第3話 作戦決行の夜
玄関の扉からガチャッと、音が聞こえてきた。
ならば、ここからが俺の勝負だ。
「おかえり」
帰ってきたのが雨音だと確認した後で俺はそう言った。
「ただいま」
そして、雨音は冷たくも返事をして、二階へと登っていく。
とりあえず今から
失敗したらもう為す術が
これは緊張が高まるな。
俺は雨音について行くように階段を登っていく。
二階の廊下に雨音の姿は見当たらないので、もう自室に入ったのだろう。
俺は足を一歩一歩進めていく。
その度に雨音の部屋との距離が近づいてくる。
残り三歩、二歩、一歩······。
そして雨音の部屋の前まで来た。
俺はそのままドアノブに手を掛け、押そうとする。
だが、その瞬間脳裏にふと、過去の記憶が宿った。
それはおよそ三ヶ月前。俺がまだ高校一年生の時の出来事だ。
俺は用事があったため足を雨音の部屋へと向かわせていた。
そしてドアノブに手を掛け、そのままするべきこともせずドアノブに力を込めた。
その時の雨音からの言葉は思い出すだけで胸が痛くなる。
「ノックぐらいしてよ! 死ね! この変態!」だぞ? ノック一つ忘れただけで死ねはないだろ······。
そんな暴言を吐かれたことがあったので俺が仮に今日、ここでノックするのを忘れたら······間違いなく金を利用したとしても相談には乗らせてもらえないだろう。
守の素敵な提案が水の泡になるのは俺自身嫌だし、守にも失礼だと思うのできちんと俺はノックをする。
こんこん、ノックをしても雨音からの返事は無い。
疲れのあまり寝ているのか。それともただ単に無視しているのか。
とりあえず、もう一度俺はこんこん、とノックをする。
「もう何?」
どうやら一回目のノックは無視していたようだ。まあ、二回目で反応してくれたのならそれなりに嬉しい。
だって俺の嫌われ度が最低限に達した時なんて、何回もノックしても反応無かったからな。それと比べるとだいぶマシ。
「ああ、雨音にちょっと用があってな。入っていいか?」
「······」
特に反応が無い。これは入ってもいいということなのか。なら、遠慮無く入れさせてもらう。
「よ、よぅ」
雨音の可愛いセーラー服姿を見た瞬間ぎこちない言葉しか脳裏に浮かばなかった。
「で、何?」
無表情で椅子に腰を掛け、スマホをいじりながら雨音は言ってくる。そこはスマホに触れず、背筋を伸ばして笑顔で「お兄ちゃん、なあに?」だろ。
せっかくの可愛い容姿をもっと上手く使って欲しい。
「とりあえずスマホいじんのやめてくれないか。結構重要な話なんだ」
「はぁ、めんどいな。早く用件言って」
渋々と雨音はスマホをいじるのをやめた。初めてかもしれない。雨音が俺の言うことを聞いてくれたの。
これは嬉しい。
雨音はきちんと話を聞く気があるのだ。ならば、俺は笑顔を浮かべす真剣な表情、まさに今の雨音のような表情で用件を言う必要がある。
覚悟は決まった。
俺は雨音に頼られたいんだ。ならばやはり、金を利用するしかない。確かに最低の方法かもしれないが、これが成功して好感度が上がるのなら何の損もない。
俺は交渉が成立するよう、雨音にとってのメリットを初めに述べる。
「俺が雨音に金をプレゼントしてやるよ」
「······まじで!」
少しの沈黙の後、ありえない、と言わんばかりの表情を雨音は見せた。
いや、そんな驚くことなのか。
確かに俺は今まで金をあげたことはなかった。
だけど、誕生日やクリスマスにはプレゼントを買ってあげていた。
それが金に代わるのに対してなぜ、そんな驚いているのか。
雨音はプレゼントより金の方が欲しいと、そうゆうことなのか。
「ちなみに何円!? 一万円!?」
さっきの無表情とは打って変わり、雨音は笑顔を俺に見せてきた。いや、さすがに初回で一万円は厳しいわ。千円だわ。
この雨音の様子を見るからに将来、金で男を決めないかが心配だ。
まあ、多分雨音に限ってはそんなことないか。なんたって『イケメン』俳優が好きなんだもんな!
「まあ、『初回』は千円で許してくれ」
初回の部分だけ強調して俺は言った。
「ふーん。『初回』はねー。じゃあちょうだい」
早速こっちに
「ごめんな。それには条件が一つある」
そう言った途端、雨音は海みたいな冷たさを放った視線を俺に向けてきた。
「条件付きならいい。出ていって」
覚悟を決めて人差し指を立てながら話そうとしたのに、雨音にとってのデメリットを俺が話そうとしたら部屋から追い出そうとしてきた。
ちょっとそれは酷くないすか。
このままだと部屋を追い出されてしまうので俺はもう一度雨音にとってのメリットを話す。
「待て待て。日が経つに連れて一万円もあげるから、な? だからせめて条件についての話だけは聞いてくれ」
そしたら雨音は俺を押していた手を離し、俺との距離を空けていく。
そしてカーペットの上で
条件について聞く準備が出来たらしい。
すげえな。一万円は最強だな。
「で、その条件って何? 如何わしいことだったらいくらお金くれても即却下だから」
「妹に対して如何わしいこと頼む兄はいねーよ」
仮にいたのだとしたらそれは兄と呼べる存在ではないだろう。
俺は条件についての話を続行する。
「えっとな。俺をもう少し頼って欲しいんだ。要は相談とかして欲しい。それが俺の望みであって交換条件だ」
よし、俺は言ったぞ。
結構な勇気を消費してしまったが、言えたぞ。
まずはこの言葉を聞いた雨音の表情を
これで殺気が立っていたらその瞬間にゲームオーバーだ。
恐る恐る俺は顔を上げていく。
――とても、冷たい目でこちらを見ている。
俺の身体が凍ってしまうかもしれない程の冷たさだ。
だが、一応殺意とかそんなものは見られない。ただ雨音が俺のことを本気で引いていることしか分からない。
要はこの交換条件が成立する可能性は五分五分というわけだ。
「如何わしいことではないけどその交換条件キモい」
ほら、言われた。
元はと言えば雨音の可愛さが全て悪いんだぞ。
俺からしては雨音の冷淡な目も、歓喜の目も、殺意の目も、懐疑の目も、軽蔑の目も、憤怒の目も、どれも全て好きなんだよ。
雨音はどの表情をしていても可愛い。本当に可愛い。
俺に少しでもその可愛さを分けて欲しい。
だから、そんな妹を持ってしまった兄がシスコンになるのは当たり前。俺は何もキモくはない。正常な人間だ。
「で、この交換条件に乗ってくれるのか? 金を貰えて相談も受けてもらえるんだ。まさに一石二鳥だろ。悩む必要は無いんだぞ?」
俺が雨音を促そうとしても、まだ悩んでいる様子だ。
そんなに俺に相談するの嫌なんだな。お兄ちゃんまじショック。
そして、俺が悲しがっている時、雨音は口を開いた。
「分かった。一応晴斗のその案に乗ったげる。だけど勘違いしないでよ。私はお金が交換条件に無かったら一秒も経たないうちにその交渉却下してるから」
「よっしゃー! ありがとな雨音!」
俺の心は歓喜で満たされた。
その満足感に任せ、雨音に近づこうとしたが、距離を置かれた。
まあ、そうなるよな。雨音は『まだ』俺のことが好きじゃないもんな。
だが、これで俺らの仲は前よりも良くなるはず。俺が頼れる兄貴だってことを証明してやるんだ。
そして、いつかは「お兄ちゃん!」って呼ばれるようになるんだ。
俺らの未来予想図は完成に近づいてきている。
食事の際も沈黙ではなく、談笑を起こすのだ。
それが一応、今の俺の目標である。
「それでさ、千円ちょうだいよ」
そんな熱意を込めていると雨音は言ってきた。
あれ、勘違いしていないか?
「雨音が相談する時だけ金をあげるっていうのが交渉の内容だぞ。だからまだ雨音は俺に相談をしていないから、金もあげられない」
勘違いされたままだと困るので、俺は雨音の脳内を訂正した。
その時、さっきまでの冷たい視線よりもさらに一層冷たくなった視線を感じた。
直視してはいけない気がしたので俺は
「はいはい、そうですか。んじゃあさっさと出てけ。現状で相談することなんて一つも無い」
俺は
その声音まじで冷たすぎ。
本当に俺、凍るかもしれない······。
自分自身、雨音の部屋にこのままいたら危険な気がしたので、言われた通り部屋を出ていくことにした。
――さて、これで少しでも俺らの関係が良くなりますように。
俺は部屋を出ると同時にそう望んだのだった。
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