第6話 狂ったパートナー その3

004


 その日、村雨は学校には来ていなかった。


 担任の先生はホームルームで欠席理由は『引っ越し手続きのため』と話していたが、僕は内心穏やかではなかった。


 村雨とはもちろん、昨日知り合ったばかりなのだけれど、僕には珍しく、少しだけ――本当に少しだけ彼女と話したいと思った。

 それは授業がすべて終わって下校時間になっても変わらず、クラスのみんなが部活に行く中、それに紛れて僕も生物準備室に向かった。


 いつも通り勝手に鍵を開けて電子書籍の電源を押したけれど、僕は小説には一切目を向けず、窓の外に見える夕暮ればかりを見ていた。

 そのうち電子書籍はスリープモードになり、電源が落ちてしまったが、僕はそれにも気が付かないくらい、ただただずっと窓の外の夕暮れを見ながら彼女――村雨類のことばかりを考えていた。



 その日僕は読書をすることを諦めて早めに部室を出て帰路についた。

 空はまだ黄昏時で、夕方と夜の中間くらいの色をしているのがなんとも今日は気持ち悪かった。


 学校を出て少し歩いたところで、曲がり角から人影が現れた。


「曲がり角で美少女とぶつかって恋が始まるのはラブコメの王道でしょう?」


「王道じゃねぇよ、それはもうただのテンプレだ。しかも美少女とぶつかるのは食パンを加えて遅刻ギリギリの時っていうのがお決まりだろ」


 まるで何事もなかったかのように話す村雨に僕は憎まれ口を叩く。


「あの……久間倉君? 少し付き合ってもらえないかしら?」


 僕は珍しく彼女の誘いに乗ることにした。




005


「昨日はごめんなさい」


 開口一番村雨は頭を下げて僕に謝罪の言葉を述べた。


 僕たちがいるのは通学路からは少し外れた公園で、僕はそこでブランコに座っていた。


 村雨はそのブランコのすぐ横にある鉄棒の上でまるで平行棒にでも乗っているかのように両手を水平に広げてバランスをとっていた。


 夕暮れ時を過ぎて暗くなってきた公園で高校生二人がそのように奇妙な状態でそこそこ神妙な会話を繰り広げているシーンを万が一でも近隣住民に目撃されたなら、その時点で通報されることは避けられないだろう。


 だからというわけではないが、そんな体勢で謝罪の言葉を述べられても正直許す気にはならなかった。

(まあ、今回に関して僕は特に許すも何もないのだけれど)


「もし久間倉君が私に対して不信感を抱いているのならそれは払拭しておきたいと思っているの。そうでないと、私のストーカーかつど……任務に遂行に支障が出てしまうから」


「安心してほしい。出会ってここまで、僕がお前に対して不信感を抱かなかったことは一度たりともない」


「あら、そんなに想ってくれて嬉しいわ」


 そう言うと村雨は鉄棒の上から綺麗に一回転して着地すると、ゆっくりとした足取りで今度は滑り台の階段を上り始めた。


 話が一向に進む気配を見せないことに若干の苛立ちを覚えた僕が何かを切り出そうと口を開こうとした――そんな瞬間に村雨が唐突に口を開いた。


「――私ね、実は少し頭がおかしいのよ」


 自分と同年代とは思えないような実に優雅な足取りで滑り台の階段を登り切ってこちらを振り返る彼女の姿を見ると、なるほどそれは頷けることだと思ったけれど、どうやら彼女が言いたかったことはそういうことではないらしい。


「『超人作成計画』と言ってね。通称『アブノーマル・プロダクション計画』と呼ばれているのだけれど、その名の通り日本を守るための超人を人工的に量産しようとした計画――だったの」


 ブランコに揺られている僕からでは村雨の顔は見えないけれど、彼女が俯いていることだけは分かった。


「まあもっとも、一体だけ生み出されたそのサンプルがあまりに能力も劣る上に、脳に障害まで残ってしまうような失敗作だったから、とてもではないけれど現在の技術では超人を生み出すことは不可能だという結果になってしまったのだけどね。

 それに加えて、さすがに倫理的に問題があるのではないかという懸念から、生み出されたのはその一体だけで計画自体はすぐに凍結されてしまったの」


 僕は特に驚かなかった。


 もちろんそれを聞いてひどい話だと思ったし、そんな組織の自分勝手な計画なんてあっていいはずはないと感じたけれど、――でも『あの連中』ならそれくらいのことはやるかもしれないとは思った。


「概ねこの話を聞いて想像はついていると思うけれど、この計画で生み出されたたった一体だけの『失敗作』が――私なの」


 特に驚きは――やはりなかった。


 それは村雨が言ったように大体想像がついていたからでもあったし、何となく彼女のこれまでの発言や昨日目にした『中途半端な』超人性からそうであっても不思議はないと感じていたからだと思う。


「自分が失敗作であることは疑いようもない事実なのだし、こうなる可能性も分かった上で私はあの実験に参加したのだから、今さら文句を言うこともないわ。

 だからそれで組織から邪魔者扱いされたところで不満を言うことも筋違いなのだけれど――それでも『あなた』みたいに『偶然』力を手に入れた人たちを見ると、どうしても自分を抑えられなくなって『ああなって』しまうの」


 村雨は滑り台の上からこちらを振り向いたけれど、その顔には感情の色は特になく、いつもと変わらない無表情のままで――同じように感情を吐露しているはずなのに、涙も血も流していなかったから、昨日僕を刺してきた村雨と今滑り台の上から僕を見下ろしている村雨が全くの別人のようだと思った。


「この街には組織からの指令で来たの。内容は、この街に新たに発生した超人の組織への勧誘と、それに成功した場合には最近このあたりで不穏な動きをしている敵対組織に、その超人と協力して対処することだった。

あなたのことはその指令を受けた時に初めて知ったの。そして私はあなたに憧れて――でもそれ以上に嫉妬した」


「だから昨日僕を殺そうとしたのか?」


「そうよ。だってあなたが憎かったんだもの」


 村雨は即答した。


「そうか……じゃあ村雨はこれまで無理して僕に付きまとっていたってことか。それは……なんというか、申し訳ないことをしたな」


 僕は少し神妙な顔で村雨の方を見る。(それでも客観的に見て、ブランコに揺られている状態ではとてもそんな風には見えなかっただろうけれど)


「――? 『無理して』? そんなことはないわよ?」

 村雨は首をかしげながら答える。


 そして彼女は実に優雅な所作で滑り台から滑り落ちると、立ち上がってゆっくり僕の方へ歩いて来た。


「確かに久間倉君のことは憎いし、正直死ねばいいと思っているわ――でも私はそれと同じくらいあなたのことが好きよ」


「――? どういうこと? お前は僕を憎んでいるんだろ? それじゃあ矛盾しているんじゃないか?」


「あら? 私の想い人は意外とお子様なのね?」


 村雨はすました顔で答えながら歩く速度はゆっくりのままブランコに揺られる僕の方へ歩いてくる。


「お子様な久間倉君に理解してもらえるかどうかは分からないけれど、『愛すること』と『憎むこと』は矛盾しないの。いわば表裏一体であって――私は久間倉君のことを心から愛しているけれど、それと同時に殺したくなるほど憎んでいるのよ」


「――ごめん。よく分からないけれど、それは要するに『女心は難しい』ってことで大体合ってる?」


「まあ概ねそんなところかしらね」


(……うーん、全く分からん)


 しかしそれを口にするとまた面倒くさいことになりそうだったので僕は黙っておくことにした。


「あれ? でも百歩譲って女心がとてつもなく難解なもので、僕には全く理解できないものであるとして、今までの話の中で村雨が僕を好きになる要素って何かあったか?」


「あらあら、これはまたお子様な意見ね、久間倉君」


 こういう時の村雨は心底楽しそうだった。


『でもそんな馬鹿なところも扱いやすそうで好きよ』と僕の目の前までやってきた彼女は足を止めながらそうつぶやく。


「好きになる理由なんて理屈じゃないもの。出会った瞬間に人生を捨ててもいいと思うくらい一目惚れしてもいいじゃない。女の子なんてみんなそんなものよ?」


「ということは、その……村雨は僕に一目惚れしたってこと?」


 僕は恐る恐る尋ねる。(まさか僕の人生においてこんなことを女子に聞く日が来たことに僕は少し感動すら覚えていた)


「そうね。もし理由がないのが不満なら、なんとでもでっち上げられるわよ?」


 そして村雨は僕のブランコの鎖部分を両手で握って顔尾を近づけながら口を開く。


「私ね、久間倉君が好きよ――とても強くてあなたとなら間違いなく丈夫で強い子どもが産めそうなところとか、実は意外と成績もよくて頭もいいから将来の収入も安定していそうなところとか、そのくせ実は考え方が子どもっぽくてすぐ私に甘えてくれそうなところとか、今のところあまり女性経験がないからこれから私の都合がいいように調教できそうなところとか、ブサイクではないけれどそれほどイケメンではないから将来浮気する確率が低いところとか、どうせ大して友達も多くないから付き合ったら私のことを何よりも優先してくれそうなところとか、典型的な断れない性格だから付き合ったらわがままが言い放題なところとか、絶対童貞だからちょっと股を開いただけですぐ私に夢中になりそうなところとか、何よりも――私が殺そうとしても絶対に死なないから――だから私、久間倉君のことが好きよ」


「――怖すぎるわ!! 出会ったばかりの人間にそんな好意を抱かれたら惚れるどころか逆にドン引きするに決まってるだろうが!!」


「なら長い期間をかけて私の虜にするだけよ」


 そう言って村雨は僕の目をのぞき込んできた。


「ねぇ、久間倉君。私はこう見えても実は尽くすタイプなのよ? 久間倉君が私のことをヤバい女だと思うのは仕方がないことだと思うのだけれど、それでも私と付き合ってくれれば絶対にそのデメリットを上回るリターンを提示できるわ」


 村雨の瞳に映る自分の姿が見えるくらい村雨は僕に顔を近づける。


「ねぇ? 一度、私と付き合ってみない? 久間倉君が私たちの組織に加入してくれた以上、どのみち私とあなたはしばらくの間パートナーとして一緒に行動しなければならないのだから、それならいっそのこと『人生のパートナー』になることも視野に入れて私と付き合ってくれないかしら?」


「――!? いや、ぼ、僕は……」


 ――ピリリリリリ!!


 そうやって村雨がゆっくりと顔を近づけてもう接触まで数秒といったところで突然村雨のポケットから着信音が鳴った。


「え、えっと……村雨? 電話でなくていいのか?」


「……ちっ!!」


 村雨は少し迷った後、目に見えるくらい不機嫌そうな顔をしてポケットから携帯を取り出して通話に出た。


「……はい、もしもし。……そう? ええ、行くわ。え? そんなことしていないわよ。本当だって。そんなことするはずないじゃない。ええ、本当だから、信じてよ。……分かりました、もうしません。次からは久間倉君を口説くのは一日に三回までにします。うん……それじゃあすぐに現場に向かうわ」


 携帯を切ると、村雨は『はぁ……』と少しため息をついてこっちを向いた。


「久間倉君、この付近にモンスターが現れたそうなの。多分、昨日の連中と同じく私たちが対処を依頼された敵対組織の者でしょうね。悪いのだけれど、私と一緒にすぐに現場に向かってくれないかしら?」


「……それはいいけど、なんだか今通話の中で不穏なことを言ってなかったか?」


「言ってないわ。ほら、早く行きましょう」


 村雨は即答すると、目的地の位置を僕に教えた後、当たり前のように僕に抱き着いてきた。

 どうやらこのまま現場まで僕に連れて行けということらしい。


 僕は超人の姿に変身した後、抱き着く村雨を振りほどいて肩に背負いなおして、空高く飛び立った。

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