告白の期限

 次の日、浅沼さんから放課後、体育館裏へ来るよう言われた。女子から体育館裏に呼び出されて、こんなに嬉しくないことがあるのかと思った。

「来たわね」

 浅沼さんは、教室を一番に出たはずの俺より早く体育館裏に来ていた。なぜ呼ばれたのかは大体、見当がついている。

「アンタ、どういうつもりなの」

 浅沼さんの真剣な表情で察しがつく。やっぱり、昨日のは幻じゃなかったんだ。つまり、俺は乙宮に告白してしまったと……。

「あれは本当に俺が悪い。まさか、あんな時間に乙宮と会えるとは思ってなくて。しかも寝惚けてて……」

「ちょっとストップ。なんの話してるのよ」

「え?」

 浅沼さんに止められて、一度話すのをやめる。なんの話をしてる? って、俺が公園で乙宮に告白した話じゃ……。

「私がしてるのは、別人みたいになった三人の話。春香は出てこないはずよ」

「ああぁ〜! そっちか〜!」

「そっちかって他に何があるのよ。明らかに異常よ、あの三人。アンタ、何か知ってるでしょ」

 浅沼さんの言う三人とは真人、ワンコ、純のことだ。あの三人は俺の策略、もとい親切によって、ごっつぁんに大胸筋工場に連れていかれた。

「やあ! ははっ」

 今朝会ってみると、三人とも見違えるように身体が大きくなり、肌も焼けていた。挨拶はいつもの五倍は爽やかで、白い歯が眩しかった。

「くっ……俺は屈しないぞ……俺は……ウッゥゥゥグゴァァァァ!」

 真人にはまだ葛藤が見えたが、終いには暴れ出してしまい、浅沼さんの一撃で沈められた。

「うんうん。右腕が軽いぞ! はははは!」

 ワンコは上機嫌で右腕を振り回していた。たしかに釣り合いは取れているが、破れていた右袖はそのままだった。

「いや、俺は何も知らないな。他に用がないなら俺は行くよ。じゃあ、俺はこれで」

 浅沼さんに背を向けて帰ろうとしたが、肩を思い切り掴まれる。両手で、がっしりと。な、なんて力だ! 失礼だけど本当に女子……いや、人間か⁉︎

「待ちなさい」

 浅沼さんの素敵な笑顔から殺気のようなものが漏れている。やべぇよ、これマジやべぇよ。恐怖のあまり、語彙力が死んでいってるよ。

「春香がどうしたって……?」

 もう話すしか生きる道はない、そう判断した俺は昨日の公園での短い出来事を、さらに短く説明した。

「昨日、乙宮に告白した」

「え⁉︎」











「なるほどね……そういうこと……」

「はい……」

 俺は浅沼さんの前に正座していた。最初から普通に話していれば脱臼なんてせずに済んだっていうのに。

「でも、多分、幻だと思う、あれは。だって、あんな時間に乙宮が外にいるわけないからさ」

 浅沼さんはため息を吐いた後、呆れた様子で言った。

「そんなの、アンタには分からないでしょ。もしかしたら、いるかもしれないじゃない。その暗い時間に制服で春香が」

「まぁ……それは」

 そう言われれば、たしかにそうだけど。

「しかも、それ多分、本人だし……」

「はぁ⁉︎」

 俺は驚きのあまり立ち上がったが、足が痺れて倒れてしまう。

「本人ってどういう……」

「そういえば今日は三馬鹿だけじゃなくて、春香の様子もおかしかったわ……」

 浅沼さんは頭を押さえながら、ため息を吐いた。

「授業聞いてないわ、私の話も聞いてないわ、弁当食べてる最中に箸落とすわ、ドアにぶつかるわ……なるほどね。そりゃあ、ああなるわ」

 一人で納得している風の浅沼さんに、俺は説明を求める。

「浅沼さん! 本人ってどういうこと⁉︎」

「アンタは気にしなくていいから。ああ、そうね。とりあえず、春香に謝っといた方がいいわね」

 意味が分からない。本人だったら、気にしなくていいはずがない。しかし、浅沼さんはこれ以上、何を聞いても教えてくれなさそうだった。

「とりあえず、明日、乙宮に謝るか……。よし、浅沼さん! 気合い注入で一発殴ゥャガスァ⁉︎」

「よく言ったわ! それでこそ男よ!」

「いや、まだ言ってなィブハラミティ⁉︎」

 倒れた俺に馬乗りになって、何度も何度も殴ってくる。

 その時のことを、被害者Yさんは、のちにこう語る。

『いやぁ、まず気合い注入なのに、一発じゃないですからね。それに、格闘技みたいな表現ですけどね、一発が重いんですよ。彼女の攻撃は。こう……なんて言えばいいんですかね。体の芯にズシンと響いてくる感じ。そりゃあ間違いなく常人のパンチじゃないでしょう! 何よりも怖かったのは、僕を殴っているときの彼女の表情ですよ。子供みたいって言うんですかね、そう、ずっと欲しかったおもちゃを与えられた子供みたいな笑顔。あれが一番怖かったですよ』

「ハっ⁉︎ 私は何を……」

 まるで無意識で殴っていたみたいなセリフを吐く浅沼さんに俺は心から恐怖した。とんでもない人だ……絶対に怒らせないようにしよう……。次こそ命がない。

「た、大丈夫⁉︎」

「ギ、ギリギリ……アウトかも」

 浅沼さんが慌てて立ち上がって、手を差し伸べてくれる。きた、これだ。これを待っていたんだ!

「ありがとう」

 浅沼さんの手を取る。さぁ、くるぞ! ラブコメには必須のイベント、ラッキースケベが! 浅沼さんがいくら強いといっても女子。俺の体重を支えきれなかった浅沼さんは、そのまま俺と同じように倒れてしまい、偶然、イヤらしいことになる。そう、偶然!

「あっ」

 予想通り、浅沼さんは俺の体重を支えきれずにこちらへ倒れてくる。勝ったッ! 第九話完!

「うわぁ!」

 次の瞬間、浅沼さんの悲鳴が聞こえたと同時に、視界が暗く閉ざされる。な、なんだ! 何が起こったんだ!

「むぅ、こ、これは……この柔らかい感触は」

 これは、ふ、太ももか⁉︎ まさかの大当たりだと⁉︎ すごい柔らかいぞ……しかし、この真ん中の突起物は一体?

「じょっと……」

「うわ! 太ももが喋った⁉︎」

「それは私の顔よ!」

 言葉と同時に、俺の体に何発も拳が打ち込まれた。ラッキースケベって思ったより痛いなぁ。こんなことなら、ラッキースケベなんて求めるんじゃなかった。

 後悔しても、浅沼さんの拳を防ぐことはできなかった。



「顔、大丈夫?」

 浅沼さんが心配してくれるなんて嬉しい限りだ。それにしても、浅沼さんの肘が俺の顔がめり込んでいたなんて。

「ぁ、ああ大丈夫大丈夫! ギャグじゃなきゃ間違いなく死んでたけどね!」

 本当によかった。本当に……。

「……ねぇ、安川。さっきの話聞く限りだと、春香のことが好きなのは本当?」

「――え?」

 思わぬ質問に体が動かなくなる。

「え……えっと、それは……」

 浅沼さんは真っ直ぐと、俺から視線を外さなかった。はっきりと答えられずにいる俺に、浅沼さんはため息を吐いた。

「ああーなるほどね。分かったわ」

「な、何が……」

「アンタが春香のことを好きじゃないってことがよ。春香には勘違いだったって私から言っておくから」

 そう言って浅沼さんは冷え切った表情で、俺に背を向けた。俺は少しだけ腹が立った。なんだその言い方は。好きでもなんでもない女に告白する男なんているはずがない。

「――待て」

 浅沼さんが振り返る。

「好きでもない女に告白する男なんかいるはずないだろ。たしかに、告白の仕方は悪かったし、結果的には勘違いだったけど、だからって好きじゃないことにはならない」

「……じゃあ、もう一回告白できる?」

「ああ! できるとも! 何回でもできる! それは言いすぎた! けど、できる!」

 自分でも恥ずかしいセリフを言っているのは分かっているが、ここで恥ずかしがるのは自分の気持ちを否定することと同じだ。あ、また恥ずかしい。

「じゃあ、年内にもう一度、今度はきちんと、春香に告白できる?」

「ああできる! やってやる……って年内?」

「そう、年内」

「なぜ年内?」

「それは……別になんとなくよ」

 一瞬、浅沼さんの表情が暗くなった気がした。

「年内はちょっと厳しいな……できれば卒業式の日がいいんだけど」

「ギリギリすぎよ!」

 だが、実際問題、現段階で乙宮の俺に対する好感度は、公園の件で普通のクラスメイトよりも下がってしまっただろう。来年は受験があるし、やはり卒業式が妥当では……。

「それじゃダメ。とにかく告白するなら年内よ」

「でも、それで振られたら元も子もないし」

 そこで、なぜか浅沼さんはすぐ横の木の幹を殴った。

「年内」

「分かりました」

 脳裏をよぎるリアルな死のイメージが俺に即答という選択をさせた。

「それじゃあ、私部活行くから。今回の告白は上手く誤魔化しておくから安心しといて。あ、ここで話したことは秘密にしといて」

 そう言って浅沼さんは駆け足で俺の前からいなくなった。俺が蒔いた種とはいえ、大変なことになったぞ。年内に乙宮に告白しなければならないなんて。

「そういえば乙宮の彼氏とか彼女の話、聞いたことないな……」

 そんなことを呟きながら、俺は木にできた拳の跡を触った。そして一人恐怖した。



 こうして俺のドキドキ告白大作戦が幕を開けたのだった。



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