18 『アリサ』の疑念
──これまでずっと疑問に思っていたことがある。
それを明確に意識したのは、私が『アリサ』としての意識を取り戻したさらに一年後、11歳の冬季のことだった。
その当時はゼラニール地方でとある問題が起き、外相である父はその対応に追われていた。
ゼラニール地方は王都の西にある大規模な湿地帯で、年中雨季が続く有名な場所だった。
年中雨が降るといってもある程度の周期ができていて、これにより雨による災害の対策も成されており、これまではさほど問題は起きていなかった。
しかしその年の冬は何週間も大雨が続き、それによって洪水などの水害が次々に起き、次々に起こる問題に領主だけでは対処しきれなくなった。そこで領主は遣いを出して王宮に協力の要請を求めてきた。
要請を受け直ちに役人が派遣され、問題の対処に当たっていたのだが、ここで更なる悲劇が起きた。
突如原因不明の感染症が発生し、ゼラニール地方全体に蔓延したのだ。
外相である父は国外への感染症の拡大を阻止するために奔走し周辺諸国に注意を呼びかけ、対策を講じていた。
ここで信じ難いのだが、当時私は11歳ながら猫の手も借りたいほど激務をこなしていた父に「お前は優秀だから猫の手になれ」と捕縛され緊急の補佐官として据えられ、父の仕事を手伝っていたりした。
感染症による被害者が増大していく中でふと前世の
その結果洪水により沼地や河川の生態が変化し、蚊が大量発生、その蚊が感染症を蔓延させた原因だと断定された。
こうして直ちに駆除対策が打ち出され、感染症は無事に治まったのであった。
現世日本においてマラリアによる感染症や日本脳炎といった蚊による感染症の伝染例を知っていた私は予想が的中したことにほっとしたものだ。
こうした一連の事件を受けて、自分の知識が今後何か災害が起きた場合に対策を講じるのに役に立つかもしれない、と考えた私は過去に起きた災害の資料に目を通すようになった。
将来祖国を滅ぼす最悪の敵になる可能性があるかもしれない
それは、一種の自己満足だったかもしれない。
当時の私はまだセジュナには再会しておらず、断罪イベントを利用するという手も思いついていなかった。ただがむしゃらに救いの道を模索していた頃だったのだ。
来る日も来る日も図書館や出入りが許されていた王宮の父の書斎に閉じこもり、ひたすら資料を貪るように読んでいた。
そんなことがしばらく続いて。
きっかけはアルメニア王国の年別死亡者数とその原因をまとめた資料を流し読みしていた時のことだった。
私は書類に一心に目を通して、ふとあることに気づいた。
「この死亡要因……」
アルメニア王国が大国で医療技術はそこそこ進んでいるといえどこの世界の水準はせいぜい中世程度。現代日本ほど技術が発達している訳でもないので病気や事故による死亡者数は多かった。
しかし、何かが引っかかった。
私は注意深く資料を何度も見直して、その違和感に気づいた。
「『事件』と『自殺』がない……!」
死亡要因の欄は皆病気や単純な寿命による老衰、災害や不慮な事故、等。
一見何もおかしくはないように感じる。
しかし
例えば、人が起こした事件による死亡。連続殺人。
痴情のもつれによる怨恨事件。いじめを苦にした自殺。過労による死。過剰防衛による殺人。
こうした『人が意図的に起こした事件や、それによる死亡』といった死亡要因が存在しなかったのだ。
『事故』の要因欄は存在するものの、それらは全て不慮の事故や全くの偶然によるもの。
意図して起こされた訳ではなく、結果そうなってしまっただけの不幸としか言い様がない事故だったのだ。
これが何を意味するのか。
「──あ……」
不意に、アリーシャの最後の記憶が蘇った。
悪夢による絶望の末、自殺しようとしたアリーシャは自身に剣を突き立てようとして、できなかった。
何度も何度も彼女は自身の首に剣を刺そうとした。しかしその剣は不可視の壁に阻まれているように首に刺さる寸前で弾かれてしまった。
結果アリーシャは自殺することができず、その絶望と悲しみから魂を分離させ心の奥底に沈み、深い眠りに落ちた。
今思い返してみてもあの現象は明らかに不自然だった。
まるで世界の概念がアリーシャが自殺することを許していないというような──
「そうだ……」
まるで、
感じた違和感の正体を、私は直感した。
それは。
アルメニア王国の民は意図的に自殺や悪意による事件を起こせないようにされているのではないか?
という疑問だった。
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