奪還

 白い光に目が慣れたとき、ディアナとレミーの視界に飛び込んできたのは、いぶし銀の部屋だった。

 白い壁にいぶし銀の機械とも家具ともつかないものがごたごたと並んだ奥の壁際に、人ひとりが横たわれるほどの水槽があった。

 あちこちに赤茶とも黒ともつかないシミが飛び散っているのは……ディアナは思い出して、目を背けた。盗賊と兵士がここで争ったのは、嘘ではないのだ。

 そして、不思議な運命によってディアナは盗賊側になっている。


「見た感じ、俺たちが逃げたときと変わらんな」


 レミーはそう言って水槽を見ると「嘘だろ」と目を丸くした。


「水が……なくなってる」


「でも見た感じ、水槽に傷はないよ。見て! 水槽の底に誰かいる!」


 ディアナとレミーは水槽に駆け寄った。床は乾いていた。

 ガラス越しにのぞくと、水槽の底には、黒髪の女性が横たわっている。

 顔の右側が痛々しい火傷でおおわれているが、愛らしく幼い顔立ちで、身長は二人と同じか少し低いくらい。

 肌が少し黄色く、黒い服を着ている。


「……セリカだ」


 ディアナの頭の上に浮かんでいたのと同じ顔をした人間が、そこにいた。

 背中には無数の管がつながり、絡み合ったりほぐれたりして、コウモリの羽のように見えた。


「これ、助け出すにしてもどうすれば……」


 レミーが首をかしげたその時、不思議な男の声がした。


「エキタイナイ トウミンジョウタイ カイジョカンリョウ トウミンソウ カクノウ カイシ」


 にぶい音がして、水槽のふたが壁に吸い込まれていった。

 水槽の周りの枠は水槽の下の祭壇に吸い込まれ、横たわる人物と二人の間を隔てていた壁は無くなった。


「セイメイイジソウチ カイジョを始めます 事故防止の為、ソウチに手を触れないでください」


 意味不明な言葉に混じって触るな、という指示が聞こえたから二人が思わず一歩あとずさると、ぷしゅ、と軽い音がして、女性の背中につながっていた管が外れた。


「カイジョ カンリョウ デス トウミンシャ ヲ ベッドへと運んでください」


「もう大丈夫みたいだな。ディアナ、彼女を下ろそう」


 二人でセリカを床におろす。彼女の体は、レーンと同じくらいの軽さだった。


「起きる気配がないけど、そっとしといたほうがいいのかな?」


「ベッドに運べ、って誰だかわかんないけど言ってたし、本来ならそうなんじゃねえの?」


「本来なら?」


 レミーは扉を見る。

 いつの間にか閉まっていた扉の向こう側から、荒々しい怒号と足音が聞こえてきた。


「ディアナ、セリカを背負って走れるな?」


「レーンが森の中で倒れた時、誰があの屋敷にレーンを背負って走ってたと思う?」


 ディアナは不敵に笑ってみせる。

 同時に、聖職者と彼らに追いすがるレミーの手勢が部屋になだれ込んできた。


「その女を置いていきなさい!」


「やなこった! おい貴様ら、黒髪の女は皇太子殿下の女だ! 手を出そうとするやつは聖職者だろうが不敬罪でぶった切っていいぞ!」


 聖職者の制止に対する返答は、レミーの宣戦布告とならず者たちの突撃だけだった。


「ゴトフリー様。わたくしは彼の知り合いです。私に任せてください。レミー、あなたは善良な飛脚だと信じていたのですが」


 一歩前に踏み出した老人の顔に、ならず者たちの表情が変わる。


「げえっ行方不明になってたオーランド様の執事だ! ノーデン領主とも繋がってんのかよここ!」


「わたくしは既にオーランド様の執事ではございません! 神のしもべですぞ!」


 牙をむきだすようにして、レミーは凶暴に笑った。


「うかつだなじいさん! つまりここをめちゃくちゃにしてもノーデン領主は出張ってこないってことを白状したな! おいお前ら! 海の向こうとやらから強力な武器を手に入れたバカ強いノーデン領主騎士団は来ねえぞ! やれ! だが皇太子殿下がお通りになる道を必要以上に血で汚すんじゃねえぞ!」


 レミーの指揮に、ならず者たちが聖職者に殺到する。


「異端審問官の私に言わせれば異端の武器など神の祝福を受けた武器よりも弱いが」


「お、でかい鳥が海に落ちた時にノーデンに来たゴトフリー様じゃねえか! チンピラ雇って皇太子サマを襲わせる神の代理人の祝福なんざ、悪魔の呪いと変わりゃしねえよ!」


「ぬかせ。聖剣のさびにしてくれる!」


「本来、聖職者ってこん棒で戦うんじゃなかったっけ? 剣を使うとはどっちが異端だかわかんねえや!」


 長剣を抜き放ったゴトフリーに対し、レミーは銀色の家具の陰に転がり込む。勢いよく振り下ろされた長剣がレミーの動きについていけず、銀色の家具をとらえ、火花を散らす。


「隙だらけだぞ!」


 家具に食い込んだ長剣と四苦八苦するゴトフリーの後ろに回り込み、レミーはゴトフリーの首筋に肘鉄を食らわせた。

 気絶したゴトフリーに目もくれず、レミーはディアナの服を引っ張る。


「俺が先導する。ついてこい。おいお前ら皇太子殿下のお通りだぞ! 道を開けろ!」


 ディアナは必死にレミーを追いかけた。

 ならず者たちはレミーの姿を見てすぐ道を開ける。きりかかってくる聖職者や兵士は、レミーが手早く無力化する。

 レミーやならず者たちが荒事に慣れていることや、兵士たちの練度は高かったもののそれは長剣の扱いに慣れているというだけで、室内戦には詳しくなかったのにも助けられて、ディアナとレミーはケガをすることなく宝物庫の玄関から脱出した。


「あとは階段をかけおりるだけだ!」


 レミーのはげましに、ディアナは首を縦に振った。

 セリカを背負っての全力疾走で、ディアナの体力は限界に達していた。

 ディアナが最初の一歩を踏み出したとき、悲劇は起きたのである。


 いくら貴族が管理しているとはいえ、山の中の石段だ。

 枯れ葉だまりができている。

 ディアナは、そこを思いっきり踏んづけ——足を滑らせて、セリカごと転げ落ちた。

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