第2章
第2章 これは今からの出来事 その1
とある学校。とある教室。
そこでは普通の高校生が、それこそ普通の生活をしていた。
窓際の席を陣取り、ぼんやりと窓の外を眺めている男がひとり。あごを支えている手にはいくらも力が入っていない。ちょんと叩かれれば、すぐにあごが机を打つ音が教室中に響くことだろう。
――響いた。
「……ってぇな」
一瞬で目の前を真っ白な世界に彩られてしまった男は、なんとか頭と視界をはっきりさせ、ほんのり涙が浮かんだ恨みがましい目で、右うしろでニヤニヤしながら立つ男を見上げた。
ヒョロリと背が高い。艶のよく効いた縁なし眼鏡の底から、いやらしげな笑みがよく目立つ。
「なんだかどこか遠いところに行っていたみたいだからな。悪いとは全然思わないまま、こう軽くチョイと、ね」
「……悪く思えよ」
自分が悪いことをしたとは露ほども思っていない縁なしは、ヒョイと机に腰を下ろす。
「なぁ、神崎。今日の転校生さ、男と女どっちだと思う?」
縁なしは、神崎――あごの腫れた男の顔を見ずに言う。
「別に……。どっちだっていい」
痛むあごをさする手が速い。よけいに痛くなりそうだ。
「つれないなぁ。俺は男だけは勘弁願いたいね。ただでさえ男が多い学校なんだ。これ以上増やしてどうするってんだよな?」
同意を求める口調。そこでようやく顔を向ける縁なし。
神崎は心底興味なさげに、
「どうせ男だろ」
もう痛まないのか、あごが手を支えにしている。
校庭に目を向けると、流れる雲がのんびりと。登校中の男女が楽しそう。
「お前もヤなこと平気で言うよな。……そりゃそうさ。男のが多い世の中だよ。だけどさ、希望ぐらい持ったっていいじゃないか。これ以上男が増えるなら、可愛い女の子が来てくれたほうがいいに決まってるだろ? な?」
またもや同意を求めている。しかも、いつの間にか条件がひとつ上乗せされている。
「山村、お前は俺に一体どうして欲しいんだ? 言って欲しいんなら言わせてもらう。……仮に女が転校してきたとしよう。だが、いくら女が来たからって、それが可愛いとは限らない。へたな希望は持つな」
断言。
山村――縁なし眼鏡が不満に口を尖らせる。
「ほんと、ヤなこと平気で言うよな、お前は……。あ~あ、なんだか朝から気分が滅入ってきたよ」
両手を伸ばしてから頭のうしろで組み合わせ、うーんと長い伸びをする。そうすることで背の高さがより際立つ。
「……そういやさ、お前あのニュース知ってるか?」
眼鏡の奥の目が真面目な色を取り戻す。あまり見かけないものだが。
「ニュース? ……ああ、そういえば昨日はあんまり眠いもんで、さっさと寝ちまったからな」
「見てないのか? はぁ……せめて、六時台のニュースくらいは見ろよ。十時、十一時台なら寝ててもまだわかるけど」
溜め息は深い。目の前の男がこういう性格だとはよく知っているはずなのに。
神崎は最近鬱陶しく感じ始めた前髪を手で払い、不機嫌そうに眉を歪める。
「なんのニュースだったんだよ?」
その声も不機嫌そう。いや、かなり不機嫌。
「ああ、ああ」思わずドモってしまう山村。
「隕石が来るんだってさ」
続きはあまりにもあっさりと出た。
「へぇ、隕石がね」
神崎もしごくあっさりと返した。驚きの欠片もない。
まず校庭の地面を見て、それから空を見上げる。やはり鬱陶しくなり始めているうしろ髪を頭ごと軽く掻き、「うん?」と首を傾げる。
「……隕石?」
「そう、隕石。大気中で燃え損ねた宇宙人……もとい宇宙塵のデカい奴。破片だな」
字面で見ないとわからないようなことを言い、眼鏡が知識の放出に輝く。
「そんなことは知っている。俺が訊きたいのは、その隕石がどうしたってことだ」
不機嫌さ二割増。あごが掌に埋没していて、目つきも鋭い。
「今言ったろ? 隕石が来てるんだよ」
さも当たり前といった口調。人差し指は天井に向いている。
「だから、その隕石がどこに来てるんだよ」
神崎の不機嫌さ、さらに二割増。かなり苛ついてきて、眼鏡の指をガッシと掴み取る。
「ここ」
空いているほうの指が示すのは床。
両方の指を拘束し終え、神崎の目は山村の眼鏡の奥を捉える。
「もっとわかりやすく言え」
脅し。
声も普段から考えて、一オクターブは低いだろう。いや、確実に低い。
「お前はバカか? ……しょうがない、この山村様が二グラムしか入っていない神崎の脳味噌にもわかりやすいように説明してあげよう」
ポキッ。嫌な音が鳴る指。
それでも平然そうな眼鏡は、
「俺の指は表でも裏でも好きなだけ鳴らせるよ。そんなに鳴らしたいんなら、しょうがない、鳴らさせてあげよう」
嫌な音がそのまま九回、ちょっと休んで追加で十回。計十九回。
全部の指の関節が表裏でポキポキ鳴り響く。鳴らし慣れていると、これが全然痛くない。むしろ薄っすらと快感が伴ってくるらしい。
山村のそこだけ太くなってしまっている関節は、ヒョロリ長い指には異様に映る。
「気分は晴れたかい? だったら、その一グラムしかない脳味噌に準備をさせておいてくれ」
さっきよりも減量されて半減している。
神崎の目には怒りはないが苛立ちが残る。
そんな視線もなんのその、山村は耳と眉と鼻で器用に眼鏡をクイと持ち上げた。
「いいかい? 昨日のニュースでは、なんとか彗星が何十年かに一度のなんとかで、これからおよそ半年後に地球にぶつかるとかで。天文学者もビックリの唐突っぷりだったんだとさ」
わかりづらい。
わかったことは、彗星が半年後に地球に衝突すること。それだけ。
「……なるほどな。で、その天文学者もビックリの唐突っぷりってのは?」
「なんだか、その彗星の軌道が急に変わったとかなんとか言っていたような気がする。計算したら、半年後なんだとさ」
記憶を辿る眼鏡は、その奥の目が今を映していない。
「なるほど。つまり、半年後に地球は大変なことになると、そういうことだな」
「そういうこと」
どこまでも軽いふたりだ。
ふたり……いや、よく見てみれば教室内では誰ひとりとして騒いでいる者などいない。まさか誰もニュースを見ていないということもないだろう。
校庭では、閉じられた門を飛び越える金髪。
いつの間にかおしゃべりで騒がしくなってきた教室。
「おっ、そろそろ時間だな。さぁて、可愛くて愛嬌のある女の子だといいな~」
眼鏡の独白の後半は若干鼻歌混じりだ。そして願望はより増えている。
ここの教室に来ていた他のクラスの生徒たちは、いそいそとした者やのんびりとした者とまちまちだが、それぞれ自分の居場所に戻っていく。
山村が席に着くと同時に、豪快な金属音が教室中に鳴り響いた。
ガラリ、ドアがスライドする。
またのんびりと窓の外を眺めていた神崎は、なにか小さな違和感を覚えたが、それの正体がわからないまま教師の声に脳内を支配された。
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