A bus stop, cats and dogs

名取

犬と猫






 雨の多い街とは知らなかった。




 下調べはしたはずだった。気候は温暖湿潤気候、この時期の太平洋側は特に晴れの日が続くはずだったのに、全くこれでは余計に気分が沈んでしまう。

「おーい、犬川」

 そんな物思いにふけりながらバスを待っていると、どこかからそんな声を掛けられた。声の方を振り返ると、校舎に続く道から、コウモリ傘をさした学ラン姿の猫田が、ひどく億劫そうに歩いてくるのが見えた。バス停のところまで来ると、彼は立ち止まって、私の隣に並んだ。

「雨、降ってるな」

 猫田は曇り空を見上げ、怠そうに言った。

「予報じゃ、これからさらに雨足が強まるって話だぜ。あれだよ、ほら、なんつったっけ、ど……どし……」

「土砂降りか」

「そうそう、それよ」

 よくわかったなとでも言うように、猫田がビシッと指を向けてくる。

「犬川はいつもすげーよ。頼りになる」

「お前が人一倍だらしないだけだと思うがな」

 ブレザーのネクタイを締め直しながらそう言うと、猫田は決まり悪そうに、寝癖だらけの頭を掻いた。

「オレ、これでも頑張ってるんだけどなぁ」

 またこれだ、と眉をひそめる。こいつが言い訳をはじめるときりがないのだ。私は静かに自分のスマホを取り出して、イヤホンを耳にはめた。ラジオアプリを開き、適当な番組を聴く。

『昨年、△□町で起きた強盗殺人事件についての続報です。犯人に襲われ頭部に怪我を負い、昏睡状態が続いていた柏谷小夜かしわやさよちゃんが昨日、意識を回復しました。病院関係者の話によると、小夜ちゃんの容態は安定しているが、事件当夜の記憶の有無についてはまだわかっていないとのことです。なお、この事件では小夜ちゃんのご両親の柏谷隼也さんと夏さん、そして当時3歳だった弟の結城くんが刺されて死亡しており、犯人は依然逃亡中……』

 無機質なアナウンサーの声をそこまで聴いたとき、すぽっ、と片耳のイヤホンが抜けた。反射的に横を向くと、ムッとした顔の猫田が私のイヤホンをつまんでいた。

「おいおいおい。犬川さんよ」

「なんだ」

「なーにガン無視キメてんだ」

「ああ、悪い」

「絶対悪いと思ってねーだろ!」

 耳元でギャンギャンと子供のようにがなり立てる猫田の声に目を細めながら、面倒臭いな、と思う。

「構ってくれないと死んじゃうの、オレは」

「でも私が構っても、お前はいつも『ウゼぇ』とかなんとか言って、逃げていくじゃないか」

「それは、お前がいつも変なタイミングでじゃれてくるからだろうが! オレはデリケートな生き物なんだよ」

「はぁ」

「あからさまにため息吐くな」

 なぁそれよりよ、とあっさり猫田は話題を変える。なぜか彼の手には、分厚い英語の参考書がある。

「知ってた? 英語では、土砂降りのことを『rain cats and dogs』っていうらしいぜ」

「そうか、よかったな。それより、その本はどうした?」

「これか? 学校からパクってきた」

「なんだと? 全く、目立つようなことはするなとあれほど……」

 私の言葉など意に介さず、猫田はニヤニヤとした笑みを浮かべながら、盗んだ参考書を流し読みしている。

「いやーしかし、謎が一つ解けたぜ。だって、どう考えても不自然だろ、今回の名前。犬川と猫田なんて、普通ありえねぇよ。でもこういう言い回しがあるんなら、雨降りの街には合ってるな。たまにはあいつら、洒落たことするじゃねえか」

「たまたまだろ」

 そんな言い争いをしていた時だった。突然、周囲が閃光に包まれた。

「わ、」

 猫田の驚く声がした。

 一瞬のあと視界は元に戻ったが、すぐにゴロゴロゴロ……という雷鳴が聞こえてきた。どうやら雷が鳴り始めたらしい。急に雨足も強まっている。

「雷かよ」

「ああ。不吉だな」

 その時、私たちは両者同時に、雷でない他の気配を感じた。しかもそれは、私たちのすぐ後ろに、石のようにじぃっと、身じろぎひとつせずに立っていた。


「……」


 私と猫田は無言で目を合わせると、息を整え、ゆっくりと後ろを振り返った。

 そこには、血まみれの親子が立っていた。


「ちゃんと、ころしてくれる……?」

 両親に手を繋がれて、頭からだくだくと血が流れている男の子が、たどたどしい言葉で私たちに問いかけた。それに答える間も無く、胸にナイフの突き刺さった父親と、片手片足のない母親が口を開く。

「許せないんだ。もう、これ以上、奴らに勝手なことはさせられない」

「そう。せめて娘だけは、守らなきゃ」


「……」


 こういう時の対処は決まっている。私たちは何も見えなかったふりをして、再び前に向きなおる。数秒の後には、気配は消えていた。私と猫田は無意識に、ポケットの中に潜ませた道具に手を触れる。




 ——




 それが、霊感が異常に優れているために、普通の社会では生きていけない私たちの天職だった。正式にエージェントとして雇われたのは12歳の頃で、二年ほど前になるが、どうにかやっていけている。猫田と組まされたのも、ちょうど同じ頃だ。もっとも名前は、どこに派遣されるかでいつも変わるのだけれど。

「お、見えたぞ」

「そうだな」

 バスのヘッドライトが、遠くに見えた。標的の乗ったバスはそろそろ、このバス停にやってくるだろう。

 本部から支給された道具で殺した人間は、自然死扱いとなり、肉体から魂がするりと抜け出て呪われた霊体となる。そして、生前に犯したにもかかわらず裁かれることのなかった、全ての罪の報いを受けるのだ。どこで罰を受けるか? それは私にもわからない。ただわかっているのは、その作業をすることで確実に報酬が発生するということだ。

 この世のものではない存在からの依頼なのに、どういうメカニズムで金銭等の物質的な報酬が支払われるのかといえば、それはもっと複雑な話になってくるのだが、それは大したことではないだろう。「労働に対して適切な報酬が支払われる」ということが最も大事なことだ。それに簡単に言えば、仕事を終えた後はその報酬として高額の宝くじが当たるとか、金持ちに偶然プレゼントをもらうとか、私たちの給与システムはそういう不条理な感じなのだ。

「よし、じゃ、お仕事しますか」

「調子に乗ってヘマするなよ」

 まるで巨大な怪物の吐息のような、大型車特有のパーキングブレーキの音が響き渡る。目の前がまばゆいライトに照らされ、やがて、バスは完全に停止した。目の前のドアが開き、私たちを迎え入れるやる気のない車内アナウンスが流れる。


 私たちは傘を閉じ、静かな微笑みとともに、バスに乗り込んだ。

 

 

 






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