第55話

寒さの中で逃げ場を探す、平然としてパソコンでウィキペディアを見る間もそう、仕事がなければ体は凍えてしまう、必然が人を大胆にさせて、言い訳をエアコンの不修理に置いておく、足の寒さがキエフの冬を思い出させる、動いてうろつく体の悲鳴だ。


一呼吸を入れる為にマスクを外し、すこし道路に出てみる、蓄えられた温熱は寒風にみるみるとさらわれ、遠い白いビルは黄金色に浮かびあがる、乾いた空気を嫌がるこの季節だが、わずかの息抜きに冷風として心地よい。


寒さは粘着力を強める、シールとシールの張り合わせは、夏ならたやすく剥がせるはずが、氷点に達するとなると、紙が負けて破けてしまう、これはおそらく人との繋がりも同様だろうと、糸とねじれの踊りが連想される。


そろそろ対象は変更されるようだ、いなくなれば終わるわけではない、欲と充足のあとの再出発のように、円環は切れることがない、わかっていたが期待していた、まわりは変えられるようで、自分さえも変われない。


あと二日か、文字通り最後の大仕事を迎えるにあたり、どうして任せきれないのか、手だてはいくらでもある、それらに着手せずに普段どおりで、甘やかされる、何の成果も見出されない、よくやったの一声は見守る側から与えられない、いつまでも子離れできない弱弱しいつながりで終わる。


ちょっと深呼吸へ道路へ出る、雨降りの今日は水気を含み、マスク理由の大半となっている乾燥は遠ざかっている、外して冷涼な空気を鼻に一杯吸い込めば、すっと顔もほころんでくる、近くには誰もおらず、車も風も流れる、しかしなんていう日常の中にあるのか。


ケチをつけてばかりの相手となれば、しまいまでそれをつけることになる、関心を持たなければいいものを、目に入る位置にいるせいで避けようがない、考えた分だけせいぜい使わせてもらおう、そう思って場面に足をつけてみれば、やはり萎んだ残滓のような挨拶だった。


あきらめきっていたら、行動にも出ないはず、どうせ受かると思わないけれど、現状の揺り動かしの初動として、一歩踏み入れてみる、それが後年何の変化も起こさなくても、望んで波紋を落としたことは思い出される、今のままでいたくない、それをそのまま形に表そう。


今さらになって名優に憧れるとは、古典文学を知りつつ、ようやく読んで人生の書とするように、生活態度の規範として目印になる、身長は同じ、顔の長さも似ていないわけではない、こうして接点ばかり見つけ、合わないところは目に入れない、そうやって自惚れは昂進していく。


空いた時間に目が疼く、読書ばかりの眼病が懐かしい痛みは、数字合わせの年の暮れだから、ラジオはウィルスと人に怒るばかりで、気勢を吐いて何が変わるだろうか、各国でとめている政府もあるかもしれないが、どうして有能もしくは聖人を基準とするのか、なんて書く自分こそ、近い所で鏡をはめている。


山に足を踏み入れて、多くのいただきものから一つをつまんで、都会に展示する、そこに住む人達は日日恩恵を感じているが、特段誰かに知らせることはない、余所者が珍しくやってきて注目を集めるが、知っている者は多くを知っている。


体を休める為に家にいたわけじゃない、見ずにいた家事は避けようがなく、年末の連休が待ち構えているという理由で、漸く布団をしまい、家の埃を沢山吸い込む、それだけで半日が過ぎ、ぐずっていた古い音楽再生機も復元させると、一日は終わったようだ、こうして毎日が過ぎていく、それがやけに悲しい。


雨に長靴か、下履きか、コーヒーとスコーンにも迷う、すると行き先へ続く道も違えて、ふいに車にひかれそうになる、半日の自宅生活で感覚はやたら鈍る、頭痛に原因があるにしても、家にいると他者への勇気さえ失われる。


ここまでカフェインを欲することはなかった、昼過ぎから無性にコーヒーが飲みたくてしかたない、ずれた朝食と昼食が煽っているのかもしれないが、今までにない希求に心身は焦っている、あたりまえとして毎日口にする飲料は、どれほど日日を支配しているのか。


多感だからといって混乱しているわけではない、欲は明確に頭の中に整理されていて、読みたい、書きたい、食べたい、それに作りあげたい、それらが交差して時間を混ぜるのではなく、数の多さに手足は追いつかない、こうして多くとりこぼした気になって、一人勝手に後悔するのだろう。


雨雲レーダーは嘘をついた、上空からの白い靄はこれほど降らせるはずじゃなかった、こんなクレームをこねあげて、自分に解決できないなら、人生は不幸どころか、他人に迷惑だ、やはり長靴を履くべきだった、判断の外れが恨めしく、ズボンも靴も濡れて、足を痒くさせることになるんだ。


自分では所持しない本に、スタイルとは異なる言葉の並びを見つける、弱体した本人が他をあてにして、寄りすがるように直立を戻すのか、女性らしい心理を着眼などと打ち捨てはしない、もしかすると、今の自身がそのように繊細な神経にいるのかもしれない。


ただの道楽として逃げ続けていた事が、予想外の力となっていたと知り、歳末にご褒美を受けとる、観て書き、観て書いた日日は、間違いのないトレーニングとして、地力と体力になっている、材料がすでにあったとしても、ほら見てごらん、朝から書いて夜を迎える前に八千字、これがどんなに嬉しい成果か。


文章を浪費しないように耐える、食事へ行って書かず、ベンチに座って書かず、ただ一点に集中して文字をこぼさないように、今年の思い出を注入する、その結果のぬか喜びはひとしおだが、肝心なのはその出来映えだ、基本を喜んだら次を見据える、足下に常に目をやらないと。


体調不良は快調よりも雄弁だ、世間やニュースに持ちあげられる話題も同様か、昨日の症状が繰り返されて、天気に反して気は滅入りそうになる、それでもたらたら動いていれば、お別れの飾りが構想に華を添えてくれるらしい。

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