王都の章

男装王女

 ナオミの手にあったナイフで、ディアナのポニーテールは無残むざんにも切り落とされた。どすん、と重い音とともに黄金こがね色の長い髪が蛇のようにうねりながら床に散らばる。

 ディアナはこの状況が信じられなかった。うそでしょ。ママが私を助けてくれなかったなんて。きっと、夢を見ているのだわ。レーンが死んじゃったのも、ママに髪を切られてしまったのも、きっと悪い夢。きっと私の目と耳が、悪夢の世界に引き込まれているだけなの。髪を触れば、ちゃんと長くてさらさらした触感しょっかんが分かるはず。ディアナは恐る恐る自分の後ろへ手を伸ばす。

 無情にも、彼女の手に触れたのはなめらかなポニーテールではなく、ちくちくした短髪の感触だった。ディアナの髪はレーンと変わらない長さになってしまっていた。


「これならば、王子として通用するな」


 勝手なことを貴族たちはいう。ママはきっと、この人たちにだまされちゃったんだ。きっと、自分のやってしまったことの重大さに気が付いて、私に謝ってくれるはずだ。ディアナはナオミに顔を向けた。ナオミはぼんやりしているようにディアナには思えた。きっと、自分のやってしまったことを後悔してる。


「……死んだのはディアナ。レーンは生きてる。私は第一王子の母に……ひいては国の母になるの」


 ディアナの期待とは裏腹うらはらな言葉がナオミの口から飛び出した。信じられず、ディアナはナオミの顔をのぞき込む。恍惚こうこつとした表情だった。


 ・


 そう、レーンがいたから成立していた場所。レーンは鳥籠とりかごの鳥であると同時に、鳥籠そのものだった。レーンという鳥を世話するための鳥籠が、森の中の屋敷だった。鳥がいなくなったから、存在意義を失ってこわれてしまったのだ。ディアナがそこにいられたのは、鳥を楽しませるお世話係だったからだ。


 ――もっとも、お世話係が鳥になってしまったけど。


 馬車に揺られながら、ディアナは苦笑いした。着せられたレーンの服がごそごそする。その不快感に、ディアナは数日前の苦い思い出を呼び起こされた。

 簡素な【ディアナ】の葬儀の後、ナオミは嬉々ききとしてディアナの私物の全てを捨ててしまった。心を込めて作った標本も、スケッチも、森に出て行くための野良着のらぎも、全てナオミは火にくべたのだ。まるで、最初からディアナなどいなかったかのように。ナオミのすきをついて、ディアナは不思議な蛾を死守することには成功したが、それ以外の物は、全て灰に変わってしまった。

 不思議な蛾と、驚くほど少ない荷物とともにディアナはゼントラムに送られた。王城とは少し離れた御殿に彼女は泊まることになった。そこで丁重なもてなしを受けたが、ディアナの気分は晴れなかった。

 ディアナはこの世で最も贅沢ぜいたくだといえる状況にいた。

 ディアナに与えられたのは、今までに見た事もないほど立派な、金を基調きちょうとし、珍しい草花や鳥で彩られた極彩色ごくさいしょくの部屋である。

 家具も美しく緻密ちみつな彫刻で装飾され、布団は金糸銀糸をふんだんに使っていながらとろりと溶けそうなほど柔らかで、まるで雲に包まれているかのような寝心地だ。

 部屋だけではない。ディアナが欲しいと言えばどんな物でも召使いが運んできた。動物が見たいと言えば、多種多様な動物が飼われている動物園にすぐ連れて行ってもらえた。音楽がききたいといえば、即座に楽団がディアナの部屋にかけつけた。彼女の望みはなんでも叶った。流石に冬だから、虫を飼いたいという望みは口にしなかったが。

 山海の珍味から天に昇るような美しい音楽まで、ディアナが欲しいといって手に入らないものが無いかのようにディアナには思えた。

 それでもディアナが気に入らないのは、ディアナが召使いを呼びつけた時、彼らが必ずこう言うことだ。


 ――レーン様、なにか御用ごようでしょうか?


 レーンが鳥籠とりかごの鳥なら、ディアナは足環あしわをつけられ、くさりにつながれた鳥だ。おりに入れられてはいないけれど。レーンという名前にがんじがらめにされ、ディアナという存在は羽ばたくことを許されないのだ。

 誰も今ここにディアナがいることを認めてくれない。召使いたちは、レーンの要求に応えているだけたのだ。そう気付いて、ディアナは愕然がくぜんとした。願いを口にすればするほど、絶望のふちに落ちていく感覚。ディアナはどうしたらいいのかわからなかった。

 それから、ディアナは全てが馬鹿らしくなった。ただただ容易に自分の存在と引き換えに願いが叶う様を眺めながら、ディアナはこんな世界は壊れてしまえばいい、としびれたような頭の片隅でぼんやりと思った。


 ・


 年が明け、アルスの即位式があった。ディアナは体調がすぐれないと訴え、即位式に出席しなかった。レーンは病弱だ、ということは貴族の間にも知られているらしく、誰も疑うものは居なかった。

 ディアナはこのまま公式の場に出ることなく引きこもっていたかったが、1月の半ばに、アルスから直々に挨拶あいさつに来るように使者がやってきた。


「レーン様が王城に参上なさらない場合、アルス様直々にお見舞いにいらっしゃるそうです。ディアナ様、ここは腹をくくって王城へ行った方がよろしゅうございます」


 ベッドで寝たままアルスの見舞いを受ける、と主張するディアナを、ブレナンは熱弁を振るって説得しにかかった。今やブレナンだけが、ディアナがディアナであることを認めてくれる人間だった。


「そうなの?」


「はい。レーン様は皇太子殿下であらせられます。王位は健康な者が継ぐことが望ましゅうございます。もしレーン様が健康問題を理由に皇太子に不適格とされた場合、限られた人間のみしか入ることを許されていない王城の奥ではなく、たくさんの人間が出入りする離宮にお住まいになっていただくことになります。多くの人に会うということは、何者かがディアナ様のことに気づく可能性が上がる、ということです。ディアナ様、どうかアルス王にお会いください」


「……すぐに、私がレーンじゃないってこと、バレそうだけど」


「大丈夫です。私に教えられた通りに振る舞えば、誰もディアナ様だということには気づきませんよ」


「そっか。行ってみる」


 全く気乗りしなかったが、ディアナが行くと決めた瞬間に物事は坂道を転がり落ちる石のように加速していった。ディアナは特に豪華な服を着せられ、仕上げに、見た事もないほど派手な緋色ひいろのラシャと毛皮と金糸のかたまりのマントを羽織はおらされた。さらに、ディアナは外出用の靴をはかされるやいなや、マントのすそを召使いがいそいそと持ち上げ、マントで押されるような形でディアナはこれまた金色の派手な彫刻まみれの馬車に押し込まれた。


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