第45話

一度として使うことはないと思った麦わら帽子をかぶり、タオルを両耳に垂らし、手ぬぐいを首に巻きつける、数十年ぶりの農作業でありながら、長靴を履いた格好だけは一人前だ、とはいえあまりの熱射に体はふらつき、慣れない仕事の苦労よりも、畑仕事の精根に目がくらくらしてしまう。


あと一時間は使えるだろう、眠気を堪えて聴く荒事のようにしてから、わずかな時間に酒と体力を相談する、結局考えるのは数日の日程にあり、少しでも荷物を下ろさせたほうがいいと、明日の夜の状態も考慮する、中休みは字面通りにはいかない。


暇こそが最も悪意ある想念を生み出すと、甘さと厳しさの違いを前に視線を動かす、甘味をさらに甘やかして、どろどろ口にできない気持ち悪さが作られる、避けるものは何か、成長は常にそこにあり、それを望んで生命はあるように思ってしまう。


標高三千メートルの空の青さに、低い雲が銀色に流れていく、太陽は皮膚を焼き、壁面の反照は強靱なほどだ、そこに自転車が通って手を振られると、今日は小さな愛犬との散歩ではないらしい、ふとしたことが横切って、さきほど読んだ詩の一節と共に目が覚める。


よく喋る、いや、自分が喋らないだけだろう、一人に連れられて四人が店に来て、決断することなく料理を振り分けられたことが思い出され、多くの人は己で決められないのだと、人間関係が職場にうつる、一人で多くを済ませられるのは悪くないが、それだけ他を必要しないことだと、ただ考える。


距離をあけての基本生活は、いろいろな場面で煩わしさから遠ざけてくれていた、そしてマスクも、野性的な感覚の一つを遮断していた、二人空いた席でさえ体臭はおしゃべりするので、つと顔の下半分を覆ってみたところ、たちまち消えてしまったことが物語っている。


対岸の虫の音を聴いて、水面のゆらぎに目を潤す、この土地で長く活動しているフィルムの数品を観続けて、予期していたアマチュアの質を確認した、石のベンチは尻が熱く、夕刻の余熱が休日の少しをもったいなく思わせる、歩く人を見て、いったいどこを目指しているのか、道草ばかりで一向に進まない。


スプリンクラーが足下に届かないあたりに散らしている、雲ばかり大きく浮かぶ今日も夏空で、くるぶしばかり蚊にやられている、こんな日は甘ったるい曲もたまたまかかり、チェロがねっとり歌いあげている、風はあるが翻らず、国旗は咲き終えたひまわりのように垂れて、赤色と襞がぽっかり浮かんでいる。


少しだけ自分の可能性を知れる時があると、図に乗ることがわかっているので制御をかけようとする、疑いを持っていることが世界であり、まわりがどうこう言っても信じられない、それは嬉しいからこその反省であり、やはり、信じてはいけない気がするからだ。


長靴と同じくサングラスも天候によって欠かせない、気取っているように思っても、慣れてしまえば普段となる、えぐる日射はいつまでか、少し暗く映る積雲をあちらに見て、やはり夏が好きだと、この眼鏡がしまわれることを寂しく思う。


ソファーはふっくら尻を座らせる、テーブルまで少し体を屈めるのが純喫茶らしいゆとりある空間だろうか、ベージュの革にビニールテープの補強が透けていて、ドレスの裾のようなカーテンに飾られる窓からの光を受けている、そして音楽はヒップホップだから、こだわりのある折衷となっている。


やる気よりも義務に引っ張られて夜を動くものの、成果はまるで出てこない、徒労とおぼしき文章が出てきても、発想も意匠もない死んだ断片でしかなく、出てこない中をうろうろする、そんな時に焼けたベーコンを口にして、生気が少し蘇る、すでに腹一杯での注文だったが、もう少しがんばろうと思わせた。


頭をどの方向へ働かせるのか、単なる愚痴としてのつぶやきか、それともトンネル工事へ向かう計画か、同時にできればと思うけれど、やはり正しい向きが必要となるらしい、わかっていること、簡単にはいかないこと、そこから逃げる気持ちの方が常に強くても、向かい風や逆流を進んでいかないといけない。


目は開かず、意識だけが先走っている、自信を失う、見栄だけで成り立っており、わずかに体力と気力が削がれると、露わにされ、隠れようとする、夜はまだ長いのに、体は眠ろうとする、ベンチに風が吹き、今日見たおかしな人達が思い出されると、傘を被る自転車の赤いランプがピロティを遠ざかっていく。


今朝も日射しの変わらないまま、休日のとろさで目が幾度もしばたたかれる、量は多くないからテーブルに腰をつけて、少しの読書も許される、汗はすぐににじみ出して、首のまわりをひりひりとさせる、古詩の音調を真似て今日も、映えない仕事が始まっている。


週の中頃ならば、昼前から糖分を欲してキャラメルに手を伸ばすが、週のはじめはそうでもない、休めたいのか、単にいらないのか、あまり動かずにいることが原因だとしても、休日に食べきったような、あと二十分か、昼ご飯ばかりを待ってしまう。


昼前の二分間に選択肢があり、本かうろつきか、考えながら紙を取ってペンを動かす、特に頭の中には何もないが、生きていれば動いているように、勝手に字は綴られていく、ここには何もない、そう言いながらも、つながりによって、勝手な何かが在ってしまう。


車や室外機から発せられるような熱気は、一日一日と終わりの近づく仕事を思い出させる、暑さはたやすく仲間と結びつき、昼も夜も区別なく酒と話で騒いでいた、今はもうそんな青い業務はなく、定年か倒産か、それとも断念か、だらだら続く暑熱になりさがっている。


そろそろいらいらするのをやめよう、ストレスばかりためて顔のつくりだって歪んでくる、見なければいい、聞かなければいい、しかしそうもいかない、まだ火曜日だというのに、すでにこれだけたまっているのだから、克己するにはどれだけ必要か、これだから暇は嬉しく困る。


つまらないことを考えて悶えていれば、耳の聴こえだって悪くなる、診たところ鼓膜はきれいにあるから、原因が欲しかったのに、見えないところに置かれては、しようがない、笑うことはどれだけ薬になるか、光がまぶしくうつると、つい勘違いしたくなるが、居心地の悪さはまんざら悪いものではない。

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