第50話

念入りの朝寝坊に加えて、上映前のうつらうつら、昨晩の激しい寝汗も回復に一役打ち、今日は元気があるようだ、たぐいまれな可愛らしさが単に力を取り戻したのも否めないが、薄着の中で活力は時間を惜しまずにいる。


高嶺の花を手に入れられるのは物語の中だけ、小説でもそれは得られるが、映画となると実物の実感が様様な表情で代弁してくれる、仮想世界であっても刺激はあり、昔を追憶してばかりではなく、今から先にも心を騒がせるものはあるのだと、わざわざ自分に唱えるのだから、老いている。


睡眠が命だと知っていながら、とれていなかった、すぐ目覚めようとする体に無理を言ってようやくつかめば、驚く力で想像意欲を授けてくれる、一つの旋律に不遜を起こし、自己満足でない誰かの改変を望む、そんな驕りが着想として姿を作る。


さきほどスクリーンで見たミニスカートは五年前の物語、今目の前を過ぎたのは現実の動き、ヒョウ柄のロングブーツは季節を喰い、ここ数年消えていた他人の太ももに、バイアスカットでない昔のリバイバルを切望してしまう。


継続は一ヶ月間に届かずも、道草をそこまで続ける目的はない、区切れにひさかたの読書が朝に埋もれば、効能が身に染みて語彙は補給される、縛りを抜ければ本命にいずれは戻るだろう、わざわざ脇道にいそしむこともない。


百度のくしゃみ、数秒ごとの悪寒、機嫌がすべて、夜に湿気はのぼるらしく、外干しは今のうちにと助言が聞ける、日の射す部屋は数日前にとりこんで、たたまれつつも散乱する、美食は何か、本当においしくいただいているかと、つと思う。


祭事は週末に行われる、のぼりが立ってぼんぼりが落ち着き、あたりで御幣が風に踊る、昼は半袖が歩き、朝晩はコートがひっかけて首も縮まる、大げさかもしれないが一日に多分を感じて、冷たい心がさらに冷える。


香りも変えれば改心するか、いったいなんのことだろう、ベスパの店長はセーターとうつるトレーナーを着て、さっきまではノコギリが店先でひかれていた、気分もその調子で切ってくれればいいのに、なんて思えば誰も愉快ではない、余る体力がまして、悩みたくてしかたないらしい。


過去を振り返らせるソーシャルメディアは、昨年のぶんぶく茶釜を傘とよみがえらせる、食べに食べた関西の二日間か、その後に腹を痛めてバリウムを飲めずも、今年はすんなりげっぷをおさえておさまった、下剤いらずの去年と異なり、朝の薬が次次とやってくる。


秋をくびきにしてもう冬が訪れるように、くもり空と寒さはうす暗いものがある、されど久しぶりの動因によってわずかでも回れば、颯爽として空気を早歩きできる、歌が聞こえれば笑い、赤児が通れば一気に血は巡る、このすこしばかりの時こそ、依存性だ。


李白ぶった数ヶ月は今後も続きそうだと、福岡の燗酒が退勤後に染み渡る、壁にかかった台詞替えが、末世の退廃にうめぇぇぇと叫ばれる、代弁の他はない、あとに酔いですべてが鈍化する前の、先鋭とした一撃に吼える。


さっと来て、とっとと帰る、それをさせない刺身のうまさ、料理が良ければたった一杯ではとてもさせない、もっともっと温度はあがっていき、たとえ隣がいなくても、肴と酒が多弁にさせる、早く家にと思うものの、やっぱりもう一歩進んでしまう。


平和ぼけした頭は乱を起こしたくて毛嫌いする、しかし乱れるほどの騒動は起きず、ただ黙殺されるのみ、そこで顔を赤く地団駄でも踏めればしめたものだが、同じように黙りこくる、おそらくそれでいいのだろう、とはいえやはり駄目だろう。


貼られた版画に視覚をとられる、胡瓜の漬物臭い酒の表は、どこかの家屋の木版画だ、チャコールが色濃く目を覆い、一面的だからこそ目玉の大きな子供がうっすら笑う、どこの記憶だろう、冷たい図工室の中で、廊下の雑巾に臭うようだ。


物干し竿にかかるようはない、やわらかく、何物もつかまずに髪の毛に立っている、見映えの効果はほとんどなく、おもむろに顔を見れば、よくわからない、内でどんな意思があるのだろうか、注目に値する事以外も気分で知れる。


ずれを持って生まれてきたなどと、自己憐憫にもはや陥ることはなくとも、おそらく終わるまで食い違いを抱えていくのだろう、誰しもないはずはないが、およそ泥の湖面の中にいるのかと思うほど、雇われている世界は乖離している、ならばそちらへ飛び込めばと思うものの、とうにあがってしまった。


さっと風を吹く、昨晩の雨はいくつもの御幣を地に落とすものの、向きによっては元気でいる、日の戻った昼に並んで揺れて、今日明日の祭事は無事行われるだろう、暖房に電源を切り替えた午前だが、これからは紙が走っても暖かくなりそうだ。


一つの見過ごしに手をつけたら、一つのやり残しに気が向く、ページ数だけで時間を計り、おそらく間に合わないと決めてそっぽ向いていた、面すれば目測より早く片づき、やはり文章こそ要だと行動の発端を思い知る、頭よりも体か、わかりながら重く、なかなかできない動きだ。


食べることばかりに向けられていた神経は、金という水の枯渇によって流れが戻る、偉大な一品はただそれだけで多くの影響を生ませ、自分だと思い込む主題について久方ぶりに思い巡らせる、もう時代遅れのテーマならば、その古さもモチーフになるだろうか。


目抜き通りを歩くことは、毎週末のランチほどに習慣になっている、男女を含めた衣服の形象は、下心が仮にあるとしても、人物造形に活かせると思える、それは間違いのないことで、趣味が素材となって生きる物語はあるに違いない。

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