魂の支配

 

 こちら側・・・・で目覚めたチェルソは、肺一杯に場の空気を吸い込む。

 直に味わう血の臭いを堪能すると、首をゴキリと鳴らす。


 明らかに先程までと違う雰囲気を醸し出す我上司に、エルモは恐る恐るといった様子でありながらもどこか嬉しそうに声を発した。



「ドン……記憶が、戻られたんですか?」


「……」



 部下から問われた言葉に返答は無く、チェルソは足元に転がる死体を見据える。

 空気がビリビリと震え、この場に起こる異変に未だ誰もが動こうとはしなかった──かと思えたが。


 乱闘とはまるで場違いと言える、幼き少女の叫び声が工場内に響き渡った。



「いやぁああっ……!」


「……?」



 エルモはチェルソの身に起こる状況を確認したいところではあったが、突如聞こえた声にビクリと肩が震え──

 何事かと叫び声のする方向へ目をやれば、そこには少女を片腕で抱き抱え首元に刃物を宛がうセルジョの姿。



 ──何あれ? あんなの居た?

 少女がこの場に居た事すら知らないエルモは、突然現れ囚われの身になる少女の存在に首を傾げ訝しむ。

 それでいて危険の及ぶ少女の身を心配するどころか、一切興味など無いといった様子。



 チェルソの纏う異変には、セルジョにも嫌と言うほど身体に突き刺さる。

 だがここで怖じけずいてはいられないと、セルジョは少女を抱えたまま声を上げた。

 しかしその声は、恐怖で僅かに上擦る。



「プロベンツァーノの旦那ぁ……随分さっきと雰囲気が変わったんじゃないのか? いきなり、どうしたよ? まぁ……その、あれだ……さっきの話の続きだけど、部下の件は考え直してくれないか?」


「……」



 セルジョから投げ掛けられる言葉にも何かしらの動きを見せず、チェルソは死体の首──切り裂いた傷口をじっと眺めるばかり。

 そんなチェルソの様子に背筋を嫌な汗を滲ませ、セルジョは苦笑する。


 腕の中で怯える少女をちらりと見る。

 ──これはまだ使えるか?

 セルジョは少女とチェルソを交互に目を向け、三秒ほど思案した後に口を開く。



「なぁ、旦那。この餓鬼ガキがどこの娘だか知ってるかい? 有名な政治家の娘でね、人質として二億が掛かってる。無論世間には内密だ。上手くいけば二億と相手の弱味を握れるって訳よ! そうなれば今後マフィアそっちの活動にも、裏から手を回せる」



 苦笑から徐々に勢いづいていけば、声量も上がると共に笑みを浮かべて叫んだ。湧き上がる期待を乗せて。



 政治家の娘を拐って二億。それをドンに持ち掛け交渉の道具にするとは……エルモは内心で嘲笑する。

 ──こんな幼稚な作戦で、自分を仲間にしてもらえるだなんて本当に思ってるの? 脳味噌が無いんじゃない?


 呆れを通り越して馬鹿馬鹿しいと溜め息を吐くが、敢えてその言葉は口には出さずにエルモは上司の判断を待つ。

 するとこの場の恐怖の対象人物は漸く声を出し、たった一言だけ呟く。



「つまらん」


「……え?」



 セルジョとしては自分を売るチャンス故に何か別の答えが返って来るのを待っていたのだが、当然ながら期待するような返事が来るはずも無く──チェルソの呟きに頬が僅かに動くとポカンと口を開けた。


 チェルソは眺めていた死体から視線を離し、手に持ち続けていたサバイバルナイフに目を向ける。

 同時に顔に付着した大量の血液を掌全体で拭い取り、次いでナイフにこびり付く血も指でなぞって暫し刃先を見つめる。


 性能を確かめるかのように全体を見渡すが、自分の興味を引くものでなかったが為に、チェルソはサバイバルナイフを地面に放り投げた。



「金と裏の力が欲しければ自分でもぎ取るまで。お前に用は無い」



 淡々とそれだけを告げると、チェルソは再びゴキリと首を鳴らしエルモの方へ手を差し出した。

 掌が上を向いた状態で己に向けられたチェルソの手を見て、エルモはそれが何を意味するのかがわからずキョトンとする。



「出せ。持ってるだろう」


「へ?……あっ、はい!」



 見た目と言葉だけを聞けばそれはまるで恐喝。

 だがチェルソの掌を見つめつつ、発せられた意味を解きひとつの答えに結び付けたエルモはすぐに動く。

 刀とは別のもうひとつの武器──拳銃を取り出したエルモは、差し出されたままの掌に乗せ確認の視線を示す。


 返答は無いものの答えは合っていたようで、特に何も言われない事へ安堵したエルモは静かに息を吐く。


 受け取った拳銃を顔の前に近付けたチェルソは、ギラリと目の奥を光らせて口角を上げる。

 そして自身の懐からも、愛用の銃を取り出した。



 二丁の銃を手に馴染ませると虚空に視線を向け息を吐き出しながら、今はこの場から一時的に消えた者・・・・・・・・へ声を発する。



がこちら側に出ている時だけだ……少しは許せ」



 傍でその光景を見るエルモは、誰に向けられたかわからぬ言葉に戸惑い眉を寄せる。

 無論その他の者達も皆同様。理解できぬまま首を傾げるのみ。



 不意にチェルソの視線がエルモに向けられた。

 無意識に身体がビクリと震え、緊張が走る。その目は自分の良く知る冷酷なもの。

 この人の機嫌を損ねれば我が身が危険に晒される、そんな恐怖の緊張が──


 だが視線を交わす事で感じた、まだ僅かに居残る──覚醒する前の柔らかな雰囲気がちらりと存在するのを。

 しかしその存在は無理矢理押し込まれていく。



「エルモはあのを逃がしてやれ。それが終わればフェルモと共に残りの片付けだ」



 チェルソは告げるとエルモの返答を待たず、後ろへ振り返りこの場に居るもう一人の部下、フェルモに視線を向けた。

 それによりフェルモもまた、先程までと違う雰囲気を放つチェルソに対し緊張を見せ唾を飲む。



「お前も聞こえたか?」


「ああ、いや……はい」



 思わず敬語へと言い直したことから、フェルモのドンへ対する態度の変化が窺える。



 この場に居る部下二人に告げる。

 狂気に溢れ、それでいて楽し気に、ニヤりと笑いながら、最高で最悪な悲劇の始まりを──



「命令だ、ここの連中全てをぶち壊せ。 二度と目覚めぬように」



 ドンから下された命令に部下二人は全身を震わせ、待ってましたとばかりに狂喜に満ちた笑顔を浮かべ──各々の仕事を成すべく行動する。



「「了解!」」


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