お別れ

 翌日の朝、アパートの前に二台の馬車が止まっていた。憲兵がいつも使っているような馬車で、その作りはしっかりとしており、塗装も馬も綺麗である。


「フンスフンス!(ああ……、ようやく猫の姿から解放されるのですわね……! 待ち遠しいですわぁ……、待ち遠しいですわぁ!)」


「…………」


 なぜ二台あるか、疑問には思ったけれど、天上人の考えることなど、心を読みでもしない限りは、庶民がわかるはずもない。考える余裕がないほどーー悶々としているとも言うが。

 俺は、特に気にすることもなくるんるんと鼻歌を歌っている……、つもりになっているネコ様を腕に抱き、馬車へと近づいていった。フンスフンスと、ネコ様の鼻息が腕に当たってくすぐったい。


「おはようございます、カイゼルさん」


 そういって出迎えてくれたのは、俺の秘書さん……もとい、メイドのハムルペトさんである。ハムルペトさんは銀髪銀眼の持ち主で、その健康的ですらりとした肉つきと、白い肌が相まって、雪のように白く儚げな印象の女性だ。ただ、仕事に忠実なのかわからないが、表情の変化に乏しい……、クールな人でもある。

 一応、俺よりも五つは年上らしいのだけれど、そうは見えないほど若々しい。


「おはようございます。お待たせしました」


「いえ、時間ちょうどです……その白猫は?」


「あ、ええと。一緒にしてもらってもいいですか?」


「ふむ……、構いませんよ。それでは、どうぞ中へ」


 そういって、俺たちはハムルペトさんに促されるがまま、馬車へと乗り込み、ストンと座る。ネコ様は膝の上に乗せて、馬車の揺れに備えてもらう算段だ。

 俺たちに続いて、ハムルペトさんが馬車に乗り込んで少しして、馬車はがたりがたりと動き出した。


「今日の予定について確認する前に、その猫について、お尋ねしても?」


「はい。むしろ、今日の予定に関わることですので……、先にお伝えしたいなと思っていました」


「そうですか。それで?」


「驚かないで聞いて欲しいのですが、この白猫は、ネトーブリアン・コール・フリュッセリュ様……、第一王子ニック様が探しておられる、公爵令嬢様でお間違い無いかと」


「……それは本当ですか?」


「本人には、そう聞かされています」


「なるほど」


 ハムルペトさんは、感心するように「うんうん」と頷きながら、口の端を少しだけ持ち上げる……って、感心?


「ええと、信じていただけるのですか?」


「信じるも何も、疑っていた上での、その告白ですからね。気づいていました? 昨夜、貴方の住まいは見張られていたのですよ」


「えっ!?」


 驚愕で心臓が口から飛び出そうだった。見張られていた? 疑われていた? なぜ?

 色々疑問はあるところではあるが……、なら、さっきまでの俺は、綱の上を渡る猿のように、まさに死の間際だったということか?

 いや、安地にたどり着いたとは言えないのだろうが、それでも、ネコ様のことを告白しなければ、俺は多分、斬首確定……


「ええと、それはどういう……?」


 身震いを覚えながらも、俺は恐る恐る、顔色を伺いながら尋ねた。


「昨日、ニック殿下が、見張っておけとおっしゃられましてね。詳しい話は聞きませんでしたが、フリュッセリュ公爵令嬢様の居場所を知っている可能性があると言われて、そのように。ただ、事実を確認した上で、読み通りの場合、3日以内にそのことを連絡しない場合はーー」


 ーー首をはねて構わない、と。

 ハムルペトさんは、クスクスと笑いながら、下されていた無慈悲な命令の内容を教えてくれる。もしかして、後ろからついてきている馬車って、監視のための兵士さんがいるのでは……。

 俺は先程まで感じていた悶々とは別のベクトルの気の重さに、馬車に乗っている間、冷や汗が止まらなかった。


 王城に馬車がつくと、ハムルペト様に案内されて、昨日、ニック様と謁見した部屋にたどり着く。俺が「コンコンコン」とノックをすると、小さく扉が開き、騎士様が顔を出した。無言で俺とハムルペトさんの顔をジロジロと見た騎士様は、そのまま「どうぞ」と中に入るように促してきた。

 俺は騎士様に軽く礼をすると、ネコ様と一緒に「失礼します」と、今度は深々と頭を下げて入室する。

 少しして顔を上げると、室内では、入り口に護衛と思わしき騎士様が立っており、中央には2台のソファと、それに挟まれるように机が置かれている。

 相も変わらずに煌びやかな装飾の施された部屋に緊張を覚えながらも、ソファに座るニック様に視線をやると、座るように促された。俺は「失礼します」と頭を下げて、ネコ様をソファの上に座ってもらってからソファへと腰掛ける。

 ネコ様は若干震えながら、「にゃぁ……」と大人しくしている。『読心』スキルはすでに切ってしまっているので、その心の内を知ることはできない。


「おはよう。それで、例の白猫は見つけられたかな?」


 ……試されている、と感じたのは、既にハムルペトさんに秘密裏に下されていた指令の内容を聞いていたからだろうか。それとも、ニック様のにこにことした表情から、そう感じたからだろうか。


「…………」


 しかしながら、それとは別に、悶々とした心の持ち様が、俺の口を硬くし、開きにくくさせる。ニック様に問われて、すぐに返事をしなければいけないというのに、それに答えてしまえば、もう後戻りはできないとわかっているから。

 ーーいや、最初から後戻りはできなかったか。

 今からどう転ぼうが、俺が今から何をしようが、結末は変わることはないのだろう。

 そう考えると、肩から重荷が取れたような気がして、俺の口は驚くほど軽くなった。それが俺にとってはとても大事な重荷だったとしても。

 もう、賽は投げられてしまっている。


「はい、実はーー」


 ネコ様とは、これでお別れだ。

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