12 止まらない悪夢
アリーシャはその後どのようにして婚約の儀を終えたのか全く覚えていなかった。
ふと気づくと自分の部屋にいた。
「……」
自分の部屋だと気づいて、強ばっていた全身からゆっくりと力を抜く。
そのまま、ベッドにドサッとダイブした。
(……何かの間違いよ。きっとそうに違いないわ。私が殿下を殺す? 絶対にありえないわ!)
未来視が視せる映像はあくまで『未来の可能性のひとつ』であり、確定の未来ではない。
現にアリーシャは二つの映像を視ている。だからアレは可能性のひとつであって自分が王子を殺すと確定している訳ではない。そのはずだ。そうであってはならない。
心ではそう否定しても、あの映像が頭からこびりついて離れない。胸騒ぎが止まらない。
アリーシャは自分を抱きしめながら、恐怖に震えていた。
--その日の夜、不思議な夢を視た。
アルセニア学園と思わしき学校。その大広間。
華やかな装いの人々。何かのパーティだろうか。
流れる緩やかな音楽に合わせてダンスに興じ、和やかに談笑する貴族達。
アリーシャはその中に、一人でポツンと佇んでいた。
まず、アリーシャは自分の体に違和感を覚えた。
いつもより体が重い感じがする。目線を下に向ければ、スラリと長い手足が見える。
胸も程よく膨らんでいて、女性らしい柔らかな華奢な肢体がそこにあった。
これが成長した自分の姿だと気づいたのはしばらく後だった。
周りはそれぞれパートナーを連れているのに、何故かアリーシャは一人。
何故自分だけ一人なのか。困惑して辺りを見回す。
そんなアリーシャを周囲は訝しげに見ていた。
当然だ。パーティでパートナーを伴わない令嬢が会場の真ん中に陣取っているのだから。注目を浴びないわけながない。
(何? なんなの?)
状況が理解できず、泣きそうになる。
アリーシャは眉を下げてキョロキョロと周囲を見回した。
「アリーシャ・ウルズ・オーウェン」
後ろから唐突に声をかけられて、困惑したまま条件反射で声のした方向へ振り返った。
サラサラの金髪がまず視界に入る。真っ直ぐに流れる艶やかな金髪は背に一つにまとめられていた。
目に鮮やかな赤のクラヴァットに、対照的な色彩の濃紺のベルベットのコートがよく似合っている。
輝くばかりの美貌は全ての造形が完璧で、精緻な人形を連想させる。
「セラーイズル殿下!」
記憶にある婚約の儀で見た彼よりだいぶ顔付きが男らしく、体つきも逞しいが間違いない。
この美貌はセラーイズル殿下だ。
何故青年ほどの姿をしているのかは分からないが、見知った人物が現れたことにアリーシャは安堵した。
(これが夢だというのは分かるんだけど……。殿下のこの姿を見ると、これはもしかして未来の出来事なのかしら。だとしたら私自身がこの姿になっていることにも納得できるわ)
考えられることは自身が無自覚に何らかの魔術を行使していること。
少なくとも『未来視』ではない。
未来視は未来の一部分を「映像」という形で視る魔術だ。こうして未来の自分自身になって追体験することは出来ない。
だとしたら考えられる魔術はひとつしかない。
『未来視』のさらに上位--『未来観測』の魔術だ。
なぜ唐突にこのような高位魔術が使えるようになったのかは分からないが、これは好都合だ。
(私が何故セラーイズル殿下を殺すことになるのか、その原因が分かるかもしれない!)
原因が分かれば対処できる。逆にその原因そのものを排除することだって可能ではないか!
あくまで追体験しかできないので自分の意思でどうこうすることはできない。
けれど様々な未来の可能性を望むがままに『夢』という形で体験することができるのだ。
こんなに詳細な未来など滅多に見ることは出来ない。アリーシャは今までになく興奮していた。
誰にも成しえたことのないであろう魔術を行使しているのだ。興奮せずにはいられない。
これまで決して奢ることのなかった彼女は、この時初めてかつてないほどの優越感を覚えていた。
これなら自分が殿下を殺すことになる未来を回避できるかもしれないと、希望も抱いた。
--だからきっと、罰があたったのだろう。
「アリーシャ」はのちに後悔することになる。
『未来観測』がアリーシャに視せる未来は、どこまでも残酷だった。
そんなことをまだ知る由もなく、アリーシャはセラーイズル殿下の元へ近づく。
満面の笑みを浮かべて歩み寄ると、王子はまるで穢らわしいものを見るような視線をアリーシャに向けた。その口元に浮かんでいたのは、冷笑だった。
殿下、と告げかけたアリーシャの口が止まる。
何故、このような視線を向けられるのだろう。何故殿下は自分に冷たい視線を浴びせるのだろう。
自分は婚約者のはずだ。なのに何故。
美貌の王子はその整いすぎた容貌のせいで、冷酷な表情を浮かべると恐ろしいまでの迫力があった。
自然と王子の元へ歩み寄ろうとした足が、止まる。
戸惑いがまず先に来て、次に何故、という疑問が胸中に広がる。
視線を宙に彷徨わせて、王子の隣に人影があることに気づいた。
ストレートに流れる銀髪。可憐な容姿に、くりっとした丸いスカイブルーの瞳。
真珠を散りばめた淡いドレスは、フリルがたっぷりあしらわれていて、可愛らしい姿によく似合っていた。
王子の隣に寄り添うようにして立つ姿は、まるで恋人のようで。
「なんで……」
アリーシャの口から微かに声が漏れる。
自分ではない、未来の「アリーシャ」の想いが、流れ込んでくる。
なんで。なんで王子の隣に、あなたがいるの。
何故あなたが、そこにいるの。
王子の隣にいるべきは私なのに。私は、婚約者なのに。
「何故あなたがそこにいるの!」
ヒステリックに甲高い声を上げたアリーシャを、王子は冷たい視線で睥睨すると、硬い声で告げた。
「アリーシャ・ウルズ・オーウェン公爵令嬢。君との婚約を破棄する!」
最初は言われた言葉の意味が、理解できなかった。
破棄する? 何を。王子はなんと言ったのか。
婚約破棄。なぜ。なんで。
全く理解できず、アリーシャは愕然として、ただ目を見開いた。
そして、彼女は後に否応なく理解することになる。
--これは、ただの序章。
終わりなき悪夢の、ほんの入口に過ぎないのだと。
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