復活祭のミサ

 王城の地下に行ったことを特にとがめられることも無く、何事もなかったかのように王城での贅沢三昧ぜいたくざんまいの日々がディアナに戻ってきた。言葉通りディアナが行くところどこにでもセリカがくっついてくるようになったことくらいだ。そして、セリカはディアナにいくつか指示を下した。


『世界を変える下準備をするわ。まずは土地を用意するのよ』


 ディアナはセリカに指示された通り、マルベリー畑を買い取り、マルベリーの葉が出たらすぐにかいこを飼える準備を整えた。皇太子の仰せとあれば、と召使いたちは迅速にディアナの希望を叶えた。虫について何かすればすぐにナオミのヒステリーが飛んできた、森の中の生活とは大違いだった。理想的といってもよかった。

 それでもやりきれない思いは消えなかった。ディアナは毎晩セリカに愚痴ぐちや弱音を話した。セリカはディアナを否定することも無ければ、肯定こうていすることも無かった。ただ、ディアナの話に相槌を打っていた。


『しんどかったわよね。はあ、こんな時に体があれば、あなたを抱きしめられるのに』


「セリカには体があったの?」


『昔は人間だったから当然です! 体から引き離されて色々あって悪魔になって、さらに色々あって封印されたんです!』


「セリカ、体が欲しいの?」


『ええ。でもただの体じゃダメ。黒髪で肌が黄色っぽい女の体じゃないとダメ。それ以外の体はお断りよ』


 昼間レーンとして扱われることを我慢していても、夜になればそんなものとは無縁だ。自分でいられる時間を持て、ディアナは気が楽になった。冬はいつしか過ぎ、春になって復活祭の時期が近づいてきた。体の弱さを口実に公式行事には出来るだけ出ないようにしていたディアナだったが、貴族同士の舞踏会ぶとうかいなどよりも遥かに重要な行事である復活祭の大ミサに皇太子として参加しないわけにはいかなかった。ディアナは王城に初めて来たときのように盛大に飾り立てられて馬車に押し込められた。ガタガタと揺れる馬車の中で、ディアナはあることに気づいた。


「そう言えば大丈夫なの?」


『何が?』


 セリカは気づいていないようだった。ディアナは不安が膨らんだ。


「私たち、神父様に見破られない? セリカは聖書の文句とか聖水で退治されたりしない?」


『ああ、大丈夫よ。私のことはどうやったってあなた以外には見えない。聖書とかもへっちゃら。聖水は……まあ、頑張っていっぱいかけたら、あなたは風邪ひくくらいするかもしれないけど』


「それ頑張る方向が違うし、聖水である必要ないよね?」


 ディアナは吹き出さずにはいられなかった。聖水が効かないなんて、セリカはすごく強い悪魔なのかな。ディアナが表情を緩めたのとは裏腹に、セリカの表情は真剣を通り越して深刻だった。


『でも、本当に体には気をつけなさいね。あなた体壊しても、うっかり人前で服脱げないでしょう?』


「……うん」


 密やかな話をしているうちに馬車は教会に着き、扉が開けられるとともに荘厳そうごんな音楽が聞こえてきた。ディアナは口を閉じ、召使いの誘導ゆうどうに従って馬車を下りた。誘導されるままに席に座り、難しくてよく分からない教皇の説教と、聖歌隊の美しい合唱を聞き流しているうちに、気づけばミサは終わっていた。ミサ後の午餐会にディアナは呼ばれたが、体調がすぐれないことを理由に馬車へ戻った。貴族たちがディアナを悪意のこもった視線で見つめ、陰口かげぐちを言うのが分かったが、ディアナにはもうそんな事はどうでもよかった。セリカの存在が教会にバレなかった。私が女の子だということもばれなかった。よかった。ディアナは大きな安堵あんどのため息をついた。


『女の子が教会に立ち入ると最悪しばり首なんだっけ。バレたら命の危機ってこと、覚悟しておきなさい』


「うん……」


『……私の知ってる女の子で、やっぱり訳あって男装してて、教会に立ち入った子がいるけど、その子は本当に可哀相かわいそうだった』


「縛り首になったの?」


『それより酷いわ。女だって言えないことをいいことに、教会の神父やら異端審問官いたんしんもんかんやらにさんざんもてあそばれて、赤ちゃん出来ちゃって』


「えっ……」


『なんとか逃げ出したけど、結局、出産で死んじゃったわ』


 ディアナは言葉を失った。セリカはディアナをじっと見つめていた。悪魔には不似合いなほどの思いやりに満ちた表情だった。


『教会なんて基本クソだと思ったほうがいいわよ。私が悪魔だからこんなこと言うんじゃないわ、わかるわよね?』


「……わかる」


『まだまだ道は遠いわ。世界を変えるその日まで、自分のことちゃんと守って、お願いよ? 私は物理的干渉はできないし、あなたが乱暴されても助けられないんだからね?』


「……うん」


 そうだ。私は世界を変えるのだ。ディアナは決意を新たにした。マルベリーの葉が出れば、世界が変わる第一歩になる。馬車はのろのろと王城へ向かう道を進んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る