第13話 盲目の憧れ その5

010


「いい子だったわね、かれんちゃん」


 一緒にマンションへ帰りながら村雨はそう言った。


「そうだな。でも正直あそこまで手放しに称賛されるとちょっと困ってしまうけれど」


「あら? それこそあの子は『見たまま』の感想を言っただけではないの?」


「『見たまま』ね」 


 あの子は僕のことを『王子様ヒーロー』と言った。


 そしてそれは目が見えないあの子の、言うなれば『妄想』が生み出したものでしかない。だから――


「――だから僕は文月ちゃんの手術が成功して目が見えるようになったらあの子には会わない方がいいと思うんだよ」


「あら、どうして?」


「そりゃあ……失望させたくないからだよ」


 自分に憧れを持ってくれる誰かの期待に応えたい――そういった想いはきっと誰にでもあるのだろう。そして、驚いたことにそれは僕の中にもあったのだ。


「もし文月ちゃんの目が見えるようになって今の僕の姿を見たら――きっと失望させてしまう。だから手術が成功したら僕はあの子には会わないつもりなんだ」


「そう。それは久間倉君の考えすぎだと思うけれど……まあ久間倉君がかれんちゃんに会わないでいてくれた方が私にとっては都合がいいのだけれど」


「――? 村雨、今何か言ったか?」


「何も。何も言っていないわよ。ええ何も。決してかれんちゃんがあなたに好意を持っているからそれを阻止しようとしているなんてことは全く思ってないわ」


 ……女心は難解なのに僕の彼女はとても分かりやすいから大好きです。


「まあ何にせよ、あの子の手術が成功するのを祈るばかりだよ」


 そう言いながら、僕は帰り際に文月ちゃんが言った言葉を思い出していた。




「実は私、来週手術を受けますの」


 文月ちゃんは先ほどの笑顔とは打って変わって暗い顔で僕に話した。


「手術って、目が見えるようになるかもしれないってこと?」


「ええ、そうです。アメリカで腕のいいお医者様が見つかりまして。明日、出発いたします――だからその前に久間倉さんと村雨さんにお会いできてとても嬉しかったです」


 そう言った文月ちゃんの顔にはやはり少し不安の色を含んで俯いていた。


「それは……よかったじゃないか」


 僕はそう答えた。


「ええ。でも不安もあるのです」


「不安って……手術が失敗するかもしれないってこと?」


「もちろんそれもあります。でも、元々見えない目ですからね。正直なところ手術が失敗したところでそれほどのリスクはありません」


 文月ちゃんはまた俯いた顔で答える。


「それなら、文月ちゃんは何がそんなに不安なの?」


「それはもちろん――『見えるようになる』ことですわ」


 文月ちゃんはまっすぐ僕の方を『見て』そう言った。


「私は先ほど申し上げましたように『見えない』からこそ普通の人が見ることができないものが『見える』のです。でもそれはきっと――この目が『見える』ようになればきっと『見えなく』なってしまうでしょう。私にはそれが分かるんです」


「……」


 僕は何も言葉を発することができなかった。


「私にとって『この目に見える世界』はとても美しいのです。もちろん、そうでないものや気分を害するようなこともありましたけれど、それでも私はこの世界を心から美しいと思っています。

 でも――私が皆さんと同じように目が見えるようになった時、その目で『見える世界』は今と同じくらい美しいのでしょうか?」


 文月ちゃんは僕と目を合わせることはしなかった。


 きっと『見える』彼女には分かるのだろう――僕がこの世界のことを美しいとはまったく思っていないということを。




 それから僕たちは文月家を後にして帰路についた。


「久間倉君にとってこの世界は美しいと思う?」


 唐突に隣を歩く村雨が僕に問いかける。


「さあね。この世界を美しいと思ったことなんてないよ。でも可愛らしい女子小学生を眺めることができる分、辛うじて僕の方が文月ちゃんよりも世界は美しく見えていると思うよ」


「……そう」


 何か言いたそうな村雨はそれでも僕に何か言うことはなく、ただただ二人して黙ったまま夕暮れ時の帰り道を歩いて行くだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る