真空色の虫

諏訪 剱

ホームの向こう

 十二番線ホームには整然と列を成す人々が次の電車を待ち構えている。そこへ滑り込んできた電車のドアはぎこちなく開き、吹き出した乗客達はホームのわずかな隙間に向かって散って行く。電車はその車体を左右に大きく揺らしながら、まるで吐いた息を取り戻すように、すぐさま列を崩した人々を吸い込んでいく。世界一の利用者数を誇る新宿駅で、朝の通勤通学ラッシュのピークを迎えた山手線の車内は、この車両の呼吸を読むことができる無表情な人々で満たされる。

 鞄をしっかりと抱きかかえ、吸い込まれるように車内の中ほどに入り込んで首尾よく吊り革を確保した僕は、両足を踏ん張って発車を待ちつつ十番線に目を向ける。この時間の十番線には特急が停まっていて、僕を取り囲む圧縮感とは対照的な開放感漂う車内の様子が見て取れる。チケットに記された座席を探す人、手荷物を網棚に乗せる人、窓辺に頬杖をして車外を眺める人、テーブルを出しサンドウィッチを開く人。僕は吊り革をしっかりと握りしめ重々しく発車する山手線の揺れに抗いながら、毎日のように思うのだ。あの人達は特急に乗ってどこへ行き、どんなふうに今日一日を過ごすのだろう。平日にもかかわらず、あんなにもゆったりと優雅な空間を孕む特急車両に乗り込んだあの人達は、果たしてどんな非日常を過ごすのだろう。今から一時間後、日常のルーティンの中に埋もれていく僕とは違い、彼らは特急の車内で旅行気分を満喫する。今から五時間後、代わり映えしない至って普通の昼休みを過ごす僕とは違い、彼らは特別なランチタイムをその旅先で過ごすのだ。今まさに、あの特急の指定席に座り、旅行という特別感にワクワクし、平日における非日常というこの上ない贅沢を存分に味わおうとしている、いや、既にもう味わっている最中なのだ。ホーム一つ隔てただけの距離、線路を1本超えるだけでたどり着く十番線には、目視できるにもかかわらず遥か遠い別世界があった。

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