Ghostwriter 実際幽霊が書いてるんです

TKZ

第一話

【1-1】

 幽霊と誰にでもなれる訳ではない。この世に未練を残しつつも執着というほどの感情は持っておらず、そして突然の事故死のように自分が死んだという自覚すら持てずに死んだ者だけがなれる……

庄司 浩太朗 1965-1990 日本 東京都



 古い木造一軒家の昭和臭漂う佇まいの居間で二人の男が間に書類を挟んで向かい合っている。


「なるほど誰でも死んだら幽霊になれるわけじゃあいんですね」

 草臥れたスーツ姿、三十絡みのスラッと言うよりもヒョロリと言った感じの背の高い男が、読んでいた書類──原稿をテーブルの上に戻して感想を述べる。

「そんなに簡単に幽霊になるなら、世の中幽霊だらけ……まあ、結構幽霊だらけだけどね」

 そう応じたのは、この家の家主。

 こちらも三十前で身長は高い。しかし肩幅の広さ厚さと、胸を張らなくても重厚さ漂う胸板。元何らかのアスリートだった事をイメージさせる体形をしていた。


「またまた……」

 笑いながら応じるが、相手が猫の様に何もない宙を凝視しながら首をゆっくり動かすのを見て表情が強張る。

「……本当に?」

 おどおどと怯えた様子で周囲に視線を泳がせるのだった。

「いや、今はこの家の中には居ませんけど、家の中よりむしろ人通りの多い繁華街は幽霊の巣窟と言っても良いくらい沢山いるんですよ」

 不安そうに家中に視線を投げかける客人に男はそう答えるのだった。



「先生。いい加減、僕を怖がらせるのはやめてくださいよ?」

「というか読者が眉唾だと思っていても俺の担当なら信じろ。そして怖がるな」

 社交辞令的な敬語が何処かに飛んでいく。

「デスクからは作家先生の大丈夫、間に合いますは信じるなと言われてますが?」

 二人はしばし睨み合うのだった。


「山本君、僕は締め切り破った事ないよね。今回の原稿だってかなり余裕をもって上げてるよね?」

「でもまだ連載開始して半年じゃないですか、僕が大丈夫だと信じ切ったら裏切るんですよね? 作家とはそういう生き物だと、新人の頃に叩きこまれました」

 悪びれる様子もなくそう言い放つ担当編集者の山本に作家先生は肩を落とした。

「そういう事は思ってるのと口にするのは違うんじゃないか?」

 本来作品を作り上げる協力関係であり、年頃も近く軽口も叩き合える仲でありながら、異なる立場の両者の間には決して渡る事の叶わない大きな川が横たわるのであった。



「今月号の配本はいつも通りに十六日ですので最終確認をよろしくお願いします」

 山本は席を立つと頭を下げた。

「こちらこそよろしくお願いします。それから二十日からまた取材旅行に出るので、場所によっては電話もネットも繋がらないかもしれないので毎日一回は何も無くても連絡を入れるのでよろしくお願いします」

 別れの挨拶という儀礼的な状況では再び二人の間に敬語が戻ってくる。

 社会人としてのマナーもあるが、そろそろ砕けた口調でも良いんじゃないだろうかと互いに探り合っている時期だった。


「今度は何処に行くんですか?」

「山陰地方を一週間くらいかけて回ってみるつもりです」

「キャンピングカーでの旅ですか。宿の予定に縛られることもなく自由に動けるなんて羨ましいですね」

「確かに宿の予約も必要ないから、その日の気分で旅程を変更出来るし宿泊費も掛からないけど、連れがいるならともかく一人旅だと高速料金や燃料代、車の維持費を考えると交通費は決して安上がりって言うほどでもないし、常に自分で運転しなければならないから移動時間に寝る事も寛ぐことは出来ないし、キャンピングカーとはいえ車中泊自体がホテルや旅館に泊まるのに比べたら疲労は取れないよ。それに道の駅で泊まると、たまに大型トラックが一晩中エンジンかけっぱなしなんて事もあるから、ゆっくり眠れない場合は翌日はかなり辛くなるしね」

「良いことばかりではないんですね」

「結局は車中泊の旅というスタイルが好きになれるかなれないかの問題だと思うよ」

「スタイルですか?」

「そう。好きな人間ならキャンピングカー以外での旅はありえないと思うほどハマる。それくらい奥の深いものでもある……らしいね」

「らしいって何ですか?」

 作家先生の話に引き込まれて、車中泊に対して憧れの思いすら感じていた山本は最後の言葉に驚く。


「父が遺した、処分に困る作りかけのキャンピングカーを完成させて利用してるだけだし、そもそも取材目的の利用で、旅をする事自体が目的な訳じゃないから」

「何か台無しですね。スタイル云々までは格好良いなと思ったのに」

「仕方ないだろ現実なんてそんなもんだよ……」

「そんなもんですか?」

「一般的に理想的と表現される何かというのは、常に頭に「ある意味」が付くんだよ。完全無欠、誰にもどんな時にも理想的であり続ける何かがあるなら、全人類はそれに向かって邁進するだろう。でもそんなものは存在しない。人間って奴は完全な理想郷にたどり着いたと思っても、しばらくしたら何か違うと言い出しては、別の理想郷を求めて新たな旅に出る生き物なんだよ」

「オカルトネタで仕事してるリアリストって何だか嫌いだな」

「人が珍しく良い事を言ってるんだ貶めるな。むしろ褒めろ!」

「本当に珍しいですよね」

「良いから帰れ!」



 三十代から五十代程度の年齢層の男性をターゲットにした月刊誌『ナイスミドル』──その雑誌名はどうにかならなかったのかというのは二人共通の思いだった──の編集である山本は翌月号掲載の原稿の確認と、翌々月号掲載記事の打ち合わせ。そして雑談を終えて、原稿のデータの入ったUSBメモリーをカバンに入れて玄関へと向い、先生と呼ばれた男も山本を送りに後に続いて席を立つと見送りに出る。


「先生の連載は何だかんだ好評で、うちの雑誌も売り上げが順調に伸びてます」

 山本は薄くカラーの入ったフレームレスメガネのブリッジを右手の中指でクィっと持ち上げながら、実に含みのある笑みを零す。

「中指を一本だけ立てて眼鏡を持ち上げる癖は止めろと言ってるだろう。外人に誤解されて指へし折られたいのか? それと何だかんだ言うな。少しは気を遣って当然ながら好評ですとか言え」

 作家先生も笑顔で物騒な事を口にする。


「次の原稿も期待していますよ」

 言外にしっかり原稿の締め切りを守れよと含ませている。

「ハハハッ、期待されると怖いだろ」

 その期待を裏切ってやりたい気分だと匂わせる。


「またまた……お願いしますよ先生!」

「やっぱり先生は止めてくれない? そもそも俺に対して敬意なんて払ってないよね。俺もこれっぽっちも君に敬意は払ってないけど」

「そんな事を言ってもビジネスマナーだから仕方ないじゃないですか。大体先生が自分の正体を明かしたくないって言うから。先生とだけ呼ぶなら他の人がいる場所でも本名もペンネームも分からないし、呼ぶ我々も失礼にならないので丁度良いんです」

 正論に先生は肩を落として「はいはい」と答えるしかなかった。


「お疲れ様でした」

 戸口を挟んで一礼した山本は、軋みを立てる古い一軒家の少々建て付けが悪くなったドアを閉めた。

「ふぅ……」

 玄関の前で先生は肩を落として大きなため息をゆっくりと漏らした。

「他人を家に入れるには気を使うよ」

 随分と疲れた様子で弱々しく呟く男の名は富井 裕(とみい ひろし)。


 彼のグルメブログ……いつの間にかグルメブログになってしまった『幽霊日誌』がおじさん層にヒットし話題を集め、そのブログを目にした担当の山本から誘われて雑誌に寄稿するようになって半年ほどの新米ゴーストライターである。

 ゴーストライターと言っても、誰かの代行執筆をしている訳でも、タイトルをもじっている訳ではない。

 ただペンネームがゴーストライターであるのと、彼自身が本物の幽霊だというだけの捻りのないオチである。



「ヒロちゃん」

 声に振り返ると茶の間と廊下を繋ぐ扉の向こうからパジャマ姿の小さな女の子が富井を笑顔で見つめていた。

「ん? 縁(ゆかり)起きちゃったのか」

「うん!」

 頷くと走り寄って来て富井の脚にしがみついた。

「ねえ、お仕事は終わった?」

 安心した様に笑顔で見上げてくる姪っ子の縁に富井は相好を崩す。

「ああ終わったよ」

 冨井がしゃがんで目を合わせて語り掛けると、縁は笑顔でその首に抱き付いた。

「すっかり目が覚めちゃったか……とりあえず牛乳を温めて飲むか?」

「うん!」

 大きく返事をするとギュッと力を込めてしがみ付いてくるのを、左腕を膝の裏に回してそのまま抱き上げてキッチンへと向かうのだった。

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