一緒に寝るということ(後)
「それは、貴方もよくご存知だと、私は考えているのですが?」
強く言い放たれた言葉に、俺は思わず息を飲む。頭の中に浮かぶのは、ハムペルトさんの言葉に対する審議の念だ。
本当にそうだろうか?
猫の姿だから大丈夫と思っての同衾だろう?
ネトーブリアン様自身が言っていたわけではないだろう?
ハムペルトさんの勝手な思い込みではないのか?
ネトーブリアン様はただ本当に、俺を避けているだけだろう?
雄猫が嫌で、仕方なくここにいただけではないのか?
「…………」
ネコ様の心の中を毎日覗き見ていたというのに、そんなこともわからない。
心が読めるというのに、その心を理解することができていない。
ネコ様との生活を思い出しても、なぜ彼女が俺と暮らし始めたのか、その理由すらもわからない。
俺から『読心』スキルを取り上げれば、何の価値もない人間だというのに。心を読んでも、理解ができない間抜けだと、言われたような気がした。
その人を見ようとせず、ただ、心の中を覗くことで、安心感を得ていた、そんな小さく浅ましい男なのだと。
「その様子だと、やはり、昼間の件で、ネトーブリアン様に嫌われたとか、そんなしょうもないことを考えていたようですね」
「……だからなんですか。実際、ネトーブリアン様には、近づいただけで逃げられましたよ」
それに、あの頬を伝う涙が、忘れられない。泣くほどに嫌がられているのだと思うと……。
俺がうつむき加減に首をがくりと落とすと、ハムペルトさんは「はぁーーーーーー…………」と、長く深いため息を吐いた。
「まったくもって、あなたは、ダメな方の阿呆ですね。ダメダメです。最低な阿呆野郎ですよ。第二王子の馬鹿といい勝負です。心が読めるのにその体たらくだと思うと、アレ以下かもしれません」
……阿呆にダメもクソもあるのだろうか。というか、仮にも王族を罵倒って、聞かれたら流石に打ち首ではないだろうか。
それになんか、泣きそうだ。
ハムペルトさんは、いいですか、と人差し指をピンと立てて続ける。
「そもそも、本人に聞きましたか?」
「聞いてないです……」
「本人ときちんと話しましたか?」
「というか、そもそも、話す機会がないです……」
そこはどうにか作りなさい、と一蹴される。理不尽だ……、一(いち)使用人が気軽に会えるような立場の方でもないのに。
「他者のことなんて、話さなければ理解できるわけがありません。貴方は、『読心』に頼っているから、そんなことも忘れてしまったのではないですか?」
「……否定はできません」
事実、俺はネコ様と暮らしていたのに、彼女の心の内を理解できてはいないのだ。否定できるわけがない。
「それと、もう一つ」
ハムペルトさんは、立てていた指に、プラス1本。二本の指をそこに立て、
「身分を気にするのは糞食らえです」
王国に対する反逆と捉えられかねないセリフを口にした。
「……俺、気にしてるなんて言いましたっけ?」
「農民が考えることなんて、相場が決まっています」
馬鹿馬鹿しい、と、ハムペルトさんは続ける。
「ニック殿下にネトーブリアン様をすぐに引き渡さなかったのは、大方、本人の意思を確認したほうがいいとか、言い訳でもしていたのでしょう?」
「ネトーブリアン様は貴族だから、自分とは釣り合わない、なんて、思ってたんじゃあ、ないですか?」
「農民だから。公爵令嬢様だから。そんな身分を言い訳に、女性に甘えるなんて、貴方、本当に男ですか。ちん○ん、ついてるんですか?」
ーー好きな人に対する想いは、その程度なんですか?
ハムペルトさんはまくしたてるように言った後、最後にそう、付け足した。
俺のネトーブリアン様への、想い。
考える余地はない。
好きだ。
その姿が猫であろうと、人であろうと、その気持ちは変わらない。元々、猫の姿をしたネトーブリアン様ーーネコ様に惹かれていたのが、この俺だ。猫を愛したのが、この俺である。
大好きだ。
人の美醜はわかる。けれど、猫の美醜は、わからない。そう言った俺が惚れ込んだのは、ネコ様なのだ。ネコ様の気高き心を垣間見て、惚れたのだ。
種族を通り越した愛は、その程度なのか?
中身が人間であると知って、しかし、その体が元に戻るのは難しいと知っていて尚、無意識とはいえ、ネコ様に惚れていたのが、俺じゃないか。
ーー思い出されるのは、ネコ様との生活の記憶。
ネコ様と出会った、あの庭。最初は変な猫としか思わなかった。けれど、そんな猫と会話できるとわかって、一緒に住み始めて、一緒に出かけて、買い物もした。
「……そうだ」
パッと顔を上げた俺は、小さく呟く。
狭いアパートに残した、忘れ物。
今になって思い出した、ネコ様との思い出の象徴だ。
「ハムペルトさん」
ハムペルトさんの目を真っ直ぐに見ながら、彼女の名前を呼ぶ。
ネコ様との思い出は、頭の中の悶々も、寂寥感も、喪失感も……、ネガティブな思考全てを、体から全て抜け落とさせるのに、十分なものだった。
ネコ様との生活が、俺にとっての幸せだったのだ。
二度目は、幸せを追いかけてなどいなかった。幸せの中にいたのに気づかず、取りこぼしかけていただけなのだ。
人間だろうと猫だろうと、そして、貴族だろうと、王妃であろうと、関係ない。
「はいはい、何でしょう?」
にこりと小さく微笑んだハムペルトさんは、優しくそう、問いかけた。まるで、息子を見る母のような微笑みだった。
心の中を読まれているかのような気がして、俺は苦笑を浮かべて、口を開く。
「今から少し、出かけます。でも、その前に一つ、お願いしてもいいですか?」
「内容にもよりますよ」
「少しだけでいいんです。明日、10分、いや、5分だけ、ネトーブリアン様と話させてください」
「どうにかしましょう……いい顔になりましたね。良い阿呆の顔です」
「阿呆に良いも悪いもないでしょう」
俺が再び苦笑すると、今度はハムペルトさんもつられて、二人で照らし合わせるように笑い合う。
「じゃあ、ちょっといってきます」
「はい、いってらっしゃい」
そうして部屋から飛び出した俺は、夜の市街地へと駆けていくのであった。
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