第44話

今年一番の街の暑さでも味わっておこうと、アスファルトに立っては熱波がスポンジのように厚みを持ち、ごわごわではなくうねうねと温度が目に見えるらしい、光は同じかもしれないが、体感は一度でもわかってしまう、さすが暑い、この一言に情感さえ消えてしまう深刻な香り高さだ。


連休の自分もすっかり消え去った連日の最終日に、仕事はそろそろ終わりをむかえようとしている、鼻はいない人の残り香を変わらずとらえ、逃げるように本を読んで寸暇を潰している、昨夕同様の稲光が明かりを一瞬間止まらせ、今日も雨に濡れるのかと思うばかり。


今夏が始まったかのような一声が、曇り湿る雲の前に高鳴る、今まで耳にしていなかったらしい嗄れた鳴き声は、それでも長くは続かない、あと一週間以上八月はある、それでも蝉は早早と去っていく、一度に来て一度に帰る、その残りがなにより夏だろう。


あれだけ浴びた休日は、連ねていようと、一個だけ置かれていようと、貴重であることは変わらない、一週間ぶりにさえ里帰りを心の内に認めるのだから、ついつい平日の時間と生きる荷が恨めしくなる、とはいえ、耐えたからこその放散がある、こんな繰り返しをいつまで、それを喜べる今日の午前か。


東南アジアの揚げた大豆食品をしまうべく、輪ゴムを伸ばしてかけようとすると、熱にやられたか弾け飛ぶ、さてどこへ行ったか、辺りを探して見るも当たらず、掃除機で吸わないようにと思って忘れると、風呂で頭を洗っていて気がつく、ドアノブに垂れる一麺が、こういうのがなぜ喜ばしいか、変なものだ。


知り合いが増えればそれだけ手間がかかる、挨拶のタイミングをうかがい、間のとりかたに神経を疲れさせる、たしかにそんな一面もあるだろうが、少しの会話に一日が盛りあがることもある、どこかで見た色とりどりのトマトが袋に入り、悪い考えを持っていると頭をひねってしまう。


少し山から市内に出れば、もう二度と戻れないことになるのは、今でも当然としてあるらしい、それは街でも同じことで、村でなくても会社に帰れなくなるのを聞いた、陋習の中に風情が認められるのは否めない、偏狭の中にこそ味わいがあるのだと、あくまで映画で知った事に考えを巡らす。


雨に餓えていた日日に少し餌まくように通り雨が来る、それも決まった時間の六時前と、一昨日と同じ雨模様だ、逃げて入ってきた客は濡れた香りをまとい、急ぐ用のない身はテーブルでただそれを鼻にするのみ、外は雨傘が立ち、様子を見れる今が店内にある。


この世で一番酔うのは炭酸らしく、木苺の香りする甘い飲料へ次次に手を出したいが、すぐに歯止めがかかる、口あたりの良さで優しいなどと思ってはいけない、口のうまい人ほど裏の舌が汚らしい、それで人を信じるかは別だろうが、避けてしまう臭さがないことはない、そんなことをつい赤い飲み物にみる。


自分とまったく異なる他者にようやく興味を持ち始めた最近だ、持ち合わせを理由にしていたが、今は滞りなく動いているから原因は他にあった、新鮮に感じているのも、重ねれば、嫌気に刺すと知った気になっても、とりあえず飽きるまでやっていこう。


もつれる前の糸がスルメだったとか、からまる前のおさない家が隣り合い、歳月の違いで物心には届かない、それが後年になって顔合わせ、他の子供心をたぐり寄せるなら、それが巡り合わせとして不思議な邂逅をもたらせる、他人のそれを見るのはまさに喜劇の様相だ


何かを始めるのに歳は関係ない、関するのは基本となる暮らしと収入だろう、四十を前にして新入社員と同じ給与となり、夜の生活をようやく知る、遅いだろうか、それが息抜きにあるのか、それとも物拾いにあるかは別としても、五年前に初めて社会人になったなら、あたり前の立場だろう。


三色のフォントが重なるポスターを見ながら、デパートで企画された版画の販売が目に映る、百二十分の五十六か、名前は美術館で目にしている、価格は軽自動車の新車ほど、これを高いと思うかどうか、金があれば稀少ではない、むしろ多くの仲間があっても、たしかな図柄の質の高さが目に飛び出ている。


合い鍵の部屋で、履歴が夜の二人の女を映し出す、電話でもできることはインターフォンでも可能らしい、趣味としての男女関係などと思うが、それだけで切れない人間性があることだろう、人の一生は狭く限られている、他者の広さにもう少し、違った生も欲してしまう。


李白の詩に平仄できない今がある、違反と誇れるほどの酒の減りはなく、頭に浮かぶはサプリメントか、なんて貧弱な心になったものだろう、規律に目を向け、寝る時間を定めて深呼吸する、休日の夜に少しだけはみだすにも、来週の予定を踏まえている。


睡眠と寝不足は干満のようだと、数日における時間の配分に思う、ならば深酒はどうだろうか、仮象の喜びを一時に集中させて、それから倦怠と頭痛を一日ひきずる、どうも割が合わない、しかし短い間の栄華にこそ、重荷を背負う長さは報われるのだろう。


年齢は理由にならない、最近読む短編作品に面白味を発見するように、今になって現代アートの見方を知る、目でとらえられる既存としていた美意識ばかり追いかけて、頭を働かせていなかった、近頃哲学書に関心させられるのと同じで、ややこしい考え方にこそ味わうべき思索があった。


代休前の数十分に、絵の才能を求める、雲の明るみに惑わされつつ、夕陽は川辺を射している、グリーンの下草に広がる土手を見て、せめて輪郭でもいいから描けたら、その気になればできることを欲して、いつも通りの暇つぶしとなる。


元気がないだけだろうか、相手の心などわからないと知りつつも、探ろうとしたのはもう帰り支度がすんでからで、同時にやり残しも見つけてしまう、休日とは異なる一日を挟むのを前にして、今年初めての平日休みかと考える、まあそれは今日まで、明日は別のことで頭は埋められる。


休みの有効的なまでの時間配分に、休日が消えてしまった気がする、労働のない日に肉体を使い、普段とは違う筋肉が疲れている、まるで大量の段ボールケースを一人トラックに積んだような疲弊に文句が出そうになるものの、リズミカルなほどの無駄のなさが経験として宿る実感がすでにある。

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