25 第七皇女は目覚め、

「──殿下」







声が聞こえる。

私を、呼ぶ声が聞こえる。

私とは、どちらの「私」だろう。


今の私はエレスメイラなのか、それともレスティーゼなのか。


……頭が痛い。吐き気がする。


長い長い幻を魅せられていた気がする。

遠い、果てしなく遠い記憶をみていた気がする。

思い出したくもない、忌まわしいあの記憶を。


あれは前世での出来事だ。

……成程。あれを『前世』と言っているということは今の私はレスティーゼだ。


一人納得して、私は辺りを見渡す。

周りには何も無い。虚空、と言うべきところに私は一人でいた。

先程の幻で見た精霊界へと続く『夢の廻廊』と呼ばれる場所にどこか似ている。


どこともしれない虚空に一人佇みながら、今しがたみせられていたあの幻を思い出し私は忌々しい、と歯噛みする。

あの夢幻は意図してみた訳ではない。何者かに無理やり魅せられていたのだ。


私の過去を、前世の記憶を盗み見た不届き者がいる。

グウェンダルクとの繋がりを介して侵入してきたその何者かは、私の魔力を根こそぎ奪い、私の中に入ってこようとした。

それを咄嗟に拒絶したことまでは覚えている。


何とか身体を乗っ取られることまでは防いだが、奪われ続ける魔力を取り返すだけの余裕も、力も残されていなかった。


抵抗しながら私の意識は闇に沈み──


それからどうなった?





「──レスティーゼ殿下」



不意にあの声が再度聞こえた。

低音で響く、懐かしい声。

私を呼ぶ声。


行かなければ。私を呼ぶこの声に応えなければ。

その思いに応えるように、虚空に佇む私の意識を暖かな春の日差しのような柔らかい光が包んだ。


いつかも感じた、癒しの力。

癒しの精霊の優しい魔力。

やはりどこか懐かしいこの魔力は。

この声は、この癒しの精霊の契約主は。



「公爵……」



そうだ。完全に意識を手放す前、イーゼルベルト公爵の声が聞こえたのだ。

私を助けてくれる、優しい騎士。

帰らなければ。彼の元へ、帰りたい。



『──着いてきて』



私の周りを囲む光にそう言われたような気がした。

小さく頷いた私は導かれるように差し込む暖かな光を辿りながら、意識を現実へと浮上させた。







「──ファーレ、もう大丈夫だ。ご苦労だった。殿下は無事だ。お前も休むといい」



公爵の低い声が近くで聞こえた。誰かに話しかけているらしい。

公爵の近くに精霊の気配がする。精霊は公爵の言葉に歌うような鈴の音で返事をすると、気配を消した。


やっぱり公爵のあの癒しの精霊……どこかで見たことがあるような気がする。雰囲気や気配が懐かしいもの……。


と、そんなことをぼんやりと考えながら目を開ける。



「……ん」



柔らかいリネンの生地が手に当たる。

ぱちぱちと瞬けば薄い青の天蓋が視界に入り、頭には柔らかいような、少し堅いような不思議な感触がある。

状況から察するにどうやら私は寝ていたらしい。



『レスが目を覚ました!』

『おねえちゃんおはよう!』



ひょっこりと、それぞれ右と左から銀髪の少年と黒銀の髪の幼女が顔を出す。

セイルとジャスリートだ。

人型になっている精霊達を見つめ、反射的に挨拶を返した。



「おはよう……」



差し込む太陽の光が明るいことから今が朝なのだということは分かる。

けれどこの部屋には見覚えがない。私はどこにいるのだろうと上体を起こしかけたところで、肩を掴まれた。



「まだ安静になさってください。呪の浄化が終わったばかりなのですから」



そんな優しい声とともに白い手袋をはめた手に額を押され、元の寝る姿勢に逆戻りした。

再び天蓋が視界に入りそれと重なるようにして、こちらを覗き込む黄金の瞳と目が合った。



「熱はありませんね。異常は無さそうだ。呪の後遺症も見当たりませんね」



テキパキと医者のようにこちらの容態を確認する金の瞳の持ち主は、最後に心から穏やかな笑みを浮かべた。



「貴女が無事でよかった」

「公爵……レイヴン様」

「はい、なんでしょう」



名前を呼ぶと柔らかく目を細め、返事をしてくれる。

約束通り助けに来てくれた公爵に私は素直に感謝の気持ちを伝えた。



「助けに来てくださってありがとうございます。……私は呪を受けていたのですね」

「一時はどうなるかと思いましたが、ジャスリートがいて助かりました。『魔』の力を取り込んだ精霊なだけあって『魔』の力を中和できましたから」

「ジャスリートにそんな力が……」

『ジャスリートが司るのは魔の浄化と抑制なの! ジャスリートは元々癒しの精霊だったの! でもおねえちゃんとこうしゃくさまの魔力で進化したの!』

『メルはジャスリートを見た時「とてもはいぶりっどな感じ」だって言ってたよ』

「……そう」



生まれたてで蝶の姿しかとれなかった精霊が、魔になりかけたのとレスとか公爵の魔力とか色んな影響を受けて「ちーと」な精霊になった、とメルランシアお姉様から聞いてはいたけれど。

『魔』の呪にすら対抗できるとは……。


普通の精霊は魔には近づけない。魔と精霊は対極に位置する存在ゆえに相容れない仲なのだ。

かなりの高位精霊であるセイルはある程度は干渉できるが、それでも完全にはいかない。


そんな凄いことをあっさりとしてのけた五歳ほどの少女の姿をした精霊は、えっへんと誇らしげに腕を組んだ。


魔力も余裕もなかった状態で『呪』を受けたのだ。運が悪ければ私はあの時死んでいたかもしれない。

ジャスリートがいてくれてよかった。



「ありがとう」

『どういたしまして!』



頭を撫でてやると、ジャスリートはくすぐったいというようにクスクス笑いながら身動ぎする。

いちいち仕草が愛らしくて可愛い。本当にこの幼女可愛すぎるわ。お持ち帰りしたい!


キュンキュンしながらジャスリートと暫く戯れていると、セイルが呆れた視線を投げかけてくる。




『相変わらずだね。ところでレス』

「何かしら?」

『今の自分の状況分かってる? よーく見てみなよ』

「え?」



セイルの言葉に釣られたように私はジャスリートから手を離すと、周囲を見るために首だけを動かす。

すると。



「どうかしましたか?」



私が寝ていたすぐ隣に公爵の姿があった。

目が合うなり蕩けるような笑みを浮かべる公爵。

それはもう、私の視界いっぱいに公爵の煌びやかな笑みが広がった。

実際に息がかかるほど公爵との距離が近い。



「──え?」



思考が、停止する。

なんでこんなに公爵との距離が近いのか。

ここはベッドの中だ。そして私は寝ている。

そして不自然に近い公爵の顔。


それらから導き出される答えは。



「……」



恐る恐る手を伸ばして、私はゴソゴソと自分の頭の下に敷かれていたものの正体を探る。

少し堅いけれどそれだけに鍛えられていることが分かるがっしりとしたもの。

少し暖かさが残っているのは今まで私の頭を乗せていた名残だからだろうか。


目線で確認すると頭に敷かれていた物体は人の腕だった。

それも腕まくりがされていてガッチリとした筋肉質な男らしい腕が。


……これはいわゆる腕枕というやつね。


冷静に考えて、次の瞬間ボッと湯だったタコのように顔が真っ赤になる。

ようやく自分の置かれた状況を理解した。



「~~~~!?」



──なんで公爵に添い寝されてるの私!?



なんと私は、ベッドの中で公爵に抱き寄せられるように腕枕をされ、ぴったり寄り添うように添い寝をされていたのだった。





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