初夜



 水色のカーテンは、外からの明かりを防ぎきれず静かに広がらせる。薄暗い部屋で聞こえるのは、外からの虫の声、扇風機の音、そして愛を確かめ合う二人の喋り声。


 たくさん繋がり合って、たくさん睦ましい言葉を紡ぎ合う。あんなにお互い緊張していたのに、いつの間にか二人は自然と溶け合っていた。


 驚くほどに優しい時間の中で、驚くほどに、翔馬も絵美も相手への愛しさを増していった。まだ、こんなにも好きになれるのか、というくらい。


 触れ合った後は、思い出をいっぱい語り合った。一つ余分に年を取って翔馬が忘れていたことは、絵美が覚えていた。幼くて絵美が気付かなかったことは、翔馬が理解していた。一つあった学年の差は、今は同じで、お互いがお互いを補っていける。


「へえ、十円玉の実験か。懐かしいな」


 翔馬は、この前十円玉を綺麗にする実験をした、と絵美から教えてもらった。


「うん。でもあれ、一人でやっても面白くなかったんだ」


「そりゃそうだろ。あ、面白いこと教えてやるよ。あれ実はお酢に塩を加えるともっと速く落ちるんだぜ」


「ウソ、なんで」


 絵美の目が丸くなるのがわかる。一瞬だけ、小学生の頃の絵美が見えた。俺がみんなに見せた実験の結果に驚く絵美。澄香ばっかり見ていたと思っていたのに、実は、ちゃんと見えていたのか。


「それがな、忘れた」


「えっ! ……えっ?」


「確かキレートがなんとか、だったかな。化学はお前の方が詳しいだろ、調べてみたら」


「ええ、気になる。変なところで止めるのやめてよ」


 左肩をぱしぱしと叩かれる。笑いながら受け入れていると、彼女の手がそっと肩の上に置かれ、ゆっくり滑り落ちる。


「絵美?」


「私ね、翔ちゃんのおかげで理科が好きになったんだよ」


 絵美は、ぽつっと言った。


「うん」


「私、もっと翔ちゃんに色々教えてもらいたいし、色々共有したい。ずっと、ずっと」


「……俺だって」


「ずっと、一緒にいたいの」


 絵美の小指が、俺の右手の小指に結びつく。あの駅のときと、全く同じ位置、同じ感触。だけどその温もりは……いや、たぶん同じで、俺の感じ方が変わっただけ。


「あのね。すーちゃんは、ゆびきりは言葉だけのものでいいって言ってたんだ。余計な気持ちはいらなくて、くっつきやすくて離れやすい指だからいいんだって」


「……そっか」


「私はね、今でもすーちゃんほど大人じゃない」


 絵美の指に力がこもる。愛おしいほどの、切なさのこもった力。


「大人じゃないから、ずっと、この指を離したくない」


「……お前は澄香じゃないだろ」


 指が小さく動いて、彼女の爪の先が軽く触れる。


「絵美は絵美。お前は、お前としてちゃんと成長してるよ」


 昔の俺が知っていた絵美はもういなくて、ここにいるのは大学生になった絵美。彼女は、他の誰よりも愛らしい蕾から、他の誰も持たない魅力的な花を咲かせつつある。


 今の絵美は、俺がちゃんと見ている。


「……ありがとう」


 今なら、薄暗い部屋でも絵美の姿を傍に思うことができる。約束は指をきらないと始まらなくて、だけど指を離してもきっと二人は続いていける。彼女を、約束を、守ることができる。


「絵美、好きだ」


「……翔ちゃん、好き」


 指が少しずつ離れていく。新たな場所へと旅立つために――。



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