何度だってこの愛を!

新庄 めぐみ

第1話 夢見る夜のうるさい訪問

本当に夢を見ているような気分だった。

「はい、どうぞよろしくお願いします」

 彼女の返事に俺は耳を疑った。

「え、そ、その今何て…?」

 驚きのあまり、言葉がうまく出てこない。ぽつりぽつりと降り始めた雨の傘にあたる音が妙に耳に響く。

「私、誰かとお付き合いするのは初めてなのですが、こちらこそどうぞよろしくお願いします」

 そんな俺に彼女―萩山ミナは優しく微笑んでそう言い直したのだった。


 8月も半ばにさしかかった日のこと俺 、本間ケイタは大学の後輩、萩山ミナに告白した。

 前日には藁にもすがる思いで、先輩から教わった恋愛成就の御利益があるという神社に詣で、御守りまでいただいてきた。さらには(いつもなら絶対に信じないが)願いを叶える魔方陣とかいうネットで見つけたうさんくさい方法まで試した!俺は、必死だった…!


「ほ、本当に…っひ!?」

 緊張のあまり声が裏返った。鼻の奥が心臓の鼓動にあわせてツンと痛む。

「はい、本当に」

 その瞬間、俺の耳からは雨音がスッと消え去った。耳がとらえるのは彼女の声だけ。目に写るのは彼女だけ。

 流れるような黒髪も俺を覗き込むきらきらの目もふわっとした紅い頬もその全てが世界だった。

「ありがとう…ミナちゃん…っ」

 雨降る夜の暑い夏、俺の告白は成功した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 自分の部屋に帰りついた俺は、深く息を吐き出しながら布団に突っ伏した。

「くふふ…うふふ…あああうれしいなあ…うれしいなあ…くふふ」

 ダメだ口元がにやけてしまう。緩んだ口から変な声が漏れていく。

「ああ…幸せだなあ…くふふ…」

 一人暮らしのアパートの一室に俺の圧し殺した声が響く。もし隣人に俺の声が聞こえていたとしたら、ドン引きしているに違いない。しかし、俺はまわりのことなど気にもとめていなかった。舞い上がる心に全てを支配されていたのだ。

 そう、だから…。だからきっと…俺は近づいてくる「厄介」な出来事に気づけなかったのだ。


 ピンポーン


 俺が少し落ち着いたころ、ドアチャイムが鳴った。スマホの画面をさっと見ると、時刻は22時。二時間近く一人で大盛り上がりしていたらしい。

 しかし、こんな夜更けに一体誰だろう?浮かれポンチの俺は特段警戒することもなく安っぽい木製のドアを開いた。お隣さんが文句でも言いにきたのかなっ、と。

「はーい、どなたですか―」

「こんばんは!この度は恋愛成就おめでとうございます!」

 夜の静寂をぶち破るやけに明るい声が俺から言葉を奪い去った。いや、というか物理的にも何だか明るい。全身が白く神秘的に輝く変な女がそこにいた…!

「ま、立ち話もなんですので中に上がらせてもらいますね!失礼しまーす!」

「え、あ、はあ…っていや…え…?」

 白装束を身に纏った女はさも当然のように俺をするりとすり抜け(?)中へと入っていく。すれ違いざま、白銀色の長い髪からふわりと線香のような香りが鼻をかすめた。

 突然のことに驚愕するしかない俺は数瞬、その場に立ち尽くす。はたと我にかえったときにはその女が座蒲団に座りくつろいでいるところだった。

 なかなか良い部屋ですね。清潔感のある殿方は高評価です。とか言っている。ほめてくれるのは嬉しいが問題はそこではなく…。

「それで、あの、どちら様でしょうか?」

 及び腰になりながらも俺はその女に呼び掛けた。得体が知れないものは何より怖い。新手の強盗かとも思ったが、そのわりには妙に神々しい。

「あ!そうでした!自己紹介をしていませんでしたね。すみません…しばらく下界にはいなかったもので」

 申し訳なさそうに女は言う。いやいやもっと突っ込むべきところがあるだろ!

 ぽんと手をうち女は立ち上がった。俺よりもだいぶん背が高い。180センチはあるだろうか。どういう理屈か全身から白い光が後光のように放射されている。

「岸野神社の祭神トヨタマヒメノミコトにお仕えしている、鵜飼うかいリュウコと申します」

 神社という言葉を聞いて俺はようやくその女性が着ているものが巫女装束であることに気がついた。それに、岸野神社って―。

「本日は、本間ケイタ様の恋愛祈願が成就したとのことでその御祝いと、それからこちらを…」

「…って!いやいやちょっと待ってください!」

 岸野神社といえば、俺が昨日お参りした神社だ。恋愛の縁結びに霊験新たかということで有名な神社だと先輩が教えてくれたあの神社である。だが、この女は何故そのことを知っているんだ?

「それは、私が昨日トヨタマヒメ様の御使いとして本間ケイタ様の願いを成就させたからです!」

 心を読んだ!?しかも願いを叶えたとか言っているんだが。

「まあまあ落ち着いてください。何もあなたに危害を加えにきたわけではないのですよ?」

 鵜飼リュウコは手を前に組みにこりと微笑んだ。


 そうして彼女はゆっくりと説明を始めた。

 何でも俺がお参りした岸野神社の神様―トヨタマヒメノミコトは大変に人気のある神様なのだそうだ。しかし、さしもの神様も数多の願いを同時に叶えることはできない。

 そこで、日本中のさまざまな場所でお祀りされている多忙な主の代わりに願いを叶え信仰を集める。それが彼女の役割りらしい。

「もちろん、私だけではありません。日本全国に私と同じような御使いがいてそれぞれの土地で願いを叶えているのです」

 な、なるほど。つまりこの女性(といっていいのか分からないが…)は俺の地域での担当者にあたるということか。支店長のようなものかも知れない。

「ええ、まあそんなところですね。と言っても私はその支店の社員程度のものですけど」

 鵜飼リュウコは照れくさそうに頬を掻いた。

 しかし、話を要約するとこの人が俺のミナちゃんと付き合いたいという願いを叶えてくれたということになる。なんと素晴らしい方なんだ…!

「ええ、その通りです!でもでも別に恩人だなどとかしこまらなくてもよいのです。何せこれが私の仕事なのですから」

 謙虚なんだか偉そうなんだかよくわからないが、嬉しそうだ。

「それで、結局どうして俺のところに来たんですか?」

「ええ、それはですね。先程仕事だから当然だと申しましたが―」

 言いながら鵜飼リュウコはスッと俺の方へ手の平を向けた。正確には俺のズボンのポケットの辺りを示している。

「―そこに我らが主の授けた御守りが入っているはずです」

 その通りだった。俺はジーンズのポケットに手を突っ込みそれを引っ張り出した。白い布地に赤い花の模様が入った小さな袋。恋愛成就を祈願して今日の告白に持っていった代物だ。

「その御守りの紐を解いて中身を取り出してください」

 え!?それって子供の頃やっちゃいけないとか言われませんか?それを神様の使いが指示していいのか?

「いいんですよ。なんで開けちゃいけないと言われているのかも開けてみれば分かるはずです」

 意味深長な含みを持たせ、にこりと笑う彼女に少し嫌な予感がしながらも俺は言われるがままに中身を取り出す。さらりとした手触りの紙が小さく折り畳まれていた。軽く透けるようなその紙はどこかで見覚えがあった。

「これは…?」

 思い出した!ガス代の請求書の紙と同じだ…。でもなんでそんなものが御守りのなかに?

 そうして俺は唖然とした。

「請求書!貴殿の願いを叶えた初穂料はつほりょうとして三億円をお納めください!」

 はあああああああああああああ!!?!?

「あああああああああああああ!!?!?」

 心の声が外まで漏れ出ていた。なんだそれ!なんだこれ冗談じゃねえ!

 神様の使い鵜飼リュウコは有無を言わさぬ表情であった。こいつ…本気だ…!

 今更ながら誰だかも確認しなかった半時前の俺に心底説教してやりたい!とんでもないやつを部屋に上がり込ませてしまったようだ。

「もちろん今すぐにとは言いません。一週間は猶予をあげますので、それまでに岸野神までお越しください。あ、クレジットカードは受け付けてないので現金でお願いしますね!」

 いや、そこじゃねえよ!突っ込みどころは満載だが、とにもかくにも彼女の顔はマジだった。相変わらずにこにことしているが、目が据わっている。

「お納めいただけなかった場合には、願いは取り消させていただきますので!」

 お、俺は…。そうだよ。今日はなにもかもうまく行きすぎていたのだ。生まれてこの方20年。俺がなんの代償も無しにミナちゃんなんていう最高の幸福を手に入れられる訳がないじゃないか…。

「さあ、さっさとお納めお願いしますよ!願いを成就させられたのですからこれくらい、ね?」

 って!いやいやいやいや!にしてもおかしいだろ!なんだよ三億円って!俺は!俺は…どうしたらいいんだ…。

 と、そのとき困惑を極めた俺の頭をより混乱させるようにこんな声が聞こえてきた。

「これはこれはお取り込み中であったか」

 振り返るとそこには―。

「もう…!勘弁してくれ!」

 スーツスタイルで決めた角と尻尾のある男が慇懃無礼な表情でたたずんでいたのだ。手には『悪魔 ニック』と印字された名刺を手にして…。

「お困りのようだな。我が契約者殿?」

 

 ああ…ミナちゃんのこと以外全部夢でありますように…!


 こうして悪夢のようなドタバタが幕を開けたのだった。





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