第89話

午前はそそくさと過ぎて行く、名残の大神楽を上に、明日からの寒波を前に左尻は痛み、年の瀬へ漕ぐ体は嬉し鳴きしている、サンタの衣装を腕にヒールも歩けば、痰を吐く親爺もいる、神輿を担ぐは苦手だが、庶民を避ければ世間に見放される。


注文の停滞にチャリティー番組が響く、慌ただしい十二月はようやく区切り着いた、エアコンの風は音を流し、耳鳴りも方方から騒ぎ出す、冬の蝉とも鈴虫とも、合わない温度が足下を抱え、来年の挨拶を交わす姿に魂が抜ける。


川辺のベンチは尻の穴を硬化させそう、立って水面を見る、総菜パンを食べながら、大通りのイルミネーションは空疎に過ぎて、いつかのよいの欲求を思い出す、消えてしまった熱心か、夜の空を飛行機が走り、高層マンションの裏を通る、もう一度世界と対峙だ。


前列に居ればどうしたって足に目がつく、履き替え忘れた、台車やダンボールを蹴飛ばし続ける鉄鋼は、皮膚を割らしてマチエールが生生しい、いくらズボンを代えたからって、肝心な下がこれでは粗が目立つ、よってもう一列後ろに座ったわけだ。


イスでもダンボールでも、ふいに蹴飛ばしたくなる今日の苛立ちは、サンマのせいか、脂にのっていたから、頭からかぶりついて尾まで食らう、骨から髄まで噛む砕いて、それを日常に反映してはいけない、内臓だって嫌う人はいる、すべて飲み込むわけにはいかない。


我慢と自由が七十年代のマンガに叫ばれる、西洋のバラな衛兵によって、爪の先から脳髄まで、我慢によって内面の桎梏を外すことはないと、取り違えたか、何にしろ忍従がほぼすべてであって、全面を裏返してしまえば、化けの皮が剥がれる。


耳もうなる土曜日は、バキバキが一番合う、こんちくしょうは朽ち果てるまで、土の中まで抱えていくべき根性だ、平成令和を経て、古典を噛みしめるごとく昭和を学ぶ、敗北の中から芽吹いた気概は、喉から欲するたくましさだった。


狙い定めた土曜時間は、一年を閉じる前の珍しいギフトだ、今日がクリスマスだからサンタの贈り物か、しかし靴下に入りきらない進行する時間は、むしろサタンの心でさぼっている、とはいえ数ヶ月ぶりの集中に心は戻されて、手に拳を握り、奮い立つ熱情が本性を知らせる。


かけではなくぶっかけ、あとに排尿が計算されているから、転転とした職業により、これという独自の技能は持たないが、小便コントロールだけは高い技を持っている、いくつもの道を通って揺られた道程は、映画上映前にも役立つのだ。


帰省準備は多くあるようで、いざ書き並べてみると少ないものだ、下着とヘアスタイルを決めるポマードくらいで、あとはチケットだけがあればいい、金は忘れても隣から借りればよい、そんな余裕で忘れ物をするから、まずは自身を失わないように。


文体判断でどれほど見失ったことか、それこそ表面だけの飲み込みだった、人気と大衆を理由に感傷を臭し、キャッチーでポップな作風だと思っていた、ところがスコティッシュな空気感を解せるようになると、通底している要素にたどり着いた、これこそが世界に広がる理由だと。


脚本賞に刺激を受け、チェーホフの忍耐に涙する、一度通ったことがあるのに、若さと共に記憶は消えたか、それとも把握できずに好んでいたか、あらゆる趣味のいわれが成長して理由を知るように、歳末の仕事はようやく本分へ、そこでこれらの触発だ、もう二度と失いはしない。


早く到着した室内は寒く、昼の最中に終わりが白い息を吐く、静けさを壊す声は社員にも営業する、耳鳴りを避けるように、うるささは一人ずつやって来て、気づけば騒騒しさで満たされる、その前からのバリアか。


寸暇も逃さない、今日の義務を忘れないように、大掃除は所所で片づけ始めるが、区切りない姿勢に固執するならば、ただのさぼりがプライベートな仕事を続けていく、ボアジャケットに足下は包まれ、懐炉をたよりに、より一人を固めていく。


するどい声に職業をあらわす、謎の判明と汚い言葉使いに、いつだって鮮度を目にした表舞台が景気づける、足りない質量と活きの良さで、すこし眠たい夕方に、推敲を抜きにペンがうねる。


文章力は口に費やされて無駄を加速させる、たった二日の旅行に野外はこだまする、内省はやってこず、うらみつらみもとうに消えた、愚痴不満はひさしぶりだろうか、ケーキとコーヒーを待って、ペンがのらくらしてインクをつける。


帰りの機内の暇時間に、うたた寝する、たった三日間の二年振りは、人生が枝分かれすればと思うほど、大多数は広島の本通と同じく、見知らぬ人が十人だろうと千人だろうと、一人の存在感は変わらない、得体の知れない組織に目を向けるよりも、立脚地こそ必要だと目を上げる。


分け目を叩かれ二度お辞儀する、赤ん坊の張り手に、大人にされれば悪気を探すものの、無意識なら喜んで受けよう、福の神として、どうせ中身は空っぽだから、香炉に振りまかれるように、大晦日のフライトに来年の幸をもらう。


パリのパサージュについての本を読んでいるから、きっと関係ない、アーケードの広くない規則正しい賑わいが好きなのだろう、両端に目移りして、エビカズノコタコヤキケーキ、年末年始がチャンポンされて人は喜ぶ、そこにアラブも混ざっているなら、もう一度東に住みたいと思ってしまう。


先先月から食について書かなかった反動か、取材らしいレポートの続きとなっている、おそらく来来月まで控えるだろう、それだけの費用と効果を体感している、使う時間と体力だけでなく、新奇な態度が引きつける、心の洗濯とはまた違う、疲れもともなう心身の洗浄だ。

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