会議室
オレがマフィアの世界で目を覚ましてから一週間が過ぎ、部下からの恐怖の対象として見られる態度にもすっかり慣れてきた。
部屋の場所も変更され、執務室と扉一枚で繋がり、生活に不便無い程度には過ごせる所に変わる。
そこもまた広く、豪華であった。
床は赤い絨毯。
天井には輝くシャンデリア。
家具はどこのブランドかまでは知らないが、素人が見ても一級品と思われる物ばかりが置かれている。
しかしそれは派手過ぎる訳もなく、テーブルや椅子なんかにも彫られた然り気無い彫刻は繊細で美しい。
部屋の壁は茜色に、薄い黄色で描かれたダマスク柄模様。
ドンの好みがそれとなくわかる。
部屋に設置された大きなクローゼットを開くと、そこにはドンが好んで着ていたという高級ブランドのスーツやワイシャツがずらりと並ぶ。
数えてみれば、スーツだけでも三十着は越えている。
その八割は黒のスーツで全て同じ物。残り二割は紺やグレーの色にストライプ模様が入った細身のスーツ。
朝起きて高級な黒いスーツに身を纏い、オレの一日は始まる。
と言っても、マフィアとしての記憶を持たないオレが何を出来る訳でもない。
初めの三日間はラバス医師にあらゆる検査をさせられたが、今はそれも落ち着いて暇をもて余しているところだ。
この建物、地下に手術室や検査室。医療関係の道具が設備されていた。流石は年間数千億を稼ぐ組織は、やることがすごい。
オレは洗面所に行き、大きな鏡で自分の姿を見つめる。
写し出されるのは当然、チェルソ・プロベンツァーノ。
これにはまだ若干慣れない、ビビる事がある。
なにせ、とんでもく凶悪な顔をしているのだ。
例えマフィアのドンである事を知らなくても、明らかにこのチェルソ・プロベンツァーノは堅気な人間ではありません──と、言ってるような面をしている。
試しに鏡越しに睨み付けてみたが、自分でやっておきながらも恐怖で背筋が凍ってしまう。
もしも敵として目の前に立たれたら、オレなら恐怖で声すら出そうにない。
鏡を見て、凶悪顔の次に驚いたのは年齢。
想像以上に若い。見た目年齢は30歳ってところだろうか。
映画なんかの影響は大きいは思うが……なんとなくオレが想像するマフィアのトップに立つ者は、もっと年齢も上なおっさんだとばかり思っていただけに、余計に驚いた。
若くして数千人を束ね、恐怖で名を轟かせていたのか……これが表の業界でなら、オレの第二の人生も良かったんだけどな。
一先ずオレは洗面所で顔を洗い朝食を済ませ、今日も暇な一日を過ごすと思われた。
しかしこの日から、また新たに生活が変わる。
裏社会で生きる恐ろしさと、自身の身に起こり始めた違和感が襲う──興奮と快感と快楽がオレを刺激する。
会議室。
朝食を済ませた後、会議室にはオレを含めカルロ、フェルモ、エルモの四人が集まり話し合いが開かれた。
話の内容は『ドンの記憶を戻す方法』
会議室に置かれた長テーブルには、総勢二十名が座れるように椅子が配置。皆の顔が一望出来る位置に、ドンの席は設けられている。
オレは専用の席に腰掛け、他の三人はオレから見て右側にカルロ。左側にフェルモとエルモが順に腰を下ろす。
皆が席に着くとすぐさまカルロが口を開く。
「ドンには記憶を戻してもらわなくては困ります」
「そうは言ってもカルロさん、そんなポンッて戻るものじゃないと思いますよ?」
エルモはのんびりとした口調で首を傾げた。
エルモは26歳。童顔で見た目も子供だが、動作も口調も少しのんびりしている。くまのぬいぐるみでも持たせたくなる。
しかしこれでも、れっきとしたマフィアの人間。
それもドンの身辺警護の一人。
もう一人の身辺警護はフェルモ、32歳。
「あの医者に頼んで、ドンの脳をちょいと弄れば戻らねぇもんなのか?」
「出来るものなら頼みたいですね」
危ない発言をするのはフェルモ。
筋肉質で大柄、身長も2メートル15センチもあるんだとか。
隣に座るエルモが小柄なために、余計二人の体格差が目立つ。
「大体よ、他の連中はどうした? 俺たちだけじゃないだろう、この事知るのは」
「今の段階で記憶喪失と伝えてあるのは、主に戦力に役立つ者が中心です。この屋敷で特に強力な戦力を持つのはあなた方二人だけですし、他の者は別の場所に居ますからね」
フェルモの疑問に、カルロがこたえる。
当事者であるがなるべく関わりたく無いオレは、そっと耳を傾けるだけにして黙っていようと思った。
だが、先の二人の会話につい口を開いてしまう。
「別の場所?」
オレの声に反応したカルロは、柔和な笑みを浮かべて恐ろしい事を躊躇いもなく発する。
「シチリア島で我々の目を盗み悪さする連中の掃除と、恐喝をしに出張してる者が何名か居るんです。それ以外にも方々散らばってます」
「掃除と恐喝……」
「戻るにはもう少し先になるかと思います。ドンも頼りにする、強力揃いですよ」
裏社会での掃除とはつまり、この世から消し去る事──殺しを意味する。
頭が痛くなる言葉だ。
こいつらは殺しをなんとも思っていない。
カルロは笑みを残したまま続ける。
「さて、話を戻しますが……ラバス医師が言うに、記憶を戻すにはドンの好む場所に行ったり刺激を与えると言いと聞きました」
「オレは平和な場所を好む」
「ドンなら戦場だろう」
「死体の山を見せれば!」
「戦場と死体……やはりそれしかありませんか」
「いや、平和な場所を……」
「ですが、今は危険な場所に向かうのはどうかと思いますし……」
どうやらオレの声は、この三人には届いていないようだ。
好む場所に戦場と死体を選ぶとは一体どういう事だろうか……
もっと選択があっただろう? 平穏な方向への選択肢はないのか?
「あっ! 丁度良い場所がありますよ! 血の臭いがするけど、危険じゃ無い場所」
「あ? 何処だよ」
何か思い付いたように、エルモが片手を高く上げ告げる。
それに隣のフェルモが視線を向け、腕組をしてエルモからの返答を待つ。
「ぼくらの管轄内で暴れてるギャング集団が居るじゃないですか! あいつらを、ぱぱーっとお掃除しちゃいませんか! ドンの目の前で殺れば脳への刺激になりますよ」
「……そんな奴ら居たか?」
「ああ……あの、底辺連中ですか。ドンが見向きもしない程のギャング達です」
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