トーキョー・マイ・フェア・レディ
冷門 風之助
前編
『あんた、又来たの?幾ら頼んでも返事は同じ!ノーよ!
彼女は素っ気なく、上目遣いに俺を睨みつけるようにし、水割りのグラスを干した。
ここは有楽町にあるジャズクラブ『ダン』である。
俺事、私立探偵の乾宗十郎は、これでもう一週間連続で通い詰めている。
え?
(その女に惚れたのか?)だって?
バカ言っちゃいけない。
仕事に決まってるだろ?
俺がその依頼を受けたのは、今から丁度一か月前、つまりは2月の頭のことだった。
最初電話をしてきたのは、昔馴染みの弁護士で、
『どうしても受けて貰いたい仕事がある』というのだ。
その頃俺はちょうど面倒な依頼を一つ片づけたばかりだったが、頼まれりゃ嫌とは言えない性格がそうさせたんだな。
彼の事務所に出向いて、話を聞くことにした。
現在彼はある老婦人の顧問弁護士をしているという。
この女性、元華族出身ながら、なかなか商才にたけたバイタリティのある女性で、僅かな資金を元手に三つの会社を興し、現在日本のみならず世界でも知られた大企業に押し上げた、言ってみればある種の『女傑』なのである。
彼女の半生はテレビドラマや映画にもなったりしたくらいだから、恐らく名前を言えば大抵の日本人は直ぐに分かるだろう。
彼女には元中央省庁の官僚で、後には良き片腕となった夫との間に三人の子を成した。
現在会社は長男と次男に任せ、彼女自身は田園調布の豪邸で、悠々自適の生活を送っているという。
財産もあり、地位もある彼女にとって、唯一の心残りは、一人娘で長女のことである。
その長女は、彼女が割と齢を取ってから生まれたこともあってか、彼女自身、それこそ目の中に入れても痛くないほど溺愛していた。
長女は二十歳になった時、ある男と恋をし、結婚を望んだ。
しかし母である彼女は結婚に猛反対だった。
家柄がどうの、学歴がどうのという問題ではない。
娘が恋をした相手が、外国人だったからである。
男は東欧の某国の出身で、第二次大戦後、共産主義に呑み込まれ、反対側の勢力にいた彼の一族は勢い国を捨てざるを得ず、放浪の末落ち着いたのがどういう訳か日本だった。
男は表向きは金色の髪、白い肌、とび色の瞳をした『外国人』なのだが、教育の殆どを日本で受け、祖国の言葉よりも日本語の方が流ちょうなほどである。
ソヴィエトが崩壊し、祖国も民主化されたのだが、今更言葉の分からない国に戻る気にもならず、このまま日本に住みたい。
本気でそう思っていた。
しかし娘の母親は、彼を頑として受け入れようとはせず、結婚にも反対し続けた。
母娘の関係は決定的といえるほど険悪になり、娘はとうとう家出をし、男の元に奔った。
娘は男と正式に結婚をし、女の子を一人儲けた。
その後、娘の方からは何度か頼りが来たものの、彼女は頑なに娘を許そうとはしなかった。
そうして時は経ち、人づてに娘とその夫が交通事故で亡くなり、一人娘・・・・つまりは彼女にとっては孫にあたるのだが・・・・が遺されたのである。
彼女はもう80をとうに過ぎている。
この歳になってようやく孫に会ってみたい。
そう思ったのである。
自分の目の黒いうちに謝罪し、孫として対面したい。
それが彼女の意向だそうだ。
弁護士はそういって、一枚の古びた写真を俺に見せた。
恐らく七五三のものだろう。
振袖姿におかっぱ頭の少女が、千歳飴の袋を下げ、どこかの神社の鳥居の前で、グリーンのツーピースを着た女性と並んで写っていた。
とび色の瞳にブロンドの頭髪、白い肌・・・・明らかに東欧系の血筋を宿していると思われる。
裏を見ると、
『頼子、7歳。〇〇神社にて』とあった。
厄介な仕事になるかな。俺はそんな風に考えた。人探しってのは、探偵の主要な業務の一つなんだが、分かっているのは10年以上前の住所と、それと孫娘を写した一枚の写真・・・・これだけじゃ、端緒にもなりゃしない。
しかし愚痴ってみても始まらん。
引き受けた以上は最後までやり遂げる。
それが俺のモットーだ。
ところが、である。
厄介と思われる依頼も、意外なところから道が開けた。
俺の馴染みのバァ『アヴァンティ』のマスターに、この写真を見せたところ、
『JR有楽町駅から歩いて30分ほどのところに、知り合いが経営している
「ダン」という店がある。それほど大きくないバァだが、今時珍しくバンドを入れて渋いジャズを聴かせてくれる。そこで準専属といってもいい女性シンガーがいる。俺も一度だけ聴きに行ったことがあるが、その子の名前が確か頼子(よりこ)っていったな。髪は金髪、目はとび色で、どことなくエキゾチックな感じの女の子だった』と・・・・
こうなりゃ、無駄足でも何でもいい。
とにかくいってみよう。
俺はそう思った。
かくして俺は、3月の初め、有楽町の『ダン』にやって来た。
マスターが教えてくれた通り、店はさほど広くはない。
客席もボックスが2つに、後はカウンターがあるきりで、それでも結構賑わっていた。
俺は入口の近くのカウンターに腰かけ、ステージ(といっても、これまた本当に狭い)を眺めた。
バンドの編成はギター、ウッドベース、クラリネット、ピアノ、それにヴォーカルといったところで、そのヴォーカルを担当していたのが、頼子だった。
彼女は焦げ茶色のドレスを身にまとい、フットライトに身体を揺らせながら歌っていた。
肩まであるブロンドの髪、白い肌が、ライトによく映える。
クラリネットとウッドベースのイントロから始まる、
『マイ・フェイバリット・シングス』だった。
俺は音楽についてはお世辞にも詳しい訳じゃないが、それでも彼女の歌唱力の確かさは理解できる。
華奢な身体から響かせる声は、サラ・ヴォーンと比べても、決して引けを取らない。
世辞なんかじゃないぜ。
本当にそう思ったんだ。
何曲か歌い終わると、客の拍手(勿論俺もだが)に送られてステージを降り、カウンターの片隅に腰かけ、バーテンに飲み物を注文した。
俺は椅子から立ち上がると、客の間を縫って彼女の側に立った。
『失礼ですが、頼子さん?』
とび色の瞳が訝し気に俺を見上げる。
俺はライセンスとバッジを提示し、自分の名前を告げた。
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