アブラクサスの狭間

小田牧央

1.時の狭間(1)

 波打ち際に横たわるそれは、熱い砂に頬を柔らかに触れている。腰下まであるオーバーブラウス、胸元のリボンタイの先端が砂を乱している。波に浸る黒のロングスカートから裸の足首が覗き、足指に泡がまとわりつく。その人は瞼を閉じ、幸福そうな微笑みを浮かべている。柄の黒い小ぶりなナイフが胸に刺さっている。刃の根元から暗黒の染みが広がり、純白のブラウスを汚している。

 一人の男が寝椅子に横たわっている。籐製の寝椅子は脚を波に浸らせている。黒のスーツに黒のネクタイ、流線型の革靴。足を組み、上半身を女のほうに向けている。白いパナマ帽を深く被り、うつむいているため口元しか見えない。唇は閉ざされ、悲しみも笑みもない。女をみつめているのかどうかさえ定かではない。

 無人の砂浜、光を砕く海、星が輝きそうなほど透明な青空。遠くにある岩場、石段、崖の上にある雑木林と建物。赤レンガ色の屋根と白い壁。時がとまり、色褪せ、命が尽きる。炎に包まれ消えゆくその光景を、息を殺してみつめた。モノクロームの写真を無慈悲な闇が押し潰し、灰に変えてゆくのを、いつまでもみつめていた。

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