安らかなる最期

最も平和な死は、高齢者が、そろそろ自分も老人になりかけている子どもたちに看取られての死だろう。病死でも老衰でも、大差はない。

天寿を全うする、とはこのことだ。


あるいは、完全に天涯孤独な人間が、ひっそりと死んでいくのも、天寿を全うするのと同じくらい平和かもしれない。

それ自体は理不尽な死かもしれないが、その理不尽な死を悲しむ人がいないからだ。


けれど、私は今、そのどちらの状況でもない。

まだ働き盛りで、実際働いてもいる。妻や子供はいないが、親だってまだ元気に生きてるし、友人だっている。


それでも、人生を辞めたくなった。


とは言えど、親や友人を傷つけたくはない。


自殺はよくない。より正確に言えば、自殺と悟られる死に方はよくない。

どのような形であれ、子供や友人が自殺するのは辛いはずだ。

身勝手な理由で人生を辞める私に、親や友人に大きな心の傷を負わせる権利などあるのだろうか。


では、交通事故に見せかける?

それはもっとダメだ。理不尽な死。加害者に対する憎悪。それだったら首吊りの方がマシだ。

自損事故だと? それでもやはり、無念にも事故で亡くなったという理不尽さは残る。


こういうことを悩んでいたら、特になんでもない昔の思い出が無駄に浮かび上がってくる。


小学生の頃は、丸くてぐるぐる回るジャングルジムが好きだったなぁ。

あの力強く回すデブ、若干鬱陶しかったなぁ。

けど、私も当時、若干デブだったんだよなぁ。

私って、子供の頃、食いしん坊で、お菓子ばかり食べてたなぁ。

こんにゃくゼリーを喉に詰めて苦しかったことあったっけ。


それだ!


ピーチ味のこんにゃくゼリーを丸呑みして窒息死した遺体は、とても安らかな顔をしていた。


「桃、好きだったからねぇ」


「昔もそんなことがあったよね」


「だからといって、何も死ななくてもいいのに」


「それにしても、本当にいい顔をしている」


「最後に好きな物が食べられて幸せだっただろう」


とても平和な時間が流れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る