とある男の受難その1
聖歴572年 4の月5の日。
この日、ヘルゼンブール帝国にて国を挙げてのひとつの祭典が催される。
空は雲ひとつない晴れでまさにこの『祝勝の祭典』に相応しい天気と言えた。
皇城はこの日のために普段は固く閉ざされている城門が開き、専属の庭師が丹精込めて育てた薔薇が一際鮮やかでこの上ない景色だと謳われる庭園を一目見ようと散策する人で溢れかえっていた。
城下町でも一般民達が領土の復帰と帝国の更なる繁栄を祈って歌とダンスに興じ、今こそ商売の契機とばかりに商人が店を並べ、料理人がその腕をふるって街を盛り上げていた。
一方皇城の城内では大広間には美麗に着飾った貴族達が皇帝と皇妃、皇族一家の登場を今か今かと待ちわびている。
モース・クロムウェルはその皇城内にある控えの間のひとつで婚約者たる第七皇女、レスティーゼ・エル・ヘルゼナイツの支度が終わるのを待っていた。
女の支度には時間がかかる。ましてや今日は記念すべき祭典でレスティーゼは皇女だ。侍女達が張り切るに決まっている。
こうなるのが目に見えていたから時間ギリギリに家を出ようと思ったのに「たまには真面目に婚約者をエスコートしてこい」と父親に追い出されてしまった。
既に家督は自分に譲り、隠居している身だというのにいつまであの父親は家長面するつもりなのだろうか。
それに最もらしいことを言っていたが、どうせ今頃は連れ込んだ愛人とよろしくやっているのだろう。
気楽でいい身分だ。
モースは心の中で父親を毒づきながら、窓から見える空に視線を移す。
今日もほどほどに皇女の相手をしたらターゲットの令嬢と落ち合う約束をしている。
また席を外す理由を考えなければならないな。
モースの家では父親が作った借金のせいで、生活は今までになく緊迫していた。
なんとか公爵家としての面子は保っているが、余裕がある訳でもない。
祖父が皇帝と親しい間柄だったのを利用して第七皇女との縁はもてたが、結婚は皇女が17歳になってからと決められているのでいずれ手に入るだろう多額の持参金をアテにはできない。
しかし、その
「新しい事業を立ちあげる」という名目で地方のちょっとした有力貴族に話を持ちかけ、支援金を得ることができたのだ。
多少渋る者もいたが、それはそれ。令嬢を垂らし込めば話はあっさりと上手く通った。
先日の皇女の誕生パーティの際に落としたレイズ男爵は一人娘をいたく溺愛していた。
その最愛の一人娘のオリアーナ嬢に取りいれば「娘の可愛いお願い」としてあれだけ渋っていたのに即刻で落ちたのだ。
借金を作るわ愛人を囲うわで最低な父親だが、美貌を受け継がせてくれたことだけは感謝せねばなるまい。
モースは自分で言うのもなんだが、容姿にかなりの自信を持っていた。
アッシュブラウンの髪は豊かに波打ち、月明かりに照らすと映える。
深い海をうつしたかのような紺碧の瞳は神秘的だといつも褒められた。
端正な顔立ちは微笑めば貴婦人も赤くなって恥じらうほどの甘さを兼ね備えていた。
事業の立ち上げも嘘ではなかった。
ウォルフロム辺境伯亡き今、ウォルフロム領は今こそ皇帝の直轄地となっているが、いずれはしかるべき領地として振り分けられる。
あの地には帝国でも有数の宝石の排出量を誇るオルレアン鉱山がある。
そしてウォルフロム辺境伯爵家はクロムウェル公爵家の親戚だった。
高い確率でクロムウェル公爵家が拝領するのである。
もししなくても、パイプを繋いで宝石加工産業に加担できれば公爵家は持ち直すはずだ。
その事業の前金として援助してもらう。
失敗しても、いずれは嫁ぎに来る皇女の多額の持参金から賄えばマイナスにはならない。
帝国でも力の強い公爵家としての家格と、皇女の婚約者ということで信頼され、かなりの額が集まっていた。
これまでは完璧に計画通りだ。あとはもう何件か援助が得られれば公爵家の持ち直しは確実だろうと思えるところまで来た。
「まぁ、まずは皇女殿のお守りからだな」
第七皇女は『帝国の白雪姫』と称されるほど美しい外見を誇ってはいるが、所詮はまだ15歳の少女。
そして実際に会った皇女は限りなく控えめで大人しい深窓の令嬢だった。
常に紳士として振る舞い、幸せな結婚を願う少女の夢を壊さないように気をつけてきた。
しかし、実際のところモースの好みはもう少し年が上の肉惑的な美女だった。
一度挨拶したメルランシア第二皇女がなかなか好みだったな。
確か今日参加されると聞いたか、一曲ダンスでも申し込むかと口元に笑みを浮かべたところで控えの間の扉が開いた。
扉から出てきた茶色の髪を結い上げた侍女はモースに気づくと柔らかな笑みを浮かべる。
「レスティーゼ殿下、モース様がお待ちですよ」
「まぁもういらっしゃっていたの?随分おまたせしてしまったわね」
侍女に手を引かれて第七皇女レスティーゼが顔を覗かせる。
その銀色の瞳がモースの姿を捉えた途端、キラキラと輝いた。
「大変お待たせしました。……あの、この格好どうでしょうか?」
もじもじと上目遣いでこちらを見る白雪の姫にモースは微笑んだ。
「お似合いですよ、私の可愛い姫君」
そう言って膝を折り曲げ、皇女の右手の甲にキスをすればレスティーゼは頬を赤く染め恥じらう。
「では行きましょうか」
(鬱陶しい子守りの始まりだ)
表面はにこやかな笑顔を浮かべ、心の中で溜息をつきながらモースは婚約者の手を取った。
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