「また会いに来たよ」
PURIN
おにとふえ 上
音も光も、何者かに食い尽くされた
足元の感覚の僅かな異変。立ち止まる。見下ろす。
周りの青々と茂る草達と異なり、茶色く水気のない草。
「しんでる」。
このような草を、「しんでる」という。どこで覚えたか忘れたが、そういう。
踏みつけ、再び歩き出す。
がさりと、聞こえた。
歩を止め、天を仰ぐ。先刻よりも闇の色が希釈されている。目に突き刺さる、巨大な白い光が昇ってくる頃合だ。
あれは目を痛くする。眠ろう。ねぐらにしている、木の根もとのうろに戻ろう。
だが、その前にもう一度だけ。
静寂も黒暗も、切り裂くように。どんな美声の鳥獣も真似ることのできない音色が響き渡った。
丸い空洞を指の腹で押さえ、離し、また押さえ、離し……
この棒――「ふえ」という。何故知っているのか分からない――から発される音の変化。それを利用し、自分が知る唯一の調べを奏でる。
意味などない。けれど、毎晩行わなければ、気がおさまらなかった。
何時生まれ、何時から、何故此処にいるのかなど知らない。
気付いた時には存在していて、此処にいた。この森に。ただ、この引っかいたような傷まみれのふえのみを手にして。
自身の過去を思い出そうともした。が、思い出そうとすればするほど頭の中に濃い靄がかかるように真っ白になっていく。
無駄なので、やめた。
光が出ている間は眠り、闇が濃くなったら覚醒する。
目が覚めている間は、他の生物に見つからないように木々の間をあてどもなくうろつく。姿を見られてどうということもないが、大声で騒がれる場合が多い。不快なので、隠れるように移動する。
森からは出ない。出る方法が分からない。外に関心もない。
歩き回る他は、ふえを吹いて過ごした。森の中のとある地点は、他の地点と比べ生物が少ないので、そこで吹いた。
歩き回るより、ふえを吹く方が嫌ではなかった。ふえにしか出せない澄んだ響きが、耳に心地良い。
眠り、覚め、歩き、ふえを吹く。
ただ、それだけ。
そんな日々を嫌だと感じたことは、一度たりともなかった。
嫌だと感じるという、発想がなかった。
その日も、歩いていた足元に違和感。
草の上には、硬直した、手のひらに少し余るくらいの灰色の毛皮。足先で触れる。無反応。生きている獣の体温ではない。
「しんでる」。
草木だけではない。獣や鳥も「しんでる」になる。全てがいつか、「しんでる」になる。音だってそうだ。ふえから生み出された直後はどんなに大きな音量であっても、やがては徐々に消えていくのだから。
「しんでる」獣を踏みつけ、歩みを再開した。
ぐにゃりと、感じた。
わたしは「しんでる」になることはない。何故だか、それは知っている。
たとえこの森の全てが「しんでる」になろうと、わたしだけは決してそうならない。
わたしだけは、眠り、覚め、歩き、ふえを吹く。変わらず繰り返す。それだけは、確かだ。
いつもの地点に到着した。
ふえを口に運ぼうとした手は、しかし中途で停止した。
耳にしたことのない、妙な響きだった。
無数の木々の葉と葉の合間を縫うように。か細く、けれど他に騒ぎ立てる者もいないこの場で一筋の道標であるかのように強く。
一音一音が、確固たる意思により組み合わされた曲節。
獣の咆哮でも鳥の囀りでもない。
これは、ふえの
わたしの他にもふえを吹く生き物がいるのか。
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