相手に仲良くやっている姿を愛していた・・夫に見せつける良枝。


 愛する妻のあられもない姿が収められたビデオレターを観ながら、和人は上下両方から小汚ない惨めな雨を撒き散らしていた……。









(↑剣林弾雨けんりんだんうを彷彿とさせる怒濤の勢いのトラッシュトーク。……この言い回し、流行らせてくれてもいいよ♡)













 恐るべき魑魅魍魎とでも言うべき者達が跋扈する魔の巣窟:ライトノベルコーナー。


 平穏な家庭、かけがえのない家族との営み。





 もしも、それらを本当に守りたいのならばーー御婦人はこの場所に足を踏み入れない方が、賢明なのかもしれません……。





 〜〜終〜〜

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